妙に惹かれた絵

駅のホームに貼ってあったポスターに、妙に惹かれました。

これです。





なな号「宮芳平」を全然知らなかった。
この絵は、彼が20歳くらいの時に描いた自画像のようです。


洋画家・宮芳平(1893~1971)。

新潟県に生まれ東京美術学校で絵を学び、生前、画家として
高らかな名声を得ることなく、半生を信州諏訪の美術教師として
過ごした“野の花”のような作家。

ふ〜〜ん...


このポスターに惹かれたもう一つの理由は、ここに書かれた詩でした。


彼は、40歳のときから6年間、個人誌「音信の代わりに友に送るAYUMI(歩み)」を
発行しつづけ、20年余の休刊をはさんで、再び78歳で亡くなるまでの
14年間にわたり、その発刊をつづけたそうです。




その中の一つの詩が、ここにあったの。


---巡礼詩人---

我が名は巡礼詩人
またの名は巡礼絵画(か)き
何を求め何を希(ねが)うかは知らない
けれど
求め求めて行く道に
我を追う子等なつかしく
彼等のために歌い 彼等のために画き
行き暮れては
訪ねべき宿もなければ
草の褥(しとね) 石の枕

かくて果てなんわれなれど
廣がる空のもとに
星を眺めて眠るは嬉し



興味が湧きません?


ネットで検索したら、こんなのも見つけた。



私は玉を抱いている 私はそれをみがきたい 
私はそれをみがくために乞食になってもいい


まったく「野の花」のイメージではないけど、作家としての純粋性が
滲み出てると思った。



今日は、なな号の写真と言うよりポスターの複写だよね。

すみませーん。



※今日のお楽しみ

足も好きだけど...

耳も好き!





この三角が、たーまーらーないーーーっ!


| Photo | 12:00 AM | comments (2) | trackback (0) |
コメント
私も知らなかった。宮芳平・・。すごいよね~こんな風に本当の自分だけを
磨いて生きてみたいね。私は、「風船画伯」と呼ばれた谷中安規という版画家の人生を知ってぶっとんだことがある。貧乏で、傘の骨を拾ってきて、それで版画を彫り続けたんだよ~!!最後はなんにも食べるものがなくて、かぼちゃの種をまいたそうな。その版画がまたいいんだ。あこがれるな・・・。
それだけ夢中になれるものが見つかった人は幸せだね。
| 鉄ママ | URL | 2013年09月05日 08:42 PM | 4TgXMsG2 |

へ〜、すごいね、その版画家の生き方も。
検索してみるね、鉄ママ 。
| なな号 | URL | 2013年09月05日 11:33 PM | I0zccA0. |


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