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ダイエット連載が終了した後、「悔いが残るでしょう」というダイエット塾七尾先生のお言葉で、再び始まったこの延長戦も、今回で終わる。そして何とか、この3週間で再び体重を落とすことができた。今週、500g落ちたのだ。

ダイエット生活を始めて2年5か月。トータルで12.5kgの減量である。月日からすればこの数字はあまり大きなものには思えないが、それでも3年前には考えられない体型を手に入れることができた。

本当は今週、予告通り富士登山をして、そこでさらに体重を減らし、見事「50kgを切りました」と報告すると目論んでいたのだが、富士登山自体が台風のために中止になり、代わりに(?)小学校の同窓会へ出席することになった。そこで今回は、小学校の同窓会のことを書こうと思っていたのだが、これが最後の原稿になるので、今までに一度も書かなかったことを、記そうと思う。

最後の食事日記を付けた数日後、私は知人の講談師が真打になるというので、そのお披露目の会に出席した。「真打お披露目会」というものに行くのは初めてで、いったいどんな宴なのかまったく見当もつかなかったのだが、その人の師匠が人間国宝でもあったため、何と700人近くの人が出席しているという大規模な宴なのであった。

私はその、700人着席というものすごく広い会場の中で、とんでもない人を見つけてしまった。

元彼である。

あまりよい別れ方をしなかった、というのはかなり控え目な表現で、どちらかと言うと、その人と付き合い、別れる中で、自分が持つすべての「イヤな感情」と向き合わされたというくらいの経験である。

私と元彼の間には5つぐらいのテーブルがあり、ひとつのテーブルには10人くらいの人が座っていた。その会には私の知人も多く来ていたのだが、その人たちが座っているテーブルを探そうと、立ち上がって見たときに、遠くにいる元彼を見つけたのだ。何と、私が探している人と元彼は、同じテーブルに座っていたのである。

人間関係を考えれば、彼がそこにいることは「あり得ない」とは言い切れないのだが、私はその顔を見るまで、「今日はあの人に会うかも」という可能性を欠けらも考えていなかった。だからかなり驚いてしまい、その姿を見た途端、隠れるように自分の席に座った。どうも一瞬、彼と目が合ったような気がしたからだ。

さて、ここでダイエッターの諸君に問いたい。あなたなら、この場合、元彼を無視して知人に挨拶に行きますか?

私とその人が付き合っていたとき、私の体重は46kgだった。最後に話をした時には52kg(つまり今とあまり変わらない)で、その時に「お前、俺と付き合ってた時より太ったな」と言われた。そして最後に姿を見せた時は60kgだった。つまり、今の私は最後に会った時よりかなり痩せたけれど、付き合っていた時より太っているのである。

ユーミンだって別れた男を「いつかは見返してやるつもり」で、「いつも着飾っていた」と歌っているように、別れた男を見返すためにキレイになってやる! という感情は、女性ならばほとんどの人がわかるはずだ。私とその人が別れたのはもうずいぶん前なので、今回のダイエットに元彼はまったく関係ないが、その顔を見た瞬間、「まだ見返せない」と思ったことを、ここに白状しよう。

それはかなり屈辱的な気分だった。今さら未練も何もない相手なのに、今この姿を見せて、「なんだこいつ、太ったな」と思われるかもしれないと思い、結局私はそのテーブルに挨拶に行くことを諦めたのだ。

私はこの連載の中で、痩せたい理由はいくつもある、と何回も書いてきた。それは健康のためであったり、自分の精神的成長のためであったり、おしゃれをするためであったりする、と。そして痩せると必ず言われる「男できたのか?」という安易な意見に、腹を立てたりもした。

その考えは今も変わっていないが、でも自分が「痩せて美しくなりたい」と思う理由の中に、見栄やプライドを満たすため、というのも確かにあるのだと、この時に実感した。そして、長いダイエット生活の中で、やはり自分の精神が少しずつ弛んできていたことにも気が付いた。

恐らく最初の連載を始めた時には、この日に感じた屈辱に近いものを、もっと日常で多々感じていたはずである。だから、ものすごい勢いで努力し、痩せることができた。でもある程度体重を落とすと、周囲は「痩せたね」と褒めてくれる。するとその屈辱感は薄れ、どこかで「これだけ痩せたんだから」と自分を甘やかす気持ちがあったのだと思う。

そして私はそれを自覚していたのだ。もしも今、12.5kg痩せた自分に満足していたのなら、いくら付き合っていた頃より太っていても、今さら未練もない相手である、堂々とこの姿を見せたところで何の問題もないはずだ。

でも私は心の中で気が付いていた。「本当はもっと痩せられるはずだ」と。一方で「これだけ痩せたんだから」と自分を甘やかし、もう一方では「まだまだ太っている」というコンプレックスを抱えている。自己矛盾もはなはだしいが、私は「昔より太っている自分」をしっかり受け止め、その上で堂々と姿を現せなかったことに、情けなさを感じたのだ。

ダイエットは、誰のためでもない。どういう意味においても自分のためである。例えダイエットをする理由が「見返してやりたい」という他者に対する感情だったとしても、それはやはり自分のためである。

だから私はこれからもダイエットを続けようと思う。連載の原稿を書くためにも、「太ってはいけない」と思い続けていたが、例え連載が終わっても、私は私のために痩せようと思う。なぜなら、今の自分に自信を持ち、心身ともに充実した状態を保つことができれば、いつ誰に会っても「見返してやりたい」と思ったことも忘れ、常に堂々としていられる自分になれると思うからだ。

自分に自信が持てること。
それこそが、ダイエットをして得られる最大のご褒美だと思う。