今週も体重の変動はないのだが、ちょっとだけ嬉しいことがあった。久し振りにダイエット塾の七尾先生にお目にかかったところ、「みかんさん、やっぱり痩せたわよ。体操の効果じゃない?」と言ってもらえたのだ。

思い起こせば2年前、この連載がスタートした頃には会う人ごとに「痩せたね」と言ってもらっていたが、最近ではほとんど聞くことのできない言葉だったので、ご満悦である。

「痩せたね」と言ってもらえないのは、事実であるから仕方ないとしても、先日など「ちょっと太ったんじゃない?」などと言いがかり(?)をつけられ、非常に不愉快な思いをした。だいたい、日本人というのは季節の話題と同じような感覚で、挨拶代わりに体型のことを口にする。「久し振り〜。元気だった? ちょっと太ったんじゃない?」とこういう感じだ。

以前、日々体重が増えていくという恐ろしい時代、私は会う人ごとに「太ったね」と言われ続けていた。そのことをアメリカ帰りの友人に言うと、「失礼だよね。アメリカではあり得ない。いきなり人の体型のことなんて言わないよ」と言っていた。

それが事実かどうかはわからないが、確かに失礼な話である。他人が太ろうが痩せようが、言う人には関係のない話で、それを言うことで何か利点はあるのだろうか。その友人によれば、「日本人はすぐに年齢を聞く」というのも、非常に不愉快な話だと言っていた。

結婚した友達に「子供はまだ?」と聞くもの同様だ。とかく日本人は、他人のプライバシーに関わる話題を、ごく普通に交わす民族らしい。それはそれで良い点もあるのかもしれないが、少なくとも体型の変化については「余計なお世話!」という気がしないでもない。

とはいえ、私自身、久し振りに会った友人がものすごく太っていたり、一目見てわかるほど痩せていたりすれば、そのことについて思わず言ってしまうということは、正直多々ある。それに「太ったね」と言われるのは確かに不愉快だが、「痩せたね」ならばもちろん嬉しいという、身勝手な気持ちもあるのは事実だ。

イヤ、もっと言えば、ダイエットに成功したにも関わらず誰からもそれを指摘されなかったら、それはとっても詰まらないことだろう。つまり、自分にとって言われたい言葉であれば例えそれが体型に関わることであっても「嬉しい言葉」で、言われたくないことであれば、「失礼な言葉」になるわけだ。

そういえば先日、私の友人に男の人が「お前、少しは痩せろ」というのを聞いて、「それ失礼だよ!」と言ったら、「こうやって言われることで、痩せよう! という気持ちになるんだから、俺は親切で言っている」と言い返された。確かに「痩せろ!」などと言われるのは非常に悔しく、「この野郎!」とは思うけど、そんな一言で発奮して痩せるくらいなら、そもそも太ってはいない。

世間の皆さん、太っている人のほとんどは、常に「痩せよう」と思っているのだ。「親切」だなんて自己満足はやめて、良いところを褒めて伸ばすくらいの気持ちで、我々「ダイエッター」には接してくださいね。