相変わらず体重に変化がないので、先週も書いた「肉体の不思議」について、さまざまなことを考える日々が続いている。

私は「ポイント式低インシュリンダイエット」という方法でダイエットをしているが、巷では「カロリー」というものを元にしたダイエット法が一般的だ。このカロリーもインシュリンも、理屈は充分理解しているつもりなのだが、体が納得していないようなのだ。イヤ、体は正直に反応するが、心が納得していない…と言ったほうが正しいだろうか。

毎日の食生活の中で、不満を感じたり満足を覚えたりするのは「量」、そして「質」である。例えば淡白なもの、野菜や刺身などばかりの食事でも、お腹一杯食べられれば体は満足する。人によって嗜好の違いはあるものの、その満腹感がこってりしたものによってもたらされるものだと、尚嬉しい…という人は多いだろう。つまり、お肉とかラーメンとかである。

しかし、同じ「満腹」という状態なのに、食べたものによって体重に出る数字ははっきりと違う。よく考えると、これは不思議だ。もしも単純に、200g食べたら200g太る、ということならば、ただ食べる量を減らせば痩せるということになるが、事実はそうではない。それに200g食べても、運動することによってエネルギーを消費すれば、その分、体重には現れないという。

反対に、食べたものを調理前に全部計って、それが1kgだったとしても、調理方法によっては一気に2kg、体重が増えることもあり得る。これがカロリーやインシュリンの量によるものだというのは、頭ではわかるのだが、改めて考えてみると、「それって何だよ!」という気持ちになってしまうのは、私だけだろうか。

第一、「エネルギー」って、何?私は車に乗らないのでよくわからないが、人の体に対するエネルギーとは、すなわち車のガソリンのようなものなのだろうか? お肉と野菜の違いというのは、ハイオクとレギュラーの違い? 運動によって「エネルギー」を消費する、というのはわかるが、それに個人差があるのはどうしてだろう。

「痩せの大食い」という言葉があるが、普通以上に大量の物を食べて、しかも特別な運動をしていないのに痩せている、という人は確かに存在する。友人の中に、まるで「フードファイター」のように食べる女性が二人いるのだが、そのどちらもとてもスレンダーな体型を維持していいて、彼女たちを見るたび、私は「与えられた肉体」の不公平さを感じずにはいられない。

車によって燃費がいいとか悪いとか言うが、だとすると彼女たちの体は相当燃費が悪く、私の体は相当燃費の良い体…ということになるのだろうか。どんなに正確なダイエット情報に基づいて、どれほどの努力をしても、なかなか痩せない、という人と、「ちょっと食べ過ぎたと思ったら、次の日少し気をつければ、すぐに元に戻る」という人の違いは、体の持つ能力の違いということか。

これほどの努力を続けてもなかなか体重が減らない私は、恐らく「エネルギーの消費」に関する能力が、かなり低いのだろう。車ならば燃費の良いほうがいいのだろうが、肉体に関していえば、ありがたくない性能である。

体重が減らないというストレスを感じ続けている私は、こんなことばかり考えて、痩せない恨みを自分の低い能力に対する怒りに転化させ、挫けそうな心を慰めている。