カオルくんの闘病記

2月1日(土)

朝、鼻が悪いふたりの息子を耳鼻科へ連れていき、それだけでひどく疲れてしまい昼寝をした。すると、カオルくんが地元の病院へ移り、面会が楽になったと感じ、やがて声が出た……という夢を見た。ひと眠りできたので、頑張ってきょうも面会へ行こうと、気力を奮い立たせようとしたが、どうしても体が動かず。やむを得ず、今日は病院を休んだ。

夜、ちづちゃんより「面会したよ」とメールをもらう。そしてカオルくんの調子は、あまりよくなかったとの内容だった。きょうは息子ふたりでスポーツジムへ行って帰ってきたが、帰る途中、ようきが吐いてしまったそうだ。昨日こしらえておいたカレーを楽しみにしていたのに……。夕食は、まあきだけモリモリ食べた。

2月2日(日)

お兄さん、お姉さんが、カオルくんの2月7日の誕生日を病院で祝おうと、ケーキを持ってきてくれた。昨日、ようきが体調を崩し、私たち親子の参加が危ぶまれたが、朝、おむすびパワーで元気が出てきた! と言ってくれたので、久々に親子揃って病室へ行くことができた。兄、ひで子さん、ちづちゃん、のりこちゃんと私たち3人。兄妹、いとこが全員集まった。

カオルくんには、ケーキの生クリームを少し口に入れてあげたが、以前のようにあごは動かなかった。まったく動かなかった。12月23日のクリスマスケーキは、生クリームを口に入れてあげたら、あごをよく動かして、左手が何度も上がっておいしそう……と思えたのに。11、12、1月……と、もう3か月も何も食べていないから、無理もないか。カオルくん、大好きなケーキだよ。大好きな生クリームだよ! 結局、あごを動かすことはなかった。

それでも、まあきとようきは、カオルくんのベッドのそばで、おいしそうにケーキを食べていたのが救いだった。

2月3日(月)

以前、父親に面会に行った晩は、ようきが夜中に突然泣きだし、私の布団に入ってくることがたびたびあったが、昨夜はそれがなかった。昨日、久しぶりに会ったお父さんは、左目にパッチがしてあったので、ようきが(あれ?)という顔をし、表情が曇ったので心配だった。

面会のたびごとに父親の意識が薄れていってることを、幼いながらも感じているに違いないが、それでも「起きないねえ、起きないねえ」と、ふたりはベッドの脇で大声を出し、カオルくんに話しかける。帰宅時、おじいちゃんに何か聞かれたのだろう。「お父さんは眠ってたの!」と言っていた。父親は意識がなくなっていくのではなく、眠っている。ふたりにとっては、お父さんは眠ってるだけなのだろうか。

今日の面会もパッチをはずして、ゼロからのスタート。ほっぺたをたたいて起きてコール。30分ほどすると、カオルくんの瞳が動きはじめた。唇もわずかに動いたが、足と指は動かなかった。反応の乏しい時でも足はけっこう動いたのに、さみしかった。せつなかった。

夕方、帰宅すると、ようきが「きょう気持ち悪くて、保健室だったの」と言う。あらら〜またもや〜。まあきも「なんだかお腹が痛い」と言う。あらら〜〜ふたりして。おととい、嘔吐で食べられず残念がっていたカレーライスを、ようきはもどしてしまった。そして、怖くて眠れないと、夜は私の布団で眠りについた。外見はいつも通りで明るいけれど、ふたりとも精神的に疲れているに違いない。

2月4日(火)

ようきは朝、なかなか起きてこなくて、学校を休んだ。しかたがなく私の病院行きも、きょうは休みとなった。ちづちゃんが夕方、カオルくんに面会。夜の連絡では、やはり手足は動かなかったと言っていた。ハァ〜〜誕生日を前にして、急激にカオルくんの反応が乏しくなってしまった。

2月5日(水)

午後からの面会。病室に入るとすぐに目のパッチをはずし、ほおをたたき足の裏をくすぐり、大声で名前を呼んで起きてコール。左目は下からドロリと濁っている。呼び続けていると、少し、少し瞳が動き、唇もわずかに動いたが、それが精一杯なのか……。1時間もしないうちに、また眠ってしまった。

あれほど動いていた足が、ピクリとも動かなくなってしまった。ちづちゃんが、手がちぎれそうな思いをして、“奇跡の水”を2リットルもかかえて持ってきてくれたのに。起きてよ。起きてよ! 2月2日に、足を動かしたきり、手足はまったく動かず……。あさってはカオルくんの誕生日だというのに。「おめでとう!」とお祝いするのに……。

2月6日(木)

目覚ましが鳴っても、ごはんの炊けた合図の音がしても、なかなか布団から出ることができない。体が重くて重くて仕方がない。ここ3日、カオルくんの反応がほとんどないからだろう。昼、病院に到着。院内のレストランで買ったお弁当はおいしくなくて、悲しくなった。

カオルくんは何度呼びかけても目覚めた様子はなく、息子ふたりの写真を見せても、瞳は動かなかった。わずかに下唇が動くが、それも返事なのかどうか……。看護婦さんに「こんにちは」「失礼します」と言う声も出なくなりそうなくらいに、力が湧かないよー。

2月7日(金)

お誕生日おめでとう! カオルくん♪

19歳のクリスマス(カオルくんは22歳)の時に知り合って、21歳のころカオルくんを好きになって以来、20年間。会っていた時期も離れていた時期も、2月7日のカオルくんの誕生日はいつも、心は「おめでとう」とお祝いをしていた。私の誕生日は次の日の8日なので、二度と会うことはないだろうと思った二度目の別れ以降も、忘れようったって忘れられない日となった。

私の人生の半分の約20年間、毎年2月7日はおめでとう!

昼、病室に着くと、さっそく病室入り口扉の入院患者の名前の上に“おたんじょうびおめでとう”の紙を貼った。ベッド後方の壁にも貼り「起きてー、起きてー。ねえねえ、今日は何の日?」と声をかけた。「ねえねえ、今日は何の日? ねえねえ、誕生日でしょ。誕生日!」今日もダメかと思わせたが、写真を見せたりするうちに、カオルくんの瞳が動きはじめ、唇もわずかに動いた。

昨日より少し、ほんの少しカオルくんの状態がいいような気がした。Sくんの奥様が「お誕生日おめでとう!」とやってきてくれた。遠く秦野から、今までにもたびたび面会に来てくれている。Sくん夫妻はカオルくんの大学時代の友人だ。

「カオルくんは大学時代ひと癖もふた癖もあって、明るかったけど本当の心を最後のところでは見せないようなところがあった。だからやっぱり理解するのは難しい人だったと思うよ。大学では裕福な家庭の子供が多いなかで、彼はアルバイトをして自分の学費を稼いで、一生懸命頑張って、やっとやっと安らぐ家庭を築いたのに、どうしてもっと長くその幸せな時が続かないのだろう、といつも話してるのよ……」と、Sくんの奥様は言った。Sくんもよく言ってた。「カオルは、絶対にバイトを休まなかった。みんなで遊んでいる時、今からバイトだ、と抜ける彼に“休んじまえよ”と言っても、絶対に休まなかった」

そうなのだ。カオルくんは、努力の人なのだ。だから私が弱音を吐くと、いつもいつも厳しいことしか言ってくれなかった。カオルくんが私を慰めてくれるなんてことは、ほとんどなかった。カオルくんには「強くなれ!」って、いつも言われていた。

カオルくん! 私、強くなっちゃったよ。

2月8日(土)

カオルくんの誕生日は2月7日で、私が2月8日。一日違いだ。だから毎年、2月7日の夜、カオルくんの帰宅を待ちわびて、駅前の不二家とかコンビニのケーキとか、まるでおしゃれじゃないケーキで祝っていた。どこどこのパティシエだかなんだかが作ったケーキは、きっとおいしいのだろうけど、私たちふたりはコンビニのケーキで充分満足だった。今の時代、コンビニであっても、どこも味の良さを追求しているので、「やるな、コンビニ!」などと絶賛しては食べていた。なのに……たった1年で、カオルくんは、もう何も食べられなくなってしまった。去年の2月7日の晩。確かカオルくんが、コンビニのケーキを買ってきてくれたはず。<まあ、めずらしい>と思い、私の用意した不二家のケーキは明日にしよう、と思った記憶がある。

17時病院到着。カオルくんの目パッチをはずし「今日は何の日でしょう? 昨日2月7日はカオルくんの誕生日だったんだから、その翌日は何の日?」と、しつこくしつこく「今日は何の日?」を繰り返すうち、だんだんとカオルくんが目覚めた感じあり。

「きょうは、なみちゃんの誕生日だよーん! 今夜Aさんが六本木で、私とカオルくんの誕生日のお祝いの会を設けてくれて、私とちづちゃん、NさんとSくんとで会うの。Tちゃんは残念ながら地方で仕事なので欠席だけどー。それでさあ、入院の日から禁じていたビールを、今夜限り飲んでもいいかなあ?」とカオルくんに尋ねると、しきりに瞳と口が動くのです。閉じたままの右目のまぶたまで。すごい、すごい。やはり“2月8日”と“ビールの話題”には反応するじゃん ♪

「それって、いいよって言ってるの? いいよって言ってるんだよね? 今晩だけで、また明日から飲まないからさ」カオルくんの瞳は左右にコロコロ動き、下唇がワクワク動いてた。すご〜〜〜い。ここ最近では見られない動きだったよ。やがて、Aさん、Nさんが「お誕生日おめでとう!」と面会に来てくださった。1週間早いバレンタインのチョコとプレゼントを持ってきてくれ、病室はとてもにぎやかになった。「じゃ(六本木へ)行ってくるね!」3人ではしゃぎながら病室を後にした。

19時から22時30分のお誕生会はあっという間だった。久々のビールにさほど酔うこともなく、AさんやNさんの気さくなやさしさに触れ、Sくんからカオルくんとの友情を知り、それはそれは楽しいひとときだった。六本木という街すら16年ぶりくらいで、ディスコに通ったころのウキウキした気持ちは、おのぼりのおばさん、というウキウキに変わっていた。

実家へと帰る途中、昔、恋した人がやっているおでん屋へ寄って、旦那が厳しい状態であることを告げた。彼の前では、私はわがままを言わせてもらい、かなりからみ酒だったかもしれない。8月に訪れた時はビール以外のスカッとする酒! と注文したが、どれもこれもスカッとせず、文句を言ったが、今日は生だ! 2杯目は彼がおごってくれた。そして、「俺も見舞いに行こうか?」と、まで言ってくれたのだ。その発言にはびっくり。なんだ、やさしいじゃん♪

私は感激していた。嬉しいけど、もうほとんどカオルくんは、反応がない。欲を言わせてもらえば、肺炎になる前に……。せめて11月中旬に来てほしかった。さすがにそれは言えなかったけど、「見舞いに行こうか?」そう言ってくれただけで、私はググンと元気をもらったような気がする。その後、姉夫婦がやっている居酒屋へ寄り、義兄に車で送ってもらった。

楽しく嬉しい誕生日となった。せつなすぎる誕生日となった。

2月9日(日)

息子ふたりを連れて、我が家へ帰る前に面会。姉夫婦、私の母親も来た。母親の面会は2か月ぶり。手足は動かなくなり、瞳も口もほとんど動かなくなってしまった娘の旦那様の姿に、さぞショックを受けたに違いない。昨日のあの瞳の動きは、きょうはなかった。

2月10日(月)

自分と私の誕生日まで頑張ったのが精一杯だったのか、昨日の動きの鈍さに、「現実を見つめなければ、これからのことを考えなければ」と思い、とうとう2軒、葬祭場の見学をしてしまった。11月末の時点で、あと1〜2か月と宣告されたにもかかわらず、それから2か月半が経過。これはきっとカオルくんの最後の家族孝行なのだと考えたい。

(覚悟はできてるか? あわてるなよ。心の整理はできてるか?)そう言いたいのかもしれない。本人だって最後まであきらめたくないだろう。だから、この頑張りがあるだろうけど、割り切って現実も考えなくては。葬祭場の人に尋ねる自分の姿がやけに冷静で、我ながら驚く。この闘病では、“知らなかった自分”に出会ってばかりだ。

昼過ぎに病院着。目パッチをはずし、今日の日付を伝えながら<葬祭場の見学なんてしてごめんね>と心で謝った。きょうはカオルくんの両親が、病院に見舞ってくれた。年末以来の面会だ。I先生が現れ「そろそろ覚悟が必要かと思います。12日水曜日のM先生からの話は、そのことだと思います」と伝えにきた。私はその話を聞き、思わず「家に帰らせてあげたかった」ともらしてしまい、同時に涙があふれたきてしまった。そんなやりとりを見ていたカオルくんの両親は「カオルー、面倒をみるよと言ってくれてたんじゃないか。なのにどうしちゃったんだよー」と話しかけ、ハラハラと涙を流してる私の姿を心配していた。

2月11日(火)

私たち家族(特に私とちづちゃん)が、最後まであきらめたくないという気持ちをわかってくれていて、私たちと共に“奇跡を信じたい”と言ってくれていたI先生から、“覚悟”という言葉がとうとう飛び出し、さすがに参ってしまった。きょうは私の親友“ありこう”が、千羽鶴とともに面会に来てくれた。「娘もいくつか折ってくれた」という千羽鶴は、それはそれはきれいで感激した。「ねえ気づいてよ!」と、カオルくんに呼びかける“ありこう”のメッセージが悲しかった。

帰りふたりで湯島天神の梅祭りに寄り、近くの酒屋で“湯島の白梅”という梅酒を買って帰った。夕飯に梅酒を口にしたが、私にはめずらしくアルコールがきつく感じた。カオルくんとふたりで飲みたかった。

2月12日(水)

きょうは、16時にM先生からの話がある予定だ。ちづちゃんと兄がそろう。M先生は16時30分にステーションに顔を出したというのに、I先生が行方知れず……。I先生待ちで、とうとう18時。M先生から「Iなしでいきます」と、お話しが始まる。内容は、危篤時の対応についての話だった。なんだ、その件ならすでに12月の中旬に「延命治療はしない」ということでI先生に話してある。2時間も待たせないでほしかった……。

信じられない。最期の日がくるなんてことが……。

ちづちゃんと横浜で夕飯を食べ、帰宅は22時。21時には布団に入ったはずの息子ふたりの様子を見るため、そっと寝室をのぞくとまだ起きていた。ふたり揃って、「お帰り」と言ってくれた。

2月13日(木)

朝、起きるのも、病院へ向かうのも、体が非常に重苦しい。カオルくんの手足はもちろん、瞳も口もほとんど動かなくなってしまったので、面会がつらい。今までのカオルくんに会える! というウキウキした思いは消え、姿を見るのが怖いという気持ちに変わってしまっている。

きょうは、カオルくんの瞳と口がわずかに、わずかに動いた……。

2月14日(金)

夜、ちづちゃんが面会に行くとういうので、病院は休みとした。きょうは花粉症がひどい。布団の中から出られず、やらなくてはいけないこと、探さなくてはいけないこと、調べなくてはいけないこと、たくさんあるにもかかわらず、何ひとつできない……。

息子ふたりの帰宅を待ち、3人で隣町の耳鼻科へ。まあきは鼻炎持ち。ようきはいつも口呼吸をしている。耳鼻科へは徒歩20分ほど。ふたりはよく歩いてくれて助かる。はぁ〜。父ちゃんの病院と息子の病院と、自分の花粉症で……。あ〜疲れてるなんてもんじゃない。

2月15日(土)

姉がいろいろと話したいから、今晩泊まりにいってもいい? と言う。もちろん♪ まあきとようきは小学校の囲碁教室へ。私は湯島で姉と待ち合わせ。かねてから入ってみたかった立ち食いそば屋へ入る。そこはカオルくんが“日本一おいしい”と絶賛していた小諸そばだった。おそばを食べてみると、本当においしくて、悲しくなってしまった。

夜、ちづちゃんが面会できるというので、14時過ぎには病室を出た。きょうのカオルくんは、口と瞳がわずかに動いた。きょうは、まあきとようきの100点満点のテストを、カオルくんに見せてあげた。

父ちゃんが帰ってこない、さびしい夜を、もう何日過ごしただろうか。今夜は姉がそばにいて嬉しかった。話しができる大人がいるって、本当に嬉しいことだ。「カオルくんの夢を見るんだ。歩いてる夢とか。顔を拭いてたら、ありがとうって言った夢とか……」と、私が姉に話すと、「私だって見るよ!」と姉が言った。あらー、姉の夢にまでカオルくん登場してるんだ。

2月16日(日)

きょうの天気予報は、雨から雪だ。息子ふたりを連れて病院に行き、帰ってくる気力はない。ひとりで行こうと昨夜から決めていたが、ふたりに「お父さんに会いに行く?」と聞いてみると、「ウ〜〜ン」と言って黙ってしまう。以前なら「行く〜〜〜!!」と言って、マンガ本やゲームボーイをバッグに入れ、いそいそと仕度をしたのに……。動かなくなって、眠ったままの父親に、会いたいと思わなくなってしまったのだろうか……。

10時40分病室着。両目ともパッチをされているカオルくんの姿が、悲しすぎる。きょうは大きな声を出す力もなく、カオルくんの顔を拭き、爪を切る。このあと何回爪を切ってあげることができるのだろうか……。

その後、I先生がM先生と共に姿を現し、以前お願いしていた放射線科のN先生の受診の件について報告に来てくれた。放射線科のN先生は、今回の脳腫瘍が発見された時の検査を担当してくれた先生だ。カオルくんは毎年、脳のMRI写真を撮り、去年も7月12日に検査をした。その検査結果では何も異常はなく、「脳腫瘍は完治した」と、お墨付きをもらったのだ。だが、その後もカオルくんは妙な頭痛がとれず、こちらからのお願いで、7月16日のMRI再検査となったのだ。その結果、以前の脳腫瘍とは別の場所に、新らしい腫瘍ができているのを発見……。私は、その検査結果に、どうしても納得がいかなかった。

I先生とM先生は、カオルくんの姿を見ながら「N先生の受診は難しい」と話された。「えっ!?、私ひとりですよ。私がN先生にお会いして、お話をうかがいたいのです……。今さらですけど、今回は納得がいかないことが多すぎる。毎年、検査をしていたのに、もう大丈夫と言われたのに、なぜ突然、今回の腫瘍が現れたのか。去年7月12日の検査で見当たらなかったものが、どうして7月16日に見つかったのか? それは、見落としではないのか。“違った角度から検査をしてみる”と、言われたけど、違った角度というのは何なのですか!?」私は今まで抑えていた感情が爆発し、涙がハラハラ流れてきてしまった。「I先生にばかり愚痴をこぼして、本当に申し訳ないんですが……」

I先生を困らせてしまったかな? ふだんヘラヘラしてるM先生も、この時はさすがに神妙な表情になっていた。このところ泣くと吐き気がする。私はこの時もベッド脇でゲーゲー音をたててしまい、トイレに入ってゲーゲーしてると、ステーションにいた若い医師が「大丈夫ですか?」と、私の様子を見にきた。恥ずかしかった。大丈夫じゃない、なんて言えず、無言で頭を下げた。

カオルくんの爪を切っていたら、深爪をしてしまい、右足の親指から血が出てしまった。私はカオルくんのその血をなめ、またその血の一部を手帳の“今日の欄”にこすりつけた。

2月17日(月)

昨夜はずっと泣いていたのできょうは頭が重い。夜、ちづちゃんが面会してくれると言うので、きょうは病院へ行かず、他の用を済ませることにした。

お昼、伊勢佐木町で長崎チャンポンを食べた。カオルくんが大好きだったチャンポン。ひとりで食べたら、まったくおいしくなかった。今日の給食はチャンポンだったのに、ようきは腹痛で学校を休んだ。

2月18日(火)

カオルくんの両腕に、赤や紫色の小さな斑点がいっぱいある。看護婦さんに尋ねたら、血圧を計ったりすると、内出血を起こしてしまうという。体が弱っているからなのだそうだ。よく見ると、カオルくんの目が窪んできた気がする。目パッチをはずして、カオルくんに声をかける。今日は目覚めた感あり。瞳と口が、わずかに動いた。

2月19日(水)

前夜0時30分に眠ったが、2時に目が覚めてしまい、明け方4時ごろまで眠れなかった。その後眠って6時に目覚めたが、頭が重く、布団から出るのがつらかった。まあきとようきが楽しそうに学校へ向かう姿に元気をもらい、病院へ向かった。

きょうのカオルくんは、目パッチが両目にされている。悲しい。目パッチをはずすと目がドローンとしている。口の中、よだれが溜まってあぶく、ぶくぶく。舌がカエルのように震える。カオルくん、昔、冗談で“カエル”って呼ばれるのが大嫌いだったね。けど、カエルみたいだよ。ねえねえ〜〜〜。目……が覚めない。

I先生が病室に現れ、「N先生の時間がとれました」と言った。「あら今から? 心の準備ができてない……」何を聞きたいんだっけ? 私は急いで頭の中で整理をし、手術前日、M先生より説明を受けた部屋に向かった。

説明のための部屋には、MRIの画像が4枚ほど用意されていた。私はポツリポツリN先生に、今まで腑に落ちないと感じた部分を語り、尋ねた。13年前の「脊索腫」を克服したのに、今回はまったく種類の違う「髄芽腫」になった。それ自体が極めて珍しい出来事だという。だが……もしも、「髄芽腫」をもっと初期の段階で見つけることができたら、今が違ったのだろうか? 「ウーン。そう違わなかったでしょう」と、N先生。

過ぎてしまったことだ。何とでも言えるだろう。病院はプロだ。患者は無知すぎる。けれど、過去を悔いることでこの先、カオルくんにとって何かいいことがあるかと言ったら、ないのはわかっている。だけど、ただただ事実が知りたいのだ。息子たちに父親の病気を、闘病を伝える上で、事実が知りたいだけだ。私たち家族は医師の言葉を信じるしかないし、信じたい。

「こういっては何だが、運が悪かったというか……」とN先生。ちょっと待ってほしい。正直なところ、不運という言葉では片付けてほしくないし、その言葉は聞きたくなかった。「奥さんのおっしゃることはよくわかります」と、何度もおっしゃるN先生。しかし……。結局のところ、「普通は子供に発症する小脳の髄芽腫が成人に発症した場合、発症したというだけで助からない」ということなのか? そのままの言葉ではなかったが、何だかそんなふうに言われたような気がする。

だけど、家族の気持ちとしては、そんなふうには割り切れない。難しい病気であるならあるで、もっと他に何か打てる手はなかったのか? 余命の過ごし方を、もう少しいい方向に変えられてあげたのではないか? もしそれが最初からわかっていたことなら、ベッドの上の半年より、自宅での3か月を選びたかった。私はこの後、一生、自責の念にかられて過ごしそうで怖い。

部屋を出た後、I先生がN先生との話し合いを、「どうでした?」と尋ねてきた。私は、「とにかく珍しい腫瘍なんですね……」と、話した。やっとお会いできたN先生だったが、結局、言いたいことの半分くらいしか話せなかった気がする。そして、気が抜けた。

点滴の処置をしにきた看護婦さんが、「どんな話でした?」と聞いてきた。私は腑に落ちなかった部分をひとつ、ふたつ話した。「息子に『君たちの大事なお父さん、守れなくてごめんね』って話す時、父親の病は非常に珍しく、かなり手強いものだったけれど、『お父さん頑張っていたでしょう?』と伝えるためにも、事実を知っておきたいんですよー」

私の話を、ウンウンと聞いてくれた看護婦さんは、その後、「実はカオルさん、以前私の誕生日に、ジュースをくれたんですよ。カオルさんの処置をしながら、『今日誕生日なんです』と、私が話したら、自分で冷蔵庫を開けて、『ハイこれ! おめでとう!』って。たとえジュースでも、患者さんからは何ももらっちゃいけないことになってるので、もらわなかったけど、嬉しかったな……」

そうなんだ。カオルくんは誰にでも優しいから、そのエピソードは本当に彼らしい。「へぇ、そういう話、たくさん聞きたいな。お誕生日はいつ?」と聞いたら、「10月19日です」という答えが返ってきた。肺炎を起こす12日前だ。とっても元気で、抗がん剤投与前の、憎まれ口をたたいていた時だ。

2月20日(木)

ずっとずっと、この闘病を伝えなければと思いながら、電話番号がわからず、探す気力もなく、やっと昨夜連絡がとれたカオルくんの高校時代の友人……。そのガールフレンドである3人が、カオルくんの面会に来てくれた。「もっと早く伝えなければいけなかったのに。ごめんなさい」と謝る私に、その中のひとり“ヒシさん”は私を抱きしめてくれた。カオルくんは男子校で、彼女たちは隣の女子校。お互い軽音楽部でギターを弾いていて、カオルくんの友人らと、いわゆるグループ交際とでもいうのかな……。あのころ、私たちめちゃくちゃだったよね、と教えてくれる。

彼女たちの数々の思い出話に、私の知らないカオルくんをたくさん知ることができた。遅れて、カオルくんと同じ高校の友人が来てくれ、病室は昔の仲間の集いのように、にぎやかな場所となった。カオルくんは意思表示ができず、ほとんど眠ったままではあるけれど、本人は絶対、わかっているはず。喜んでいるはず。何年かおきに集まる飲み会に「私がカオルに代わって行きます」と話す私に、「もちろんよ」と、彼女たちは明るく笑って言ってくれた。

2月21日(金)

春のような晴れ間に、洗濯、掃除、布団干しを久々にこなした。やれやれ、さて病院に向かうかな……と、支度をしていたその時、T大病院の婦長から「カオルさんの容態が悪くなりました。すぐ来てください」と、電話を受けた。

とうとう来てしまったか……。まあきとようきが通っている小学校へ連絡をし、「今から息子を迎えに行きます」と伝えた。カオルくんが家に帰って来た時に寝かすための布団を1階に運び、それから家を出た。小学校はちょうど中休みで、校庭は走り回る子供たちで賑わっていた。まあきとようきは、担任の先生と一緒に、下駄箱の前で待っていた。子供たちが持っていたランドセルや体操服、上履きなどを先生に預け、急いで学校を出た。

よく考えれば、病院への長旅の間や、子供たちが病室での時間を過ごす際の本もオモチャもない。教科書2册くらい持って出ればよかったと悔いながらコンビニに入り、「きょうは特別にオモチャ付きのお菓子を買っていいよ」というと、「やった〜!!」と、ふたりははしゃぎながらお菓子を選び始めた。「早くしてね! 早く!」とせかす私。ふたりはコンビニの小さな袋を、嬉しそうにぶら下げて駅へと急ぐ。学校を早退して病院へ行くという事態に、ふたりは「どうして?」とは尋ねない。何ひとつ尋ねずに、春を感じさせるうららかな陽射しの中を、ニコニコと笑顔で歩いている。

JRに乗ると、ふたりはさっそくオモチャを出して楽しそうに遊び始めた。私は急に頭が重くなり、体全体が熱っぽく感じ始めたが、「ねえ、ねえ、お母さん」と話しかける息子たちに我に帰る。あ〜、本当に子供たちに救われている。このふたりがいるから、きょうも頑張れる……。

不忍池前の通りで姉夫婦と待ち合わせ、病院には昼に到着。病室には、すでにちづちゃんが職場から駆け付けてきていた。

カオルくんは、今朝6時頃、脈が160台まで上がったという。M先生がいらした時、ちづちゃんが「このまま高いままだと危ないですか?」と尋ねたら、うなづき、はっきりと「危ないです」と、答えたそうだ。その後、血圧は60まで下がり、かなり不安定な状況だったという。だが、私が到着した時は、脈拍は平常に戻り、血圧も安定して、なんとか持ちこたえてくれた。

その後、兄夫婦も駆け付けた。義兄はカオルくんの手を握って、ずっと頭を垂れていた。ちづちゃんの娘、カオルくんの両親、友人のAさん、皆が病室に集まってカオルくんの顔をのぞき込み、体温が低くなってきている手足をさする。不思議なことに、私たちの気持ちが通じたのか、カオルくんの体温が上がり、脈拍、血圧も安定してきた。そのままの状況でしばらくは保ちそうなので、高齢のカオルくんの両親は夕方、いったん帰宅することになった。

その後、I先生が病室に来てくれた。カオルくんの腫瘍は、世界的にも珍しい症例だという。何!?“世界”が出ちゃったよ〜。M先生は、「瞳孔が開いてきてしまっているので、かなり危険ですね。ただお若いので、きょう明日は大丈夫かもしれません……」と言う。とにかく脳なので、いつどうなるか、予測は難しいのだそうだ。その後、M先生に「奥さんちょっと……」と、言われ奥の部屋に行った。

M先生がお話を始めた時に、(あ、来たな。きっとあのことだな)と、思った。「今まだ生きていらっしゃる状態で、こういう話をするのはあれなんですけど、解剖をね……。やはりここは、大学病院なのでね……」わかっていた内容とはいえ、やはりM先生の言葉は辛い。「カオルくんがかわいそうです。これ以上は、かわいそうです。去年の入院以来、一度も家に帰れなかったんですから……。1日も早く家に帰らせてあげたい!」私はM先生の言葉に、そうですか、と素直にうなずくことはできなかった。

ただ成人の「髄芽腫」が、世界的に珍しい腫瘍だとしたら……。本人がそれを理解できて、もし自分の気持ちを伝えられる状態であるならば、「そんなに珍しいのなら、俺の頭の中を見てみろ!」と、言うかもしれない。そう、彼はそういう人なのだ。「先生はカオルくんの頭の中を見てみたいですよね? 正直、見たいですよね? でも、でも、かわいそうです!」と、私。皮肉なことに、こうしてM先生と一対一で話すのは、きょうが初めてだ。最後の最後になってからだ。

「先日、放射線科のN先生にお会いした時に、『定期検診をしていたのに、なぜ初期段階で腫瘍を発見できなかったのですか?』と、お尋ねしたんです。そうしたら、『前回の脊索腫は、再発しやすい腫瘍だから、どうしても前回の場所にポイントをあてて診る。まったく違うところに、まったく違うタイプの腫瘍ができるのは、まずあり得ない』……と、おっしゃったんです。それならそれで、世界的にも珍しい初めての症例なら、もっと早い時点でお聞きしたかったです」と、私はM先生に話した。

「前回、手術をしてくださったS先生は九州大学にいらっしゃるという。私とカオルくんの結婚が決まってS先生にお会いした時、『もし腫瘍が再発したら、また私がとってあげますよ』と、おっしゃってくださって、とても安心したんですよ……」この7か月間、言いたくて言いたくてたまらなかったけど、M先生にだけは言えずにいたことを、ここに来て、こんな最後になって、ぶちまけてしまった。M先生は黙って深くうなずくだけだった。

M先生は、明日土曜日から1週間、アメリカへ会議で出張するという。え? いらっしゃらないんだ……。カオルくんの最後かもしれないのに……。残念です……。

その後、Sちゃんが病室に来てくれた。M先生とのやり取りを話すと、「なんでだよ! それならはじめから、治しようがなかったってコトじゃん……!」と、絶句した。

OさんがWさんと一緒に来てくれた。Oさんは「明日ってことはねえよなあ。明日、実は重要な仕事があって……」と、おっしゃるので、「じゃあカオルくんに直接言ったらどうですか? 明日はやめてくれ、と」と私が言うと、「そんなこと、言えるわけないよ」と落ち込むOさん。Oさんは私を手招きして廊下にださせ、「あのさ、覚悟しておいたほうがいいなあ」と言った。私は「覚悟できてますよ〜」と。Oさんは自分で自分に言い聞かせているかのようだ。その優しさに、心が暖かくなった。

OさんもSちゃんもAさんも、状況報告をしただけのつもりだったが、すぐに駆け付けてくださり、感謝感激。Sくんは仕事で抜けられず、メールで励ましてくれた。Oさんに、家族控え室にいたまあきとようきに会ってもらった。Oさんの坊やは、次男のようきと同じ小学校1年生だ。Oさんは、ふたりを愛おしそうに見つめ、それから帰って行った。

今晩、まあきとようきは実家の姉に預け、私と、兄夫婦、ちづちゃんと一緒に病院に泊まることにした。

2月22日(土)

病院に泊まり込んでの朝。きのうはどうなることかと思ったが、何事もなく無事、朝を迎えることができた。きのうは控室のソファで休んだが、1時間おきくらいに目覚め、一晩中うつらうつら。ほんの少し眠れたかなという感じだ。一緒に病院に泊まったちづちゃんは、夜明けとともに帰宅し、会社に出勤した。

カオルくんの状態は落ち着いているので、私もいったん家に帰っていいものかどうか、迷い……悩む。ステーションにいた若い医師が、「帰るなら今だ」みたいなことを言い、義姉も「私たちがいてあげるから帰りなさい」と言ってくれたので、意を決して9時に病院を出た。頭が重く、脳みそが疲れている。

JRで1時間10分、洋光台駅に到着。家にってお風呂に入り、今後に必要ないろいろな仕度をしながらおむすびにかぶりつき、カオルくんのためのスーツを選ぶ。そう、“病院を出る時”のためのスーツだ。いいブレザーがあるが、どれと組みかわからず。結局、専門店で買ったスーツをとりあえず持っていくことにした。当時“安い!”と価格を絶賛していたものだ。在宅時間2時間でふたたび病院へ。

私が不在のあいだに、カオルくんの生まれ育った大和の友人がお見舞いに来てくれていた。その友人Sさんご夫妻は、趣味でご主人はインド音楽、奥様はインド舞踊をなさっている。12年前の脳腫瘍の手術、退院後初のデートは、ご主人が出演された新宿のお寺での『インド音楽の夕べ』だった。そういえば演奏を待つあいだ、カオルくんとふたりで“チャイ”を飲んだっけ……。

そしてまた私の不在時、Sくんも面会に来てくれた。“カオルくんは、お嬢ちゃんのようにほっぺを赤くして……”とメールをくれた。その時は、血圧が200まで上がっていたらしい。私がふたたび病室に戻った時、血圧はほぼ平常に下がっていた。

カオルくんの大学時代の友人、PちゃんとSちゃんも来てくれた。Sちゃんは2日続けてだ。カオルくんの会社のWさんもみえた。そしてTさんも。こんな集まってくれて、カオルくん嬉しいね。一時は上がった血圧も、下がったまま落ち着いている。みなさんのパワーが、カオルくんの生きる力になっているんだと感じる。

そして、カオルくんがイスラエルのキブツで暮らしていた時代の友人、Kさんという女性も面会。カオルくんのベッドサイドで、お祈りを上げてくれ、イスラエルの「希望」という歌を歌ってくれた。「ぼくは脳腫瘍という病がありながら、結婚もできたし子供もふたりいるし、とても恵まれているんだ」以前、カオルくんは、そんなふうにKさんに話したという。

今夜は私ひとりが病院に泊まることになった。暗い廊下を、家族控室に向かって歩いていると、私を呼ぶ声がした。小走りに駆け寄ってきたのは看護婦のYさんだった。「私、今日久々に『恋ふたたび』のホームページ見たんです。“家族愛”の力ってあると思うんです」

2月23日(日)

病院での泊まり込み2日め。昨夜は眠れるかと思ったら、やはり1時間ごとくらいに目が覚めてしまい、今朝も頭が重い。だが、きょうも無事に朝を迎えられたので、神様に感謝をする。兄夫婦が午前9時半ごろ到着。ごはん、コロッケ、青菜の差し入れが嬉しく、病室でモリモリ食べてしまった。

きょうのカオルくんの血圧は、70前後と、ずっと低いままだ。今日もいったん家に戻るべきかどうか悩んでいるところに、ちょうどI先生がいらした。私が昨日帰宅したことも、すでにご存じだった。そして「今日は家に帰ることは、おすすめできません」と言う。そうか……。私は、きょうはずっと病室にいることを決意した。

午後、頭の重さは、本格的な痛みに変わり、頭が割れそうに響く。つらい。自分の身をどうすることもできず、控室で少し横になった。やがて姉夫婦が、まあきとようきを連れて病室に来てくれた。私は姉にわがままを言う。「ベーカリーのチーズパンと、りんごの入ったパン、牛乳とドリンク剤を買ってきて!」姉が買ってきてくれたパンを食べ、頭痛薬を飲んでしばらく休むと、次第に痛みはやわらいでいった。よかったー。

その後、Kくんが病室に来てくれた。みんな、本当によく来てくれる。カオルくんの高校時代の後輩Sさんも来てくれる。本当に、つくづくカオルくんは素敵な友人をたくさん持ってるね!

ちづちゃんが「私は今晩病院に泊まり、明日朝、病院から出勤するから、なみちゃんはきょう帰りな。なみちゃんが倒れたら大変だよ」と言う。そういうふうに言われると、確かにそう思い、ここはいったん家に帰ろうと、姉と一緒に、息子ふたりを連れて病院を出た。だが、なんだか気が進まない。私の重い足取りを姉に気づかれ、「悩んでるなら、病室に戻りな!」と言われた。

「そうする!」私は姉の言葉に、ふたたび病院に取って返し、家族控室にいたちづちゃんを驚かしてしまった。枕とタオルケットを取りにいったん病室へ戻り、控室へと行ったはずなのだが、ありゃ〜、エレベーターホールへ出てしまった。すでに時間外なので、ドアは各病棟のカードキーがなければ入れない。いわゆる締め出しされてしまったのだ。ありゃりゃ〜〜どうすればいいの私!? しばしボー然。 きょうも脳みそ、かなり疲れてる。

迷った私は、1階の面会受付ロビーへ下りる。よかった人がいた。受付の人に事情を説明すると「大変ですね」とカードキーをくれ、無事控室に戻ることができた。ちづちゃんに締め出しをくった事情を話すと、大笑いされた。「あまりに帰ってくるのいが遅いから、病室で名残惜しくて、兄貴にキスしまくってるのかと思ったよ」と、言われた。

22時30分。早めに消灯。明日もカオルくんに“お早う”と言えるだろうか? 朝を無事に迎えられるだろうか? 今夜は眠れるかな?

2月24日(月)

夜中の3時30分。家族控室で休んでいた私とちづちゃんは、看護婦のOさん、Kさんに「すぐ来てー」と起こされる。「カオルさんの心臓が……」と言うのに、私はテーブルの上の荷物(ほとんど食料)をまとめて手に持ち、カオルくんの病室に駆けつけた。だが、病室に着いてみると、カオルくんの容態は、また持ち直していた。

「落ち着いてきました。ごめんなさい」と、ふたりの看護婦さんに謝られてしまった。「ごめんなさい、なんて言わないでくださいよー」と言う私の手には、スーパーの大きな袋がふたつユラーン。地震や火事でもあるまいし、荷物なんてどうでもよく「手ぶらで行けよ!」と自分に言い聞かせながら、ちづちゃんと駆けつけたベット脇で笑ってしまった。ちづちゃんも自分の荷物をまとめていたので、私より到着が遅れた。あーあ、大丈夫だったから、こうして笑える。

しばらくカオルくんのベッド脇にいたが、なにしろ真夜中だ。明日も会社で仕事のあるちづちゃんは、休むために控室に戻った。私もしばらくしてから、家族控室に戻った。きょうも一度家に帰ろうかどうしようか迷ったが、でも、やっぱり帰らなくてよかった……と思わせるような出来事だった。

朝方、目を覚ますと8時30分だった。短い時間だが、どうやら熟睡できたようだ。9時、カオルくんの病室へ行く。カオルくんは落ち着いていた。きょうの天気は雨……それから雪だ。午後になると、姉がまあきとようきを連れて病室に来た。ふたりはとても元気だ。ここに来る途中で買ってきた雑誌、「小学3年生」「小学1年生」を夢中で見てる。

病室でのランチ。サンドイッチとおむすびをペロリとたいらげたまあきが、「もうちょっと何か食べたい」と言う。食の細いまあきがそんなこと言うなんて……。嬉しい。かわいい。「メンチカツ食べる?」「うん!」子供が食べてる姿というのは、本当にいいものだ。私の亡くなった父親は、「子供がものを食べている姿が、一番好きだ」と、よく言っていた。

夕方になると、姉とふたりの息子は実家に帰っていった。今回のことで学校をたくさん休むことを、ふたりとも不安を感じている様子は、あまりない。よかった……。

泊まり込みが続いているので、私がシャワーを浴びることができないかどうか、ちづちゃんが看護婦さんに聞いてくれた。正直、私1週間くらいシャワーなんか浴びなくたって構わないのだが……一応ladyだし!? 婦長が不在で、主任もいい顔をしていないという。「無理ならいいですから」と遠慮する私に、「でも……」と心情を思いやって主任の了承を得てくれ、シャワーを浴びることができた。だがシャワーを浴びられたことで、やはりさっぱりした。気分もリフレッシュできた。

病院が患者だけではなく、患者を支える家族のケアも考えてくれたら、どんなにいいだろう。日本の医療現場は、患者を支える家族にとって必ずしもケアが充分とは言えないと思う。もちろん病院によって違いはあるとは思う。安い医療費で高度治療を受けることができる国立病院は、治療以外の部分で細部に行き届かない面もある。さまざまなハードルがあり、簡単に改革を語ることはできないだろうけど、もし可能なら、そういったことも考えてくれたらいいなと感じた。

2月25日(火)

ちづちゃんと共に家族控室で迎えた朝。夜中、看護婦さんに呼ばれることなく、きょうも無事に朝を迎えることができた。6時30分に目覚めるも、なかなか体を起こすことができない。カオルくんに会いに行かなきゃ。行かなきゃ……。

病室に入ると、おっ、顔色いいじゃん。落ち着いてるかな? 血圧は100以上あり、落ち着いてますね! 家に戻れるか、戻れないかはデータ(数字)よりも、顔つきを見て決める。第六感だ。直感で大丈夫そうか、大丈夫じゃないかだと。うん、これは大丈夫! と意を決して自宅に帰る。

午前10時自宅着。大急ぎでお風呂につかり、着替えをまとめ、小学校に電話をし、2時間もいないで家を出る。横浜のダイエー西口店薬売り場で薬包紙を分けていただく。今回は代金を払おうと決めていたのに受け取らず。感謝をし、病院へ急ぐ。JRの中ではコックリコックリ眠る眠る。昨日の雪と打って変わって今日は春の陽気だ。

再び病院に戻ったのは14時。ふ〜〜疲れた〜〜。15時。カオルくんの高校時代のガールフレンドが面会に訪れ「今日はカメラを持ってきた」とカシャカシャ撮り始める。その後、カオルくんの会社の女性ふたりが面会。さらにLADYWEB.ORGのAさんとカメラマンのNさんが面会。Nさんも撮影開始。女性ふたりが、カオルくんの姿をカメラでカシャカシャ。なんだか不思議な光景だ。その後、カオルくんの部下Sさんも来てくださる。今日は女性の面会6人という、超モテモテのカオルくん。すごいねえ。やるねえ。幸せだねえ。

一時33度台に下がってしまったカオルくんの体温も、布団の2枚重ねて35.1度に上昇。しかし、また34度後半に逆戻り。その割に手足はあったかいが……。だが手足は、今朝よりももっとひどくむくんでしまっている。右手の甲なんて“まり”のよう! 右手のひらは手相も見えないほどだ!

2月26日(水)

きょうも無事に朝を迎えることができた。7時30分過ぎに病室へ。カオルくんはスヤスヤ眠っている。看護婦さんに、朝までの容態について尋ねると「深夜もずっと安定していましたよ」との返事。そうか、よかった。

ならばいったん私は、帰宅できるだろうか? 今日、仕事がお休みのちづちゃんは昼過ぎに到着予定だ。それよりも前に病院を出るのは、カオルくんをひとりにさせてしまうことになり、なるべくそれは避けたい。だが、今日、カオルくんの大学時代の後輩の女性がふたり、面会に来てくれるというので、早めに家に帰って早めに病院へ戻りたい。思案していると、I先生が現れた。いったん家に帰るかどうか悩んでいる、ということを伝えると、I先生は、「いいんじゃないですか?」と言ってくれた。データではなく、カオルくんの顔つきを見て、第六感で決めるという。その直感は大丈夫! ……で帰宅を決意した。

昨日とうって変わって外は春♪ しかし、花粉症の私にとってはつらい季節だ。マスクの2枚重ねで呼吸が苦しく、JRの車内でハーハー息をする。13時30 分自宅に到着。シャワーを浴び、着替えを持って14時30分に自宅を出発。自宅滞在は約1時間だった。

病院へ向かうJRの車内ではコックリコックリ。眠る眠る。16時病院着。ちょうどカオルくんの大学時代の後輩の女性、SさんとKさんがいらしたところだった。よかった、間に合ったと、ホッとひと息。と同時に汗がダラ〜〜〜ッ。サークル“カポ”の話になり、デジカメで撮影した。Sちゃん、Pちゃん、Iくん、Kくんなどの様子を見せる。話が盛り上がってよかったー。

夕飯はちづちゃんがお総菜3品を持ってきてくれ、食堂で食べることとなった。そのちづちゃんといえば、お総菜とごはんの詰まったリュックサック姿。手提げにはラップ、箸、紙皿などを持ち「兄貴、ごはん食べてくるからね!」と元気よく病室を出て行くちづちゃんの姿は、まるでピクニック。どんなお総菜かしら? と私はウキウキしながら、カップを持ち、ちづちゃんの後ろをついて行った。

ちづちゃんのお惣菜は、大根と人参の炒めもの、切り干し大根のミルク煮、くらかけ豆の煮物……それはそれはおいしいこと。眼科で入院のご婦人たちの夕飯はおでん。私たちの様子を見て「あら、おいしそうね。病院食は飽きちゃって」と一言。すかさず、ちづちゃんは「よかったら食べてください。どうぞどうぞ回してください」と勧める。6人ほどのご婦人たちも、ちづちゃんの料理に舌鼓を打つ。なんて和やかなの。とても重篤な患者の家族には見えないだろうね、と自分たちの姿に笑い「まるで温泉宿にいるみたいだね」と、言いながらの楽しい夕飯となった。

午後、カオルくんの開いていた瞳孔が小さくなったと知り、脳の機能が回復したのかと喜んだ。だが、I先生によると「単によいとは言えない」とのことでガッカリ。消灯前にもI先生が見えたので、またいろいろと尋ねた。通常、カオルくんの腫瘍、髄芽腫というのは、発症した段階で5年ともたないという。過去に5年生存したのは子供だけで、成人で発症した場合、もっと生存率が低くなる。ましてやカオルくんの場合、場所が脳幹にかかっていたので、さらにさらに生き残るには厳しい確率になると言う。いかに今回の腫瘍が珍しいものか、先生と話せば話すほど、それが明らかになっていった。

私は以前から抱き続けてきた疑問、なぜ昨年7月12日に撮影したMRIで、今回の髄芽腫が見つけられなかったのか、なぜその4日後のMRIでは発見されたのか、再度それを聞いてみた。カオルくんが昨年7月12日に撮影したMRIは、脳を縦に映したような写真だった。4日後の、7月16日に撮影したMRI は、脳を水平に映した写真だった。なぜ、MRIは同じ方向のものではないのか?

詳しく聞いてみると、カオルくんの前回の腫瘍、脊索腫は、矢状断(横から)と前額断(前から)という方向、つまり縦割りのような状態での撮影が通常であるという。それに比べ、髄芽腫は水平断で見つかると言う……。脊索腫は再発しやすいので、どうしてもMRI検査では、脊索腫を発見しやすい矢状断と前額断からの撮影になる。それが髄芽腫が見つからなかった理由だろう、というのだ。

今回のカオルくんの病気には、さまざまな“不思議”が重なっている。再発しやすい脊索腫が、再発せずに治癒してしまったこと。同一の人間の頭の中に、まったく新しい別の種類の癌細胞ができたこと。そして、その新しい癌細胞とは、通常、子供にしかできない髄芽腫という種類であったこと。このさまざまな“不思議”が、カオルくんの病気を見えにくくし、治療し難くした大きな理由なのだ。最期の最期になって初めて、カオルくんの病気が見えてきた……。

今晩は、脈、血圧とも安定していて、顔色もいい。ちづちゃんが今晩泊まってカオルくんを見ていてくれるというので、お願いすることにし、私は母や子供達が待つ実家に帰った。

2月27日(木)

実家で迎えた朝。5日ぶりの布団は、ぬくぬくと心地よかったが、花粉症のせいで、起き抜けから目がかゆくてつらかった。元気な息子達と言葉を交わし、朝風呂に入ってから病院へ向かう。歩く道に連なる梅の花が美しく、 もうすっかり春の陽気だ。

14時。大学の後輩という女性ふたりが面会に来てくれた。ひとりの方は静岡の三島から来てくださったCさん、もうひとりの方はMさん。そして、何回か来てくれているYちゃんの計3人が面会。ここ数日間、面会に来てくれる方は、みな女性ばかりだ。

カオルくんは昨日、脈拍は80前後で安定していたが、今日は61に下がっていた。でも顔色はいい。手足も温かいのでひと安心だ。そこへI先生が「(オペが)早く終わりました」と病室に顔を出してくれた。「60で安定はしているけれど、脈が下がったことが気になりますねよねー」と。ここ数日間、I先生も病院に泊まり込んでくれている。「夕べはベッドが空いてなくて、ソファに寝ました」という。カオルくんのために……本当に申し訳なく、感謝の気持ちでいっぱいだ。

2月28日(金)

病院で迎えた朝。きょうも無事だったことが嬉しい。きょうは2月最後の日だ。カオルくん、明日から3月だよ!

きょうのカオルくんは、血圧110で安定している。脈拍は昨日から60で安定。体温35.1度とやや低めだ。昨日夜の回診、けさの回診ともに「安定してますね」という結果でひと安心だ。きょうはM先生がお帰りになられる日。それも心強い。

きょうもカオルくんの大学時代の後輩の方、男性のMさんとNさんが、面会に来てくださった。その後、姉が、まあきとようきを連れて来てくれたので、ランチは湯島まで出ることにした。小ぎれいなしゃれた中華料理店でのお昼ごはん。サラリーマンの人たちの昼食に混ざって、ふたりはおいしそうに食べてる。とても父親が重篤な状態とは思えない。

16時前。まあきとようきは、「お父さんまたねー」と、ベッドのカオルくんに声をかけ、元気よく帰っていった。カオルくんの状態は、昨日より安定しているので、私はかなり悩んだ末、自宅に帰ることにした。今夜はちづちゃんが、病院に泊まってくれるので、安心していられる。

1週間ぶりの洋光台の自宅。私の胃薬と花粉症の薬が切れかかっているので、家に帰るなり荷物を置き、自宅近くのかかりつけのT内科へ駆け込んだ。T先生は歳の頃たぶん私と同世代で、いろいろ話せる温かな先生だ。私の病状とともに、カオルくんの病気の事も気遣ってくれ、具合を聞いてくる。きょうはカオルくんの病状のほうをメインに話し、脈拍60、血圧110、瞳孔8mmから6mmになったと説明する。

「ウ〜ン、厳しいねぇ。脳幹でしょ。なるべく一緒にいてあげたほうがいい。子供が学校を休んでることは、しかたないよねー」とT先生。そうだよね。そうだよね、と再確認する。T先生の診察では、カオルくんの病状ばかり話していたので、自分の血圧がいくつだったか、なんてすっかり聞き忘れてしまった。

先週の金曜日に初めて「危篤」の連絡を受けてから1週間が過ぎた。この1週間ほど、ハラハラドキドキしたことはない。もちろん、この先、もっとドキドキの毎日は続くのだろうけど……。久々の我が家は、寛げそうでいて、カオルくんがいないことを実感させられるのでつらい。

夜、Oさんから電話があった。「月・火と北海道出張なんだけど……。大丈夫だよな?」
カオルくんに言っておきます!