ここ何回かのエッセイで、「痩せたね」と久し振りに言われて嬉しい、ということを立て続けに書いたが、今週は逆に、数年振りに会った人から「太ったね」と言われてしまい、不愉快な思いをした。確かにその人と会うのは7〜8年振りで、恐らく今より3kg〜5kgくらいは痩せていたように思う。

私の「激太り」の姿を知らないのだから、まだ20代と歳も若く、5kgも体重が少なかった当時の私を脳裏に浮かべ、その比較から「太ったね」と言われるのは仕方のないことなのだが、この2年の私の努力を嘲笑うかのようなそのお言葉に、私は深く傷ついた。

そして改めて思った。「そうだ、私はまだ太った人なんだ」と。

「痩せている人」と「痩せた人」は違う、と先週書いたが、今回のように、痩せた時代を知っている人から見れば、私は「太った人」だということである。その痩せていた時代が「痩せ過ぎ」くらいの体重だったなら、「太ったね」という言葉にも、「ちょうどよくなったね」という意味が含まれることもあるだろうが、私の場合は明らかに、「ちょっと痩せたほうがいいと思うよ」という意味が含まれていて、これもまた悲しい。

これは単なる考え方の問題で、現実的に私はこの2年で10kg以上の減量に成功しているのだから、「痩せた人」なのだ、と言えるといえば言えるが、どんなに言葉を駆使しても「痩せている人」にならない限り、こういったことは何度でも起こるのだろうという事実に、すっかり打ちひしがれてしまった。

そんなことがあった次の日、まったく別の話から、「コップに水が半分入っている時、それをどう表現するかで、考え方がわかる」という話になった。「もう半分しか水がない」と思うタイプはネガティブ、「まだ半分も水がある」と思う人はポジティブ、という内容だったのだが、ポジティブかネガティブかは別にして、これとダイエットは非常に似ている。

私は今の体重を、ちょうどよい数値だとは思っておらず、「まだ」痩せないといけない、と確かに思っているのだが、でも心のどこかで、「もう10kgも痩せた」と思っていたように思うのだ。本来目指していた20kg減から考えれば、「まだ10kgしか痩せていない」と思うのが正しい方向だと思うのだが、やはり太るだけあって見事に自分に甘い性格が、ここにもしっかり現れている。

その結果、すっかり自分のことを「痩せた人」だと思い込み、もっと痩せていた頃を知っている人から見れば「太った人」であるという現実を目の当たりにした時にうろたえる羽目になったのである。

会う人ごとに「太ったね」と言われ続けた屈辱感。それを拭い去るために一念発起して始めたダイエットである。せっかくここまで痩せたのに、まだまだこのような屈辱を味わわなければならない自分の体型が、本当に憎たらしい。

この屈辱感をバネに、「まだ10kg」としっかり自分に言い聞かせ、残りの期間を「もうあと○日しかない」と思わず、「まだ○日ある」とポジティブに考え、誰から見ても「標準体重」と思われるような肉体を取り戻してみせようではないか!