2012年09月09日 Sunday
「失われた街」模型復元プロジェクト・横浜展
![]() 9月7日、「失われた街」模型復元プロジェクト・横浜展に 行ってきました。 地域にして22地域、1m四方の模型単位にして 67個分の模型により、東北の街や三陸海岸の集落が 再現され、3.11によって失われた、かけがえのない 日常があったことを伝えています。 ![]() 去年の7月10日、私はアーティストの白井貴子さんの 被災地訪問の撮影をするため、東北に同行しました。 3.11の東日本大震災から、すでに4ヶ月経っていたにも かかわらず、陸前高田、気仙沼の風景を、目の当たりに した時のショックは、つたない文章では、とても伝え られるものではありませんでした。 それから1年以上経ったこの日、「失われた街」模型復元プロジェクト・横浜展で トークショーが行われました。 ![]() ゲストには、一年間、気仙沼に生活しながら、震災地の報道を 続けられてきた龍崎孝さん(JNN三陸臨時前支局長)と 被災者の斎藤賢治さん、白井貴子さんが参加されました。 ![]() 白井さんは、あの日からすでに十数回も、被災地を 訪問されていました。 被災者の方達に、少しでも元気になってもらおうと 陸前高田の一本松をテーマに、「松の花音頭」を作曲 イベントを企画、参加もしていたのです。 ![]() 現地の子供達の歌声も入った「松の花音頭」は 今まさしく、その土地のお祭りで流れ、自然な形で 皆さんと共に、生きています。 あの日、あの衝撃を経験した自分は、この1年間 何をしてきただろう... 通り一遍の情報ではない、龍崎孝さんが現地で 生活したからこそ伝える事のできる、真実。 被災者の斎藤賢治さんの本音、白井さんの活動は 改めて、深く考えさせられました。 忘れないで欲しい。 忘れてはいけない。 だれにでも、いつか経験する可能性が 十分あるのですから。 あんな悲惨な死に方を、できる限り避けてもらいたいのです。 斎藤さんの、涙と共に、心の底から絞り出される言葉が ジンジンと、しみ込みました。 |
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