カオルくんの闘病記

12月1日(日)

カオルくんに病状の告知をするため、ちづちゃんと14時に病室で待ち合わせをした。その前に姉と姉の夫(義兄)と、湯島駅で10時50分に待ち合わせ。病院の窓から見える細長い変わった形の「ホテルS」のラウンジでお茶した。義兄は、「前回面会に来た3クール目が始まる前あたり(10月13日)で、治療が非常に厳しいことはわかっていたんだから、もしもの時はどうしたいのか、おれが本人に聞いておけばよかった」と、言って涙ぐんだ。義兄は6人きょうだいの末っ子で、義理の妹の私、そして義理の弟のカオルくんを、とてもかわいがってくれている。

今年のお正月、私は結婚後、初めて寝込むほどの風邪をひき、私の実家へカオルくんと息子ふたりの3人で帰ったのだ。「ナミエが来れないのに、3人で来てくれた」と、母親はもちろん、姉も義兄もとても喜んでくれた。なのに……。

カオルくんと面会する。彼は目を開けていて、「わかる?」と声をかけるとうなずく。義兄と姉も「わかる?」とたずねる。カオルくんはわかっている。それでもぼーんやり。義兄はショックだったろう。ところがその後、カオルくんが勤めている会社に関係する新聞記事を見せ、ベッドサイドで説明し始めると、とたんにカオルくんの様子が変化した。

今まで寒がって出そうとしなかった腕を出し、新聞を手でつかみ、自分で読み始めたのだ!! すごい!! やっぱり仕事のことに関係した話だと、頭が冴えるのだ。姉夫婦も「おーっ」とびっくりしていた。そして、最初はぼんやりしていたカオルくんの顔が、どんどん生き生きとし、シャッキリしたのだ。こんなに違うなんて……。姉夫婦が帰ることになり、「ロビーまでふたりを送ってくるね」と言ったときも、カオルくんはシャッキリと手をかざし、挨拶をした。

その後、ちづちゃんが到着。また兄夫婦も面会に来た。初めはただ声をかけるだけだったが、ちづちゃんが少しずつ現在の病状について、カオルくんに話し出した。「最初は楽勝……と、思っていた感じとはずいぶん違って、かなり手ごわい腫瘍なんだって。だから、もっともっと気力を振り絞らないと、病気に負けちゃうんだよ! わかるー? まあきとようきと、ナミちゃんが待ってるんだから、がんばるんだよー!!」と切り出してくれた。「のんびり構えてたら、にっくき細胞が悪さをするってー。今まで以上に気力を奮い起こさないと、だめなんだよ。わかるー?」カオルくんは、ウンウンと浅いうなずきだったが、じっと周りの人達の目を見て聞いていた。

今度は私がカオルくんに話しかける。「くたばるなよー。今度は私が働いて、カオルくんは家にいればいいんだから。カオルくん、私にパソコン教えてくれなきゃ困るよ。車もカオルくんは助手席で、私が運転するけど、ナビゲーターがいないと困るよ。クリスマスのケーキ、予約の申し込みも締め切り過ぎちゃうよ。毎年、港南台のお店でケーキを予約してくれたでしょ!? まあきとようきと4人で食べるんだからね!!」カオルくんは時折うなずいて聞いていた。

ちづちゃんが、カオルくんに何か食べさせてあげたいと言った。K先生がアイスクリーム、またはヨーグルトならいいですよ、とおっしゃるので、さっそくヨーグルトを買ってきて食べさせてみた。カオルくんは、ほんの少ーし、なめる程度。「おいしい?」コクンとうなずいた。ゆっくり少しずつスプーンを運ぶと、カオルくん自ら口を開け、舌を伸ばした。病院食じゃなくて、たくさん、たくさんおいしいものを差し入れしてあげればよかった……。ごめんね、ごめんね。看護婦さんが「肺に入ってないかしら?」と心配しながら、私たちの様子を見ていた。

17時。そろそろ……帰る時間だ。K先生に、このHCUを出て、7階の一般病棟へ戻ることについて質問すると「それがですねー、まだ呼吸器がはずせないんです。今のままだと、肺に炭酸ガスがたまってしまうんですね。うまく吐けない」との答え。だから、7階に戻るのは難しくなってきたのだとと言う。えーっ!? よくなってると言ってたのに……。

1階へ下りた時、偶然レストランにいるI先生を発見!! 体育会系外見そのままに、I先生は丼物を食べる姿も豪快で気持ちいい。逃がしてなるものか。スターを待つファンの思いでじっと待つ。先生が出てきたところで、ちづちゃんとふたりで駆け寄り、カオルくんのことを聞いてみた。「ずっとお会いできなくて……」と私たちが言うと、I先生はずっとオペで、忙しかったのだとおっしゃった。

今ひとつはっきり内容がわからない、免疫療法についてたずねてみた。「樹状細胞療法は5〜6年見ていますけど、効果は見られませんねー」とはっきり言う。話をする中で、I先生ご自身の体験も知ることができた。I先生は父親を54歳で亡くしていたのだが、その時はあえて抗がん剤治療をやらなかったのだと言う。それで医者になったのだろうか。

I先生はお話ししやすいので、なんでも聞くことができる。また、ひとつひとつ私たちにわかる言葉で、とてもていねいに教えてくれる。だからつい、I先生に頼りたい気持ちになってしまうのだ。直接の担当医ではないのに……。

「先生にお聞きしますが、民間で免疫療法をしている病院がありますよね? それらについては、どう思われますか?」「そうですね。そういう療法というのは、効果があったケースだけしか発表してませんからね。客観的な判断は難しいですね」「たとえば腫瘍が消えた、という例に、脳腫瘍はほとんどないんですよね?」「頭は脳関門で守られていますからね。ふつうの臓器と違って、薬が効きづらいんです」と、おっしゃるI先生の言葉に、私たちはウーンと、うなってしまった。

12月2日(月)

私の胃薬がなくなったので、近所の医院に行った。「その後、どうですか?」と、事情を知っている医師に聞かれ、自分の病状そっちのけで、カオルくんの病状について話し込んでしまった。そして、セカンドオピニオンについても聞いた。たとえば、転院したらどうなのか……? 「今その状態で、動かすほうが危険でしょう」と、先生。そう、答えはわかっていた。

2時近くに病院に着いた。まずは7階の一般病棟へ行く。ちょうどK先生ともうひとりの医師とが、胸部のレントゲン写真を見ながらあれこれ話をしているを見かけた。間違いない、絶対にカオルくんの写真だ。「ICU管理だったので……データはあります」などなど、切れ切れに言葉が聞こえ、真剣な様子で、延々と話している。今まではパソコンに向かっているK先生の姿しか見ていなかったので、“ちゃんとやってるじゃん”って感じだった。もちろん、ちゃんとやってくれないと困るのだが……。

K先生たちの話が終わったところで、保険関係の書類をお願いする。そして、「M先生がお話をしたいと言ってますが、きょうは何時までいられますか?」と聞かれる。私は「何時でも待ちます」と答えた。今は、家に帰ってる場合ではない。樹状細胞療法はやらないと伝えなければいけない。また、民間の免疫療法を行っている病院で、画像と病状治療状況がわかるものを持っていけば、薬を処方してくれるかもしれない。それは、粉の飲み薬なので口からは飲めないことなどをK先生に相談すると、「看護婦さんに言って、鼻から入れてもらうことはできます」と言う。「それをきょうM先生に話をしても大丈夫でしょうか?」と聞いた。「だいじょうぶだと思います」とのK先生の返事だった。

12月3日(火)

午前中、Aさんより電話。カオルくんが勤務している会社のN社長が、14時にカオルくんに面会してくれるという。やったー♪ それをさっそくSくんに伝えると「久々のグッドニュース!」と喜んでくれた。カオルくんは、N社長をとても尊敬しているので、お会いすればきっと元気が出るに違いない。

この日は、姉夫婦と川崎で合流し、かなり明るい気持ちで病院へ向かえた。息子ふたりも学校を休ませ、一緒に病院に連れて行った。きょうは人工呼吸器の、喉につながった管を外す。久しぶりにカオルくんの声が聞けるかもしれないからだ。「お父さんを応援しに行くよ」と、私が言うと「うん!」と、ふたりは楽しそうにゲームボーイとマンガをショルダーバッグに詰め込んでいた。

川崎で姉夫婦と合流。面会前、みんなで御徒町の回転寿司に入る。息子ふたりは食べる食べる。ようきは威勢よく「イカー、マグロー!」と次々注文し、お寿司を握っているおじさんから「たくさん食べてね」と声をかけられると「はーい」と返事をし、とてもおかしく楽しかった。長男のまあきは超恥ずかしがり屋なので、ひとつも注文できず、義兄に頼りきっていたが、次々に食べるので義兄はびっくり。「食べっぷりがよくなったなー。どこでも連れて行けるなー。でも、お腹こわさないでくれよ」と言うほどだった。おいしそうに楽しそうに食べる息子ふたりの姿が、愛しくて愛しくて、胸がいっぱいになってしまった。

お寿司を食べた後、病院に向かった。カオルくんに早く会いたい反面、会うのが怖い。病院が近づくにつれ胸が、胃が苦しくなる。病室へ入ると、カオルくんは目を開けていた。それだけでなんだかホッとする。息子たちが「お父さん、お父さん」と呼びかけるが、相変わらずぼんやりしている。じゃあ何か書こう…… と、まあきは漢字と計算式、ようきはひらがなを、紙に書いてみせる。「まあきもようきも、勉強がんばってるよ。安心しな!」と言う私の声にうなずく。その後、カオルくんの両親も到着。

13時30分に喉の管をはずして会話を試みる予定だったのだが、K先生のオペが押していて、はずすのは15時30分ということになってしまった。それは困る! 16時に三鷹のクリニックに、カオルくんのことを相談に行く予定してあるのにぃー。大学病院は、本当にスムーズにはいかない。

Yさん、Kくん、Kくんの奥さんのA子さんの3人が来てくれた。Kくん夫妻は私たちが結婚した秋、我が家へYさん夫妻と共に遊びに来てくれた。それ以来会っていない。だから本当にきょうは久々なのだ。超久しぶりに顔を見たKくんに、きっとカオルくんは驚いていたに違いない。Yさんは涙を流しているのか、ティッシュでやたらに鼻をかんでいた。

14時過ぎ、カオルくんの会社のN社長が、Aさんと共に面会に来てくださった。N社長がは80歳近くとは思えないほど艶やかで、瞳がキラキラとしていた。さっそくベッド脇でカオルくんに声をかける。N社長は、とても優しいお声をしていた。「わかるか? がんばれよ!」うなずいているカオルくんの姿に「わかってるね」とおっしゃった。

N社長は、とてもお忙しい方なのにしばらく病室におられ、カオルくん本人はもちろん、私や息子、妹、家族皆を励ましてくださり、感激だった。帰られる際「奥さんも体に気をつけて。今度、会社のほうへ遊びにいらっしゃい」と言ってくださった。私は思わず「握手してください」と両手で社長さんの手を握りしめてしまった。ちづちゃんも「私もー」と握手。本当にありがとうございました。私たちまでパワーをいただきました! え……い、がん細胞をやっつけろ……!!

やがてK先生が「遅くなってすみません」と、現れる。人工呼吸器をはずすための処置をするため、いったん私たちは病室の外へ出された。K先生と看護婦さんが、管をはずす処置を始めた。そして次は、看護婦さんの「あ〜っ」という声が聞こえてくる。「こんな風に声を出してみてー」と、カオルくんに問いかけている様子だ。看護婦さんからのOKが出て、どうぞと、うながされ私たちは病室の中へ入った。

みんなが見守る中、カオルくんの声が聞けるかどうか、期待と不安が入り乱れる。カオルくんは、一生懸命に声を出そうとするが、声にならず、スースーと音が漏れてしまう。息子ふたりが大きな声で言う。「おとうさ……ん、おとうさ〜ん。何か話して、おとうさ〜ん。名前言ってみて……」

何なんだろう、私たち親子は……。今、何をしているのだろう? 今年の6月までは、とてもにぎやかに暮らしていた。お父さんとお母さんと、まあきとようきの4人家族で。たった5か月で、たった5か月で、ふたりが大好きなお父さんは、今は声が出せないなんて……。これは本当に現実なの? こんな悲しいことがあっていいの?

私は「お父さん、お父さん!」と、カオルくんに声をかける息子ふたりを、ちゃんと見れずにいた。「……き」「……き」と、カオルくんの声は微かに、わずかに「き」だけ聞こえる。まあき、ようきの「き」だけ聞こえる。でも、「ナミエ」は聞こえなかった。空気が抜けてしまって、声にならないのだ。

その後、I先生も病室に来てくださって、なんとかカオルくんの声が出るように……と、努力してくださったのだが……。とうとう無理だった。残念……残念……遅かった。

その後Uさん、Yさん(前出のYさんとは別人)が来てくださる。Uさんはカオルくんの状況を見て、ショックを隠しきれない様子だ。無理もない。去年、久々に飲んで「昔は世間に対して“違うものは違う”と、はっきり言って戦ってきたけど……。結婚して子供を持って、ずいぶん我慢しながら、家族を守っているんだなーと感じたのよ」と言う。

Yさんは7月の手術前、面会の際にパソコンを広げ、カオルくんと仕事の話をしていた。その時にやりとりした内容を、きょう企画書にまとめ持って来てくださったのだ。やはりカオルくんには、仕事の話がいちばん刺激になる。カオルくんは、不自由な手で、企画書の入っているケースを掴もうとする。Yさんが「早くよくなってくれないと困るんだよ。おまえ出版社に知り合い多いだろ? この企画を売り込んでくれよな。頼むよ……」それと前後して、今度はSちゃんが来てくれた。「おい、わかるか?」と、カオルくんに声をかける。Sちゃんは、「いつも本当にわかってるかなー?」と、不安がる。

K先生が、お願いしてあった画像と、診断状況報告書を持ってきてくださった。その時カオルくんは、そんなK先生を目で追い、自分の診断画像に強い視線を送ったようだ。Sちゃんが「すごかったぜ、今のカオルの目」と言うので、気づいた。やはり、自分の病状が気になるのだろう。私とちづちゃんがK先生と話している内容が知りたいに違いない。

Sちゃんがそろそろ……と言い「またな!」と、カオルくんに言うと、カオルくんはしっかり手を振った。わー、すごい。Sちゃんも、私もちづちゃんもびっくり。まだまだ大丈夫! そんな、カオルくんの動きひとつが、私たちを元気づけてくれる。17時過ぎ、名残惜しいけど帰宅することにする。カオルくんはいつものように指2本を動かして、バイバイをしてくれました。

息子ふたりは帰りの電車の中、楽しそうにゲームボーイをしていた。夜、ようきが「今度いつ病院へ行くの? 行かれるの?」と聞いてきた。「行くの?」を「行かれるの?」と言い換えたのは、行きたいという強い気持ちの表れだろう。「明日も行く?」と尋ねてみると「うん、行く決心がついた!」と、かわいいことを言っていた。 まあきは、ともかくマイペース。いつもと変わらずの調子で、帰宅後、思い出し笑いをしていて、それはそれで微笑ましかった。

お父さんの声は聞こえなかったけれど、
お父さんを励まそうと、たくさんの人が来てくれていたでしょう。
あなたたちふたりのお父さんは、たくさんの人から愛されている、立派な人間なんだよ。
今はまだよくわからないと思うけど、君たちが中学生になり、高校生になり、
やがて社会人に……となるにつれ、少しずつ、わかってくると思うよ。
ぼくたちのお父さんは、強くて愛される人間だってことがね。

12月4日(水)

朝ごはんの時、ようきが「いい夢を見たよ。お父さんの声が出た夢」と言う。幼い息子が私を励ましてくれる。今日は「おもちゃランド」とゲーム大会があるので、ふたりは、ゲームの話をしながら楽しそうに登校していった。きょうは雨降りだ。雨はいやだ……。きょうは、民間の免疫治療クリニックに行く予定なので、ちゃんとした身なりをしていこうと、スカートをはくつもりだったのだが、雨のおかげでジーパンになってしまった。

13時。カオルくんの病室に到着。きょうはなんだか目が泳いでいる。ますます目がおかしい。10年前の脳腫瘍手術の時、後遺症が出なかったはずの右目のほうが、より変だ。よく見ると、飛び出している……。えー! 飛び出してるよォ。

昨日はたくさんの人が来てくれたので、カオルくんの枕元がにぎやかでよかったが、今日は私ひとり。誰か来てくれないかしら。私の声は聞き飽きて、カオルくん眠ってしまうよ。昨日、Yさんが持ってきてくれた企画書を見せた時、カオルくんはとてもシャッキリしたので、試しにきょうも見せてみた。だが、昨日のように自分の手で掴もうとはしなかった。「お〜い、どうしたよ〜カオルく〜ん」なかなかシャッキリしないので、今度は脳のMRI画像を見せ、現在の病状説明をしてみることにした。

M先生、K先生、I先生の3人の名入り封筒の中の診療状況報告書を見せ、「きょうはこれからちづちゃんと一緒に、三鷹の民間クリニックへ行って相談してくるからね。OK?」と、聞くと<おう!>と口が動いたのだ。それまではぼんやり、かすかにうなずくだけだったのに、力強く<おう!>と言ったのだ。

その後、ちづちゃんが到着。15時に病院を出て、タクシーでお茶の水駅へ。そしてJRで三鷹へ向かう。予約の16時に少し遅れてクリニックに到着。私達を迎えてくれたのは、Uという名前の先生だった。U先生は、MRI画像と報告書に目を通す。「どうしてここまでやりますかね? これ死にますよ。この抗がん剤の量は……」と、言った。

もう過ぎたことをあれこれ聞いて、後悔するのがいちばんつらい。「今だ。今、何かできるのか? 免疫療法だなんだ言ってる場合じゃない。明日の命もわからない、という状態ならば、○○○(不明)を使う手があります」……と。U先生が言う方法は、急性骨髄性白血病によく効くと言われていて、腫瘍にも効くらしい。過去に、体に4つ腫瘍があった人が4回の処方で消えたという。たった4回で!? 効くときはドラマチックに効くそうだ。よし、それだ! ただし、1か月40万円かかるという。

ん〜、それで命が延びるなら40万円だって構わない!! その後の医師とのやりとり(三鷹のクリニックのU先生と、T大学病院のK先生とのやりとり、それから病院へ戻ってのM先生とのやりとり)は、ドラマ以上のドラマだった。抗がん剤治療は、現在のカオルくんの体では、耐えられそうにない。効果が出るかどうかわからない、免疫療法で、カオルくんの全身に針を刺すのも可哀相だ。かといって、何もしないでこのまま見ていることなんて……とてもできそうにない。だから、カオルくんの体に負担がかからず、腫瘍を消す効果があると言われている方法なら、どんなものでも試してみたい。

その夜、U先生が処方してくれた“奇跡の粉”を、さっそくカオルくんに注入してもらった。その日、私とちづちゃんが三鷹のクリニックに行っている間、SくんとKさん、Yさん、Eさんが面会してくれたそうだ。Eさんは、ずっとお付き合いされていた彼女と、やっとゴールインすることになり、それをカオルくんに報告すると、<やったね!>というように、グー!! の手をして、Eさんに掲げて見せたそうだ。すごい!

12月5日(木)

昨日は、小学校へ元気よく登校した息子たちだったが、その後の話を聞いてみると、ふたりして保健室で寝ていたそうだ。まあきはお腹が、ようきは頭が痛いという理由で、保健室に行ったという。やはり、火曜日に病院で見た父親の姿が、ショックだったのだろうか……。今日は授業参観ということもあり、ふたりを休ませることにした。

面会開始時間の12時を待ち、カオルくんの病室へ入る。“奇跡の粉”を持って。きょうはMくん、Kくんが来てくれた。カオルくんの痛々しい姿に、最初はさすがに、ふたりともショックを隠せない様子だったが、しだいにいつもの調子がもどってくる。カオルくんに冗談を交え話しかけていくうちに、カオルくんの表情がだんだん冴え始め、頭がシャッキリしてきたようだ。彼等が帰る時間になり、「またな!」と言ったときには、カオルくんしっかりと手を振った。「わっ、すごい!」と、看護婦さんがそんなカオルくんを見て驚いていた。

その後、IくんやKくん、Sさんなど、同業他社の方が6人も来てくれた。このところ、食事をまともにとれていないので、「お腹がすいた!」と言ったらKくんがごちそうしてくれることになった。食事を前に、ハァー全部食べられるかな〜、と何度もため息をつきながら、なんとか食べることができた。今までの医師とのやりとりや、“奇跡の粉”のことなどを話しながらの食事は、おいしかったんだか、どうなのかがわからぬまま、自分が倒れないようにお腹に入れた……という感じだった。

12月6日(金)

まあきが38度の発熱をし、近所のT医院へ連れて行った。今日は息子でーす! 仕方がなく、ようきも学校を休ませた。ふたり一緒のほうが元気が出るだろうから。一昨日Sちゃんからいただいた『小学一年生』『小学三年生』の本を渡すと、ふたりとも大喜びだった。

カオルくんの病院へ向かうJRの中で、Oさんから電話が入る。病院に到着すると、Oさんが受付ロビーで待ってた。「Oさん、きょうは泣かないでくださいよ」と、私が言うと、「もう泣かない。もう泣かない」と自分に言い聞かせるように言った。きょうのOさんは、悲しみがふっ切れたかのように、私といろいろ話してくれた。

病室でずっと話しかけていると、カオルくんも私も疲れてしまうから、ただ黙ってカオルくんの眠っている姿をぼんやり眺めていたりすることがある。だけど、管だらけの痛々しい姿でも、こうしてふたりでいられることが、今はとても幸せに感じられたりすることもあるから……不思議だ。少しでも、少しでもこの状態でもいいから、長く、長く、一日でも長く一緒にいたいという思いが募る。こうしてジョン・レノンを聴きながらの日々が……。

19時過ぎに、ちづちゃんが到着。カオルくんの様子を見て、「あれ、なんかいいんじゃない?」と言う。しばらくして「兄貴、ジャンケンしようか? いくよ。ジャンケンポン!」すると、カオルくんはちゃんとグー、チョキ、パーをしたのです。タイミングも遅れることなく、そのうえ強いのです! すごい、すごい! “奇跡の粉”が効いてるかもよ。ねっ!

12月7日(土)

姉と三鷹で待ち合わせをし、パスタランチをごちそうになった。お姉ちゃん、サンキュ。「ナミエのこと考えてたら、うっかり赤信号で横断歩道を渡りそうだった」と言う。気をつけてよ。

三鷹のクリニックで“奇跡の粉”を受け取り、病院へ急ぐ。カオルくんはきょうもぼんやりしていた。眠い? 今日Aちゃんが来てくれるよ。シャッキリしてないとダメだよー。今日は外は雨だということ、Aちゃんは夜来てくれるということなどをカオルくんに伝えた。あとは夜のために、休ませておこう。

12月8日(日)

今日は兄夫婦とちづちゃん、親族多数が面会に行くというので、私は久しぶりに病院を休んだ。昼。京急線・杉田駅でちづちゃんと待ち合わせをし、“奇跡の粉”を渡した。ここ4日間、連続して面会時間終了の20時まで病院にいたので、息子たちに手作りの夕食を食べさせてあげることができなかった。だから、きょうはちゃんとした食事を食べさせてあげよう。

久しぶりの母の夕食に、まあきは「やっぱりお母さんのごはんはおいしい!」と言ってくれた。そして握手をしてきた。それを見て、ようきも腕を伸ばし握手をしてきた。小三と小一の幼い息子ふたりが、私を励ましてくれている。

気になるカオルくんの病状について、ちづちゃんからメールが入る。カオルくんの病状はあまりよくない……と。きょうは首が回らず、左下ばかり見つめ、口はへの字でよだれが出ている……と。しかしちづちゃんが帰る時は、ベッドから手を出して、バイバイした……とある。手を振るその動きひとつひとつが、家族に “あきらめないで”と言っている、声なきメッセージに思えるのだ。

12月9日(月)

雪だ! 12月に雪なんてめずらしい。まあきの風邪は回復してきたが、雪で寒いので、ふたりは学校を休ませた。ようきが「お父さん、病気が治るかな?」と聞いてきた。私が答えに困ると「24日の前までに治ってほしい」と言う。クリスマスだ! クリスマスをお父さんと過ごしたい、と思っているのだ。今年は早めにケーキを持って、息子たちと病院へ行ったほうがいいかもしれない。

御徒町から病院へ向かう途中、ビデオカメラで雪の街を撮る。病院の周りの雪も撮った。病室に入ると、さっそくビデオを見せる「今日は雪だよ。ほらー」カオルくんはちゃんとビデオを見ている。うつろとはいえ、だけどちゃんと見ている。

昨夜、Qくんに電話をした。かつてカオルくんと一緒に、ウルトラマンショーのアルバイトをやっていた人だ。きょうはさっそくQくんが来てくれた。Qくんはカオルくんと一緒に、自主映画も数本撮っているのだ。

カオルくんはよく息子ふたりに「お父さんはウルトラマンだったんだよ」と言っていた。次男はごく最近「あれってほんとかな?」と、私に聞いてきた。「お父さんに聞いてごらん」早く聞かないと……。お父さんはうなずいてくれるだろうか。

12月10日(火)

きょうは横浜のOクリニックに寄って“奇跡の粉”を手に入れ、御徒町に向かった。珍しくお腹がグーグー鳴り、空腹を感じる。こんなの久しぶり。松坂屋地下でお弁当などあれこれ見るが、カオルくんは1か月以上何も食べていないのだ……と思うと、急に食欲がなくなってしまう。結局、病院の売店でパンを買った。

病室に着くと、大きな、大きな黄色の落ち葉が、カオルくんの布団の上にのっていた。昨夜、ちづちゃんが持ってきてくれたものだった。カオルくんはそれを持って、指でクルクル動かすことができた。でも、ジャンケンがだんだん弱々しくなってきてしまった。グー、チョキ、パーはするが……。

きょうはCスポーツ新聞の方が、カオルくんの面会に来てくださった。Mさんという方で「彼とは、よく飲んだんですよ」と言う。そして、「また一緒に飲もうや」と、カオルくんに声をかけてくださった。カオルくんはわずかだが、確かにうなずいていた。

きょうはBさんも来てくださった。Oさんからの葉書で病気のことを知ったそうで、カオルくんの痛々しい姿にショックを隠せない様子だった。カオルくんは左下を見てぼんやりした様子だったので、Bさんが来てくれていることを、わかっているかいないか……。

「カオルくんは真っ直ぐで、正直でいいヤツなのよ。こんないいヤツがいなくなったら困っちゃう」と、Bさんは言う。みんなそう言ってくれます。本当に多くの方がそう言ってくれます。話しながらBさんが泣いてしまったので、私まで泣いてしまった。途中、痰をとったり向きを変えたりすると、さっきよりカオルくんの顔色がスッキリしている。ふたたびBさんが話しかけると、最初よりはるかにシャッキリし、Bさんを直視、唇も動かしはじめた。しっかりと話を聞いてうなずき、例の“おう!”の表情まで飛び出した。すごい。すごいじゃないか。少し離れたところで見ていると、今にも声を出しそうな姿に見えた。

Bさんは私に、「今後、坊や達のことで困ったことがあったら、いつでも連絡ください。力になりたい。Oさんがおじさんで、私がおばさんで」と言ってくださった。本当にOさん一家とピクニックでもしたいなー。その時Bさんもいらしてくれたらなー、などと思ってしまった。Bさんが「手紙を書いてきたの」と、カオルくんの手に渡すと、ちゃんとしっかり掴んだ。私ぐは、「よかったら、今読んであげてください」とお願いしたが、Bさんが「泣いちゃいそうなので……」と言ったので、Bさんが帰られてから、私がカオルくんに読んで聞かせた。

『弟のように思っていたのに、元気になってもらわないと困っちゃう』という内容だった。こんなにも愛されていたとは……。私は手紙を読んで、胸がいっぱいになった。

きょう、久しぶりに登校した息子たちは、朝、「寒いからジョギングしよう」と、楽しそうに出かけて行った。そして学校から帰ってくると「給食、全部食べたよ!」と、私に報告してくれた。おかずの少ない、寂しい晩ごはんだったが、ふたりは「いいの、いいの」と言って、とてもおいしそうに食べてくれた。カオルくん、息子たちはとても優しいよ。

12月11日(水)

“奇跡の粉”が午前中に到着予定で、ずっと待っていたが、なかなか届かずイライラ……。やっと届いたのは、なんと13時!! 発送先に文句を言って、送料を返してもらった。最近私、どんどん強くなる。

冬晴れ。おとといの雪がまだ残っていて、空気は冷たく寒い。でもやっぱり晴れた日はいい。明るい気分になれる。クヨクヨするな。お日さまが慰めてくれる。

病院への到着は15時近くになってしまった。私が着いたとき、ちょうど看護婦さんがカオルくんの口腔ケアをしてくれていた。後ろのほうから手を振ると、カオルくんは手で返事をした。すごいじゃないか。見えてるし、手で返事できるじゃないかー。

きょうはAさんが面会に来てくださった。「カオルさん、なんだかすっきりとして、きれいなお顔ねー」と言った。そう、色ツヤがとてもいいのですよ。寝顔を見ていると、「あー、よく眠ったー」と今にも起きそうだ。Aさんが運営するサイトでは、カオルくんの世界放浪記の連載をやっている。Aさんがカオルくんに、「次の原稿はいつ? 早く書いてくれないと困るよ」と催促をしたら“任せて”という感じで、わずかにピースをしたよ。

12月12日(木)

今日はプロポーズ記念日だ。カオルくんの病室には、今日もいろいろな友人たちがお見舞いに来てくれた。「あの当時のカオルくん、けっこう大胆なところがあって、心配だったよねー」などと、友人たちが昔話に花を咲かせる。いろいろと私の知らないカオルくんの話が聞け、とても興味深かった。きょうのカオルくんは、Sくんが持ってきてくれたパソコンを、積極的にさわろうとしていた。そんなカオルくんの様子は、「このあいだより、調子がいいじゃん」と、Sくんを喜ばせた。確かに今日は本当に動きがいい。

19時。M先生からのお話があったので、ちづちゃんと一緒に聞いた。内容は、現在のHCUから7階の一般病棟に移ることを承諾してほしいということだった。HCUは、基本的に手術後患者の回復のための部屋なので、1か月半以上、患者を置いておけない。4階のHCUから一般病棟に移れば、看護師の数はもちろん減るし、人工呼吸器の管理も、現在よりは手薄になるはずだ。それを指摘しても、病院側は「すみません」と謝るばかり。私とちづちゃんは、すぐには「はい、わかりました」と言えず、しぶしぶ応じる結果となった。

12月13日(金)

「これからのナミエちゃんの人生で、ぜったい救われることが書いてあるはず」と、いって今日、私の親友が1冊の本をプレゼントしてくれた。『祈りのみち』というタイトルだった。ありがとう。また、別の高校時代の友人は、私とカオルくんが大好きな、ジョン・レノンの曲を録音して送ってくれた。

きょうは4階のHCUに顔を出す前に、これから移る予定の、7階の一般病棟の婦長さんに会いに行った。「7階の個室料金は、払えないのですが……」と伝えると、「だいじょうぶよ。カオルっさんが入るのは重病人の部屋だから。個室代は取りませんから」と言ってくださった。ひと安心だ。

その後4階の病室に行くと、カオルくんは手を洗ってもらっていた。看護師さんがこまめに洗ってくれている。エステサロンのようで、うらやましいくらいだ。足も洗ったので、ウトウトウトウト。カオルくんは、ずっとぼんやりしたままだ。

きょうはカオルくんの会社の人たちが面会に来てくれた。最初は管だらけの虚ろな姿に呆然とされていたが、しだいに大きな声で話しかけてくれた。「パソコンの調子が悪くてね。カオルさんに見てもらいたいのー! カオルさんがいないと困るのよー。みんな待ってるから。戻ってくるのを待ってるからー」その言葉に指2本で応えていた。しかし今日のカオルくんは終始虚ろで、返事も少なく弱気になってしまった感じだ。

12月14日(土)

母、姉夫婦と待ち合わせ、子供たちを連れて病院に行った。昨日のカオルくんは一日中ぼんやりした状態だったので、どうか今日は意識が明快でありますように……と、祈った。このところ病院に着いて、病室の入り口で手の消毒をしながら、ベッドの上のカオルくんの姿をのぞき込む時は、不安で不安で胸がいっぱいになる……。

今日はどうだろう? カオルくんは起きていた。よぉ! と近寄ると、左手を動かした。よかった……! 姉夫婦、そして息子ふたりが次々に声をかけ、そのたびにカオルくんは手を動かした。その手の動きひとつで、私は心が軽くなった。

ベッドで寝ているカオルくんからよく見えるように、義兄が息子ふたりを抱っこしてくれた。「お父さん、お父さん!」まあきは、相変わらずどう接していいのか、声かけが弱々しい。ジャンケンできるのかな? 「ジャンケン、ポン!」ふたりの小さな手がグーやチョキをし、お父さんの大きな手もパーやチョキをした。できた!ジャンケンができた! よかった、よかった……。

私の母親は、カオルくんが肺炎になってから初めての面会だ。「私がわかる? つらいだろうけど頑張ってね……」母はカオルくんに、いろいろな言葉をかけていた。カオルくんはじっと見つめ、母に向かって口も動かしたという。大事な娘の、大切な旦那様。母親の思いはどんなものなのだろう? カオルくんがそう長くはないと知った時、私は電話で母親に言った。「お母さん、今後どんなつらいことが起こったとしても、カオルくんと結婚したこと、後悔してないからね。残酷な現実だけど、私は幸せなんだからね」と伝えると、「そう? そう?」母親は弱々しく言った。

ごめんね。お母さん、苦労をかけて。カオルくんは声に出せないだけで、私の母親にとても感謝してくれているに違いない。一度は裏切られた男に、また、脳腫瘍という既往症のある男との結婚を許してくれたこと……。今回の入院も、常に暖かい言葉をかけてくれていることに、カオルくんは感謝しているはずだ……。今日の家族6人の面会のなか、口を動かしたのは私の母親だけだった。

夜、Sちゃんからメールが来た。<今日、久々にカオルくんに会いました。ちくしょう! 悔しいなあ! あいつを連れて飲みに行きてーなー。悔しいなー。バカヤロー! 治れ!!>

12月15日(日)

夜明け前、ようきが突然泣きだし、寝言もいいはじめた。すぐにようきの布団へ行き、安心させてあげたかったが、寒くて体が動かずにいると、ようきが泣きながら私の布団にやってきた。私はここ2週間前から息子たちが眠る暗い和室で眠れず、洋間のほうに寝ている。ようきはヒックヒク泣いて泣いて、私の手を握ってきた。両手とも握ってしばらくすると眠りについた。昨日の父親の姿を見たショックからだろうか? ようきは朝、怖い夢を見たのだと、私に話してくれた。「目玉のない人に食べられて、目玉だけになっちゃったの……」「怖かったねー」「うん」私のとなりで目覚めた顔は、笑顔になっていた。

今日は兄夫婦は面会に行かれないと言う。ちづちゃんも……。ならば、やっぱり今日も病院に行ってあげなければカオルくん、さみしいだろうなー。しかし、明日からまた休めない日が続く。できれば休みたい。「お母さん、今日病院行くの?」息子ふたりが尋ねる。「行ってあげたいんだけど……疲れちゃって。休もうかな?」「休みな、休みな。疲れちゃうよ……」ふたりは私の体をさすってくれた。

ふたりをスイミングと体育教室のピープルへ行かせた。「終わるころ迎えに行くからね!」「うん!」ふたりは仲よく出ていった。とはいえ、やはり気にかかる。友人のどなたか面会してくれるとありがたいのだが。日曜日はそれぞれ家庭があるので、たぶん難しいだろう。カオルくんのことを考えながら、悩み悩み家事をしていたら、Nくんから電話がかかってきた。Nくんはカオルくんが雑誌の仕事をしているころ出会った後輩だ。「ぼくはこれから病院に行きますが……」と言う。きょうは面会をNくんにお願いして、私は体を休める決心がついた。 Nくんにはお会いしたかったけれど……。

12月16日(月)

今日は、HCUから7階の一般病室のほうに移動した。今日のカオルくんは右目が開いたままになってしまうのか、半開きの状態で透明のパッチがしてあり、おとといよりも痛々しく感じる。疲れてるだろうから、私は食堂でお昼をとり、再び病室に戻ってから声をかけた。カオルくんはぼんやり目を開けるが、返事らしき指の動きはない。4階のHCUの荷物の片付けをしたあと、7階に戻って再びカオルくんに声をかけるが、反応はいまひとつ。何日か前の夕刊に載っていた、カオルくんの会社関係の記事にも反応はなく、落ち込んでいるところに、カオルくんの会社のWさんが面会にいらしてくれた。

“Wさん”という名前で、カオルくんの左目がギョロリと大きくなり、表情もかなりシャッキリしてきた。やっぱり違う。仕事関係の方の励ましには、確実に反応が違う。しかし、私とのやりとりでは、終始虚ろだった。ジャンケンもできず。4階から7階に移動したための疲れだろうと、自分を慰めながら帰宅した。

夜、面会をしたちづちゃんから電話があった。看護婦さんがカオルくんの手を握り、「手、握れますか?」の問いかけをしたところ、「痛〜〜い!」と飛び上がるほど、きつく握リ返してきたそうだ。そして帰るときは、ちづちゃんに布団から手を出し、バイバイをしたので、看護婦さんが驚いていたという。カオルくんは、健康だった時と同じ、「夜型」なのね。安心した。

12月17日(火)

きょうは、横浜のクリニックに行った。カオルくんの今後について相談すると、「今の状態で転院などはできない。受け入れてくれる病院もないし、動かすこと自体危険だ。あきらめるということも、ひとつの選択肢です。ほぼ100%助からないのだから」と言われた。えーっ? 私はあきらめない。家族があきらめてどうする。もっと早く、今入院しているT大学病院以外のアドバイスを受けていたら、絶対にもう少し長く、人間らしい生活を過ごせたはずだと思うと、自責の念にかられる。このくやしい気持ちをどこにぶつけたらいいのか。病院へ向かう電車の中で、私は鬼のような顔だったように思う。

昨日の面会の時、カオルくんは終始虚ろだったので、今日、病室に入る時は本当に怖かった。しかし、「ヨォ! わかる?」の私の問いかけに、カオルくんの眉が動き2、3の質問に、口も動いた。昨日とはまるで違うじゃないか。やはり昨日は移動で疲れていたんだね。あきらめてなるものか!! カオルくんの動きのよさでファイトが出てきたぞ。

カオルくんの会社のTさん、Mさんが面会にいらしてくれた。Tさんは「カオルさんとは朝までカラオケで歌ったことがあるんですよ」とおっしゃる。「いつも英語の歌ですよね?」と私がお聞きすると「ボクもそうなんです。だからマイクの奪い合い」知らなかったー。おふたりはカオルくんにどう声をかけていいのか、手を握ってもいいのか戸惑いながらも「戻ってきてよ、待ってるから。また飲みにいこう!」と励ましてくださった。カオルくんは手で何度も返事をしていた。

12月18日(水)

上野で親友Hちゃんとランチのあと、一緒に恐る恐る7階の病室へ。カオルくんは昨日よりぼんやりしていて……残念。「Hです。前に一緒にカラオケ行きましたよね!」とHちゃんが、カオルくんに話しかけてくれた。2、3話した後、彼女は「まあきくん、ようきくんに」と、お菓子まで渡してくれ「またね」と帰っていった。昨日、カオルくんの会社の女性が届けてくれていた寄せ書きを人工呼吸器の管に立てかけてあげると、カオルくんは文字を追うように瞳を動かした。

いつかじっくり話がしたいと思っていたI先生が病室へいらしてくれ、30分も話ができた。今回の腫瘍がいかに悪性の腫瘍であったか……ということ。化学療法のこと。主治医のこと。最期の迎え方。そして、やはり癌で失ったという、I先生の父親の死のこと。先生がやっていらっしゃる合気道のこと。I先生は、柔道、水泳、空手、野球、中国拳法もやったとおっしゃる。そして「ボクは“霊”も“気”も信じますよ」と。

ずっと消せることのできなかった、T大学病院への不信感。主治医への不満。化学療法の怖さ。そして今後のこと。わだかまっていたほとんどすべてについて、I先生とざっくばらんに話ができ、知らなかった事実もたくさんお聞きし、とっても心が軽くなった。I先生は「身近な人、家族、好きな人なら、奇跡を信じたいという気持ちはよくわかりますよ!」と言ってくださった。

12月19日(木)

9月の末以来、久しぶりで美容院へ行った。髪を明るい色に染めてみた。美容院の店長、スタッフはみな若い男性だが、とても話しやすくて主婦に人気の店だ。店長には前回行った時にカオルくんの入院のことを話していたので、LADYWEB.ORGのホームページのアドレスを渡した。

病院到着は14時。カオルくんはぼんやりしていて、口から舌が出てきそうになっていた。「わかる?」と言う私の声に、眉も左手も動かない。おとといは、ものすごくいい動きをしていたのに……。反応がないと帰れない。確かな返事を感じとれないと帰れないじゃない。「ねえ、ピースは? グーチョキパーは?」だがカオルくんは何もしない。「左手握ってよ!」には、軽く握り返してくれたけど、「じゃあまたね。また明日ね。帰るよ。返事してよ。ねえ、わかってる? またね。じゃあね。ねー、手を動かしてよー」最初の「またね」から5分、10分と時間が過ぎる。少し意識がはっきりしたのか、目と指2本でわずかに返事をしてくれたが……。やるせない帰り道になった。こうやって、意識がなくなっていくのかなぁ。帰りの電車の中でめずらしく私は涙ぐんだ。顔がゆがみそうだった。

手抜きの夜ごはんも「気にしないで」と言ってくれる息子たち。ようきが「あれ、お母さん髪赤くしたの?」(茶色というより赤毛のアンみたい)と言う。まあきも「ほんとだー。赤い赤い」ようきはごはんを食べながら、しみじみ眺めて「かわいい」と言ってくれ、沈んだ心が明るくなった。その後、昨日病院に来てくれた親友Hちゃんに電話でお礼を言った。「帰り、上野までバスで行ったんだけど、いろいろなこと思い出して涙がポロポロ出て、けっこう大変だったのよ」とHちゃんが言う。ちづちゃんも姉もSちゃんも、カオルくんのことを思って涙を流している。いまだに私は涙をポロポロ流してはいない。せいぜいタラリと、一滴。

12月20日(金)

変な夢を見た。昔、好きだった人が数人出てきたが、内容は暗かった。昔、好きだったけど、時がたって会ったらちっともときめかない、という夢だった。フン、やっぱり私はカオルくんなのだなー。

明日から1週間、天気がぐずつくというので、洗濯、布団干し、買い物と家の用事をしてから病院へ。到着は3時近くになってしまった。昨日、おとといと2日続けてカオルくんは反応が鈍かったので、私の心は重かった。「ヨォ!」と私が声をかける。カオルくんは起きてる感じ。「わかる?」カオルくんは、ぼんやり。でも瞳は昨日より起きている。2〜3声をかけ、ベッド脇からわずかに離れて「お〜い、わかるぅ?」と手を振った。するとカオルくんは左手で返事をした。見えてるじゃん。聞こえてるじゃん。あ〜〜、よかった。よかった。本当によかった。

「カオルくんがベッドの上で、パソコン年賀状を作ってくれる人がいないから、今年は仕方なく写真年賀状を印刷屋に頼んだの。これでいい?」と言い、出来上がった年賀状を見せると、カオルくんは手でつかんだ。見ようとしていた。今年のゴールデンウイークに、家の近くの市民の森をハイキングした時の、家族4人の写真。入院前の家族4人の写真だ。

「あと年末ジャンボ宝くじ今日限りなんだけど、バラでもう10枚買う? これは前に買った連番だよ。10万人にひとりの病気に当たったんだから、宝くじ当てようねー」そう言うと、カオルくんは連番の宝くじをつかんだ!

「Cさんに電話してくるね。Cさんはカオルくんの顔を見たら泣き崩れてしまいそうで、病院には行かれないって言ってるけど、カオルくんの前で泣いたっていいよね?」と私が言うと、カオルくんはわずかにうなずいた。Cさんは、このホームページを見ただけで、泣けて泣けて、コンタクト一枚流れてしまった、と電話で言っていた。

リハビリのT先生が来てくれた。「カオルさ〜〜ん!」と声をかけ、カオルくんの足を取り、ゆっくりと屈伸を始めた。「昨日よりいいじゃない」と先生。「そうなんです。2日間ぼんやりしていたけど、今日は目も口も手も動いてます!」と私。T先生がこの『恋ふたたび』をプリントアウトしたファイルを目にしたので、すかさずアピール。先生はファイルをめくり、写真を見ながら「あ、奥さんダンスしてたの? また踊らなくちゃ」と言い、読み始めた。

「カオルさん、幸せね! 奥さんのダンス見たことあるの?」と、T先生の言葉にカオルくん“こっくり”と、ハッキリうなずいた。「きれいだった?」の質問に、今度は首をかしげた。私たちが見ている前で、ゆっくりと首をかしげたのだ。うなずいてほしかったのは本音だが、その首をかしげた表情がおかしくて、T先生と大笑いしてしまった。カオルくんが首を動かしたのを久しぶりに見た。

12月21日(土)

まあきとようきは、子供のクリスマス会に出かけ、おむすびランチセット、ケーキ、景品を持って帰ってきた。おいしそうにランチセットを食べる顔を見てから、私は病院へ向かった。外は雨で寒い。御徒町から病院へ向かう途中の讃岐うどんの店で、おなかをあったかくしてから行った。

病室のカオルくんは、はじめはかなりボンヤリしていた。眠いのか始終ウトウトしていて、なかなかシャッキリと起きない。そこで昨日買った宝くじを見せてみると、手でそれをつかんだ。「10万人にひとりの病気に当たってしまったんだから、宝くじも当たるように願掛けてよね!」と、私が言うと、つかんだ手をゆらゆら動かしていた。

「まあきとようきが、あさって来るからジャンケンできるようにしといてよ。グーチョキパーできる?」と言っても、カオルくんはなかなかしてくれない。何度も催促すると、グーからチョキはなんとかするが、パーができない。う〜ん、ジャンケン復活してほしいなぁ。さみしいなぁ。

「さて、そろそろ帰るね」と私。この帰りの挨拶の「またね」のバイバイの反応をちゃんと目にするまでは帰れない。いつも手が動くまでなかなか帰れないのだが、今日は最初のバイバイから手を動かしている。嬉しくて、何度も何度も「またね」と手をふる。カオルくんも何度も左手を動かしてバイバイのしぐさをする。今日は嬉しくて、なかなか帰ることができなかった。

12月22日(日)

今日はちづちゃんが夜、そして兄夫婦が昼過ぎに面会するというので、私は病院は休み、子供たちが通うスポーツクラブへ行った。ようきはきょうスイミングのテストがある日だ。ようきは観覧席にいた私を見つけると手を振り、ずっと私のほうを見ていた。先月、バック25m を完泳できたが、右手が曲がっていて、あと少しのところで不合格。「くやしい」と言っていたが、1か月で上達したのかどうか、きょうそれがわかる。

さていよいよ、ようきの番だ。おっ、スムーズに泳いでいるし、両手ともまっすぐじゃないか。見ていて安心できる泳ぎだ。今月は思えば、練習はたったの2回めだ。毎月7回ほど練習に来られて、テストは8回めくらいだったが、父親のことがあるせいか体調を崩し、練習に来られたのは1回だけだった。なのに、ちゃんと上達している。デジカメで撮影して、病室でカオルくんに見せてあげればよかったー。

テストが終わってから、まあきとようき、私の3人でマックでランチ。その後、まあきは午後からの体育教室へ。私はようきと先に帰宅した。やがて、まあきが「ただいまー」と元気よく帰ってきた。スイミングと体育教室で、息子ふたりは確実に成長している。

夜、ちづちゃんよりメールがあった。カオルくんは反応は鈍かったものの、布団から手を出し、ちゃんとバイバイをしたそうだ。よかった。

12月23日(月)

姉夫婦と川崎で合流し、息子ふたりの5人で病室へ。カオルくんはウツラウツラ眠っていた。「おーい、起きてー!」と私。まあき、ようきも「お父さーん、お父さーん、起きてー!」と呼びかける。するとカオルくんはだんだん目が覚めてきた。ようきは、スイミングでバック25mに合格したことを報告。まあきは理科の授業で、豆電球の勉強をしていることを伝えた。カオルくんの左足が動く、動く。ようきが「足、動いてるよ!」と嬉しそうに言う。

カオルくんは私たちの声かけに、いろいろな形で返事をする。それは眉だったり、左手の指2本だったり、足だったり。身長が178cmもあるので、頭のほうを見ていいのか足先を見ていいのか、“返事”の動きを見るのが難しい。だから間に合わず、見落とすことがたびたびだ。なのでこの日は、ようきは足のチェック担当となった。約40日ぶりの父親との面会だったが、息子ふたりは、さほど驚いた様子もなかったので安心した。ショックを受けないよう、事前に録画テープを見せていたのがよかったかもしれない。

以前の面会の時、12月3日に病院でカオルくんと会話を試み、声も聞けなかった時は、さすがのふたりもショックだったようで翌日は、学校でふたりとも保健室行きだったのだ。幼い子供たちにとっては、あまりに悲しすぎる現実。そんな父親の姿を見せるということに「見せていいの?」2〜3の人から問われたこともある。

お父さんなんだもの。わずかに返事するんだもの。意識ある限り、子供たちに会わせたい、手を握ってもらいたい。とはいえ、毎回面会の時は不安で、きょうも我が子の問いかけに反応してくれるかが心配だった。でもきょうは、ちゃんとわかっていた。眉、手、足で返事をしていたものね。

毎年12月23日。お父ちゃんは予約しておいたケーキを、隣町まで取りにいってくれ、夜は家族でクリスマス会……というのが我が家の形だった。ケーキにナイフを入れる時の、息子ふたりの楽しそうな顔を見るのが、平凡な家族の小さな幸せだった。だから、今日はショートケーキを買って病室へ行き、4人で食べることにした。

カオルくんはほんの、ほんのひとなめ。生クリームとスポンジ部分を耳かき3回分くらい。そういえば、プリンをほんのわずかなめさせたのは、いつだったろう? その時よりも、今はあごが動いている。確かになめている。左手が上がる。もう一口。ほんの、ほんのわずか口にいれる。なめてる、なめてる! 左手が上がっている。おいしいんだー。

よかった。もっともっと、もっともっと食べさせてあげたかった……。ごめんね。残念だけどこのくらいにしよう。急にたくさん胃に入れるとよくないし……。食べられるようになるといいねー。よかった。少しでも口に入れられて。

死期が迫っている重病患者の病室とは思えないほど、とってもゆるやかな、おだやかな空気が流れいた。息子ふたりは、おいしそうにケーキを食べ、カオルくんはウツラウツラ眠っている。そんな姿を見ながら、私は静かな幸せを感じていた。

12月24日(火)

終業式だ、そしてクリスマスだ。数日前から息子達ふたりは、「いつも24日の朝にプレゼントが届いたよー」と、はしゃいでいる。サンタの存在をまだ信じているようで、12月に入ると、サンタさんへ手紙を書く。毎年、息子たちの願いに沿うようなプレゼントを用意し、24日の早朝、ふたりの枕元に置いていた。今年の願いごとは、プレイステーションのアクションパックときた。2万6800円もするし、ゲームは、できれば避けたい。それで今年は本にした。まあきには『ハリーポッター』、ようきには『ドラえもん』の英語辞典。それでもふたりは朝起きて、大喜びだった。「プレゼント届いてた!」と。

息子ふたりを学校へ出してすぐ、“奇跡の粉”を処方してもらうため、私は横浜のクリニックへに向かった。その後、元気よく学校から帰ってきた息子たちに、簡単なお昼を食べさせた後、3人で川崎の実家に向かった。明日12月25日は私の父の命日だ。6年前だった。毎年、クリスマスの日、私は墓参りのため実家に帰る。

実家に向かう息子ふたりのリュックには、『ハリーポッター』と『ドラえもん英語辞典』の本がちゃんと入っていて、ひとりニヤリとした。ちづちゃんからのクリスマスプレゼント、まあきへの『鳥の巣図鑑』と、ようきへの『たこ・いか図鑑』は大きいので、おうちでお留守番だ。でも毎日彼等は、楽しそうに読んでいるよ♪

姉、母と川崎で合流し、息子ふたりを預けた。きょうはさまざまな用事があり、病院へは行けなかったが、午後、面会したちづちゃんよりメールが入り、カオルくんの様子を知らせてきてくれた。カオルくんの意識はぼんやりだったが、帰りがけのバイバイには指を動かして応え、ちゃんとわかっているようだったよ…… と。

12月25日(水)

実家は甘えられるためか、いつになく疲れを感じている。頭が重い。今日は父の命日で、墓参りに行った。父が亡くなったのは、6年前のクリスマスの夜だった。私の父は、カオルくんのことを「背が高くて、格好いい」と言って、かわいがっていた。16年ほど前、イスラエル・キブツでのカオルくんの生活ぶりの記事が毎日グラフに掲載された時も、父はカオルくんをほめていた。カオルくんの記事の隣には、当時の中曽根首相の記事があり、父は「首相のページと一緒の見開きとはたいしたもんだ」と、感心していた。私は父の墓前で手を合わせながら、「カオルくんに“まだ会いに来るなよ”と言ってね」と、お願いした。

姉夫婦と姪、母と息子とでお昼を食べた。甘えられる分、私は口数が少なくなっていた。やはり普段は相当、無理をしていることに気づいた。

頭はいつまでも重いままで、これからひとりで病院へ行って、帰ってくることに不安を感じたけれど、カオルくんのところに“奇跡の粉”を届けなくてはならない。だから行かなくちゃ。粉のことがなかったら、今日も病院を休んでしまおうかと思うくらい、体がしんどかった。

実家から病院に向かうには、小田急線を利用する。小田急線は結婚するまで、ほとんど毎日乗っていた。そして、カオルくんから電話番号を聞かれたのも、この小田急線の車内だった。懐かしくて、せつない思い出がたくさんある電車なのだ。

15時30分。病室着。カオルくんは起きていた。父親の墓参りで遅くなってしまったことを伝えた。病院をお休みした昨日の面会ノートを見てみると、カオルくんの会社の方が来てくれたことがわかった。しかも、わざわざクリスマスケーキを持って……。お会いできなくて、とても残念だった。会社の方々の気持ちがとても嬉しく、私はクリスマスカードのメッセージをカオルくんに読んで聞かせてあげた。

婦長さんから「昨日、面会の方が何人かいらしたけれど……」と、お話があった。「管だらけで会話もできない状態で、面会してもいいのかしら。本人はどう思っているのかしら? 確認しておいてね」と、患者本人の気持ちを心配してくれてのご意見。ありがとうございます。そして、申し訳ありません。やたら世話をかける家族で……。でもきっとカオルくんは、管だらけの姿でも、お見舞いに来てくださった皆さんには、絶対に会いたいと思う人だと思う。いつだって前向きのカオルくんなのだ。

きょうはクリスマス。カオルくんにケーキを味合わせてあげたいと思ったが、しゃっくりが出ている。ケーキは、しゃっくりがおさまってからということになった。しばらくしてしゃっくりはおさまり、K先生、看護婦さんが見守る中、生クリームをなめさせた。23日の時と同じく、あごがよく動いている。食べる気、充分。もうひとなめ、いいですか? もう一度、ごくごくわずかを口の中に入れてみる。手が動いている。おいしい? 残念だけど、このくらい……。

その後、K先生が「ボク、この病院は今月いっぱいなんです」と言う。「えっ、他の病院に転勤になってしまうんですか?」と、私。はっきりとした返事ではないが、あいまいにうなずくK先生。「残念です……。口うるさい家族で申し訳ありませんでした……写真を撮らせてもらえますか?」と尋ねる。「いいですよ……」と快く答えてくれたK先生。「ふだんお忙しそうですけど、ご自宅へは帰られているんですか?」「ボクは、なかなか帰れないです」「お体大事になさってくださいね……」と私。それからK先生がこう言った。「おふたりとは長いつきあいになりましたけど……。でも、カオルさんが一日でも長くと……願っています」

まさかK先生が異動するとは。それも12月末でとは、思ってもみなかった。本当に寂しくなる。いろいろ不満もあったけど、長い時間を一緒に過ごし、お互いに理解を深め、話しやすくなってきていたところに……。カオルくんの最期の時には、K先生はいてくれないということだ。寂しいし、残念だ。私はK先生の転勤をカオルくんに伝えながら「出会いは、別れがあるから寂しいね」と言った。思わず、涙がこぼれそうになってしまった。

12月26日(木)

実家に泊まるというのは、何もかもやってもらえてとっても助かるし、甘えられる分、疲れがどっと出てしまい朝、なかなか起きることができない。そのため病院へ向かうのがお昼を過ぎてしまった。7月の入院時、母親から借りた小さくて軽いラジカセは、ひとつ壊れ、ふたつめも壊れてしまった。だから、秋葉原へ寄ってCDラジカセを買って持っていくことにした。これで、友人や同僚の方が録音してくださった音楽を聴くことができる。

病院に着くと、箱からラジカセを取り出し、カセットをセットした。それからカオルくんに声をかけ、起こす。やっと目覚めたところで、今度はカオルくんが眠ってしまわないよう、次々と話題を変える。少しでも脳を活性化して、本来の元気を回復してもらうために。その後、遅い昼食をとり“奇跡の粉”を使いやすいように包み直す作業をする。やることがいっぱいで、汗だくだ。次に、カオルくんに息子ふたりの通知表を見せ、中身を読んだ。我が子を褒め、手につかめるようカオルくんに渡した。

ハァーひと休み。カオルくんはしばらく通知表をつかんでいたが、私がふっとひと休みした間に、カオルくんは眠ってしまった。通知表は指から離れていた。私は明日は胃カメラなので、夜8時以降は絶食ということで早めに帰ることとする。うつらうつらと眠っているカオルくんを起こし、「帰るよー。昼間は起きてないとダメよー。またねー」と大声で言うと、左手の2本の指でバイバイをしてくれた。

12月27日(金)

きょうは、私の胃カメラの検査だ。前回は麻酔が効き、思いっきり眠ってしまったが、今回はどうだろう。ちゃんとベッドに横になるまでは覚えていたのに、8時30分からの胃カメラ検査は、気づくと終わっていて、時間を見ると10時30分になっていた。ベッドに横たわった私には、布団が掛けられていた。うわぁ、また眠ってしまった。「いいですよ。ずっと休んでいても」と先生。もちろん、そのままずーっと眠っていたいが、まだまだやることがたくさんある。起きなくては……。

起きて診察室へ行き、私の胃の状態について先生から説明を受けた。「だいぶよくなっていましたけど、まだ完治はしていません。今までのものより、軽い薬を出しましょう」と、言ってくれた。……よかった〜〜〜。朝、絶食だったのでお腹がすいたー。家に帰って食事をし、洗濯物を取り込み、布団を取り込み(束の間の布団干し)片付けをして13時に家を出る。病院到着は15時。

大晦日は、できたらカオルくんのそばに一晩中いて、一緒に年を越したい。それをK先生に相談した。「大晦日、ここに泊まりたいのですけど……」と、話すと「うーん」と戸惑った顔をされた。(えっ? 4階から7階へ移ることを承諾してほしい、との話の時、「7階の個室ならば奥さんが24時間付き添ってもかまいません」と、言ってくれたではないか?)私が「婦長さんにも相談してみます」と言うと、「そうですね。私からも話しておきましょう」と言ってくれた。そのやりとりを聞いていた看護婦のUさんが、「そうよね。大晦日ぐらい、ご主人とずっと一緒にいたいわよね」と言い、私の気持ちをわかってくれていた。

12月28日(土)

姉と息子ふたり、私との4人で湯島から病院へ向かう。途中、コンビニで肉まんを買ってあげると、息子たちはおいしそうに食べながら歩いた。まあきとようきは、Aさんがプレゼントしてくれたボウリングゲームでストライクを出したこと、姪のボーイフレンドと公園でサッカーをしたことなどをお父さんに話し、病室の出窓でお絵描きをして過ごした。16時前、姉がふたりを連れて川崎の実家へ帰っていった。

夕方、カオルくんの大学時代の友人Iさん、Sさんが来てくださった。カオルくんの友人はいったい何者? という、個性的な風体の人が多い……。大学時代の出来事をいろいろ教えてくれました。「20代の時に、飲んだあと俺んちに泊まって、おやじとケンカしてよー」と、夢と希望でいっぱいで、間違ったことは間違っているとハッキリ言えた、いちばん楽しかった時代だったのだろう……。ケンカした姿が想像ついてしまうよ。

私が帰り支度を始めると、ふたりも「そろそろ……」ということになり、3人で本郷3丁目駅まで歩いた。「オルカ(カオルくんのあだ名)に子供がいてよかったよ。愛されて幸せだ」と言ってくれ、嬉しくなった。方向の違うふたりを乗せた地下鉄に、ホームから挨拶をした。私はふたりにニコニコと手をふった。

12月29日(日)

昨夜、病院の14階に末期がんで入院、闘病記を新聞に連載されていた、毎日新聞社の佐藤健さんが亡くなられたと新聞で知った。ショックだった。カオルくんには伝えられない。

病院へ行く途中、バーゲンセールへ。私は、バーゲンの案内状が届くと行きたくてたまらない性分で……。で、中綿ブルゾンとアーガイルセーター2枚を買った。おしゃれしなきゃ。明るく行かなきゃ! 15時過ぎ、病室でちづちゃんと会いアーガイルセーターをプレゼントした。ちづちゃんとふたりで、自分たちの年末年始の予定を話したり、品物をあげたりもらったり、ごしょごしょやっているとSちゃんが来てくれた。日曜日なのに……。今日で仕事はおしまいと言う。疲れているのだろうに。来てくれて嬉しい。

今月いっぱいで異動してしまうというK先生との記念撮影は、ちづちゃんがいる今日がチャンス! で、Sちゃんにカメラマンになってもらった。ちづちゃんと私のふたりだけが、なんだか楽しそうだった。I先生、M先生とも写真を撮りたいなぁ。

12月30日(月)

カオルくんの両親と、私たちの仲人をしてくれたYさんとの4人で病室へ。カオルくんは眠っていた。耳元で「起きてー」と何度叫んでも、つついても起きない。目さえ開けない。どーしたの? こんなの初めてだよー。ずーっと、ずーっと叫ぶと、わずかに目を開け、ほんの少し手も動いた。しかし、またすぐに眠ってしまった。何度、大きな声で叫んでも起きない。どうしちゃたのよ。こんなに眠ってるの初めてだよ。どうして起きないのよー。涙が出てしまった。

とうとう目を覚まさなかったカオルくんに、昼食後、3人は残念そうな表情で帰っていった。ところがその後、体の向きを替えたのが刺激になったのか、痰を取ったのがよかったのか、急にカオルくんの目が開いた。かなりはっきり起きている目だった。私が手を振ると、カオルくんは指で応えてくれた。わかってるじゃん。

「ずっと眠っていたから、起きないのかと不安になったよ。心配させないでよねー」私はカオルくんの前で初めて涙を流してしまった。カオルくんはじーっと私を見ていた。声なき言葉は胸の奥の奥で、どう言ってるの? 毎日、毎日ベッドの脇に訪れる私のこと、どう思ってくれてるの? カオルくんの声を聞けなくなって2か月になる。筆談ができなくなって1か月だ。カオルくんが意志を伝える手段がない。口の動きを読み取ることもできなかった。口をパクパク動かしている時もあったのに……。

私が帰り支度を始めるころ、カオルくんの動きがどんどんよくなってきた。ふたりの息子とベッドの上のカオルくんと一緒に写した写真を渡すと、しばらくつかんでいた。次に、花束についていたウサギのぬいぐるみを持たせた。 私が手を振るとウサギが左右に揺れた。このところ、私が帰ろうとするとカオルくんの動きがよくなり、なかなか帰れない。

12月31日(火)

いよいよ2002年、最後の日となった。思えば、今年の6月までは幸せの真っ只中だった。7月に入って、カオルくんのまさかの入院。結婚10周年もクリスマスも病院で迎えた。そして大晦日も。

病室入り口に飾る正月飾り、そして年越しそば、明日朝のパン……いろいろと買い込み16時過ぎ病室へ。年末年始は自宅で、ということで一時帰宅される方が多く、病院はひっそり静かだ。病室には、泊まり込む私のために簡易ベッドと布団がすでに置かれてあった。看護婦さんありがとう……。

きょうのカオルくんはぼんやりしていたが、返事らしき動きはあった。私は病院に着くと、まずお飾りを付けた。しばらくすると、看護師のNさんが「あれ、海老が落ちてますよ」と教えてくれた。ありゃりゃー。松もどきも落ちていた。よく見るとへんな海老だ。「テープを持ってきましょうか?」Nさんに手伝ってもらい、なんとか元にもどった。「すみません。こんなことまで手伝ってもらって。これも仕事のうちですかぁ?」なんて、私ものんきなことを言った。

すると、あっ! I先生だ。逃がしてなるものか。撮影、撮影ー。ぜひ一緒に写真を撮りたいと、Nさんに声をかけてもらうと、「ボク、写真は苦手なんです」とI先生は顔を真っ赤にされた。だが、カオルくんのベッド脇に来てくれた。「どうすればいいですかねー?」とI先生。「なるべくカオルくんに顔を近づけてくださると。そう、そうです」とカシャ! あららー。私も一緒に撮りたかったのに、カメラマン役を頼もうと思っていた看護婦のNさんは、仕事で呼ばれてしまって、残念……! いったい私は何をやっているのでしょうか……。

カオルくんに「年越しそば、食べてもいい? カオルくんは食べられないのにごめんね」と、一応断ってから、ベッド脇でいただくことにした。「いただきます」。コンビニのそばだったけど、お店で海老かき揚げをひとつ買い足して、ちょっと豪華です。わさびにむせ、ゲホゲホしてると、カオルくんの指が動いた。

年越しそばを食べて、「紅白歌合戦」を見て、ベッドに横になってカオルくんの手を握る。ふと思った。なんて幸せなのだろう。カオルくんと一緒に年が越せるかどうかもわからず、1日でも長生きしてほしいと、祈り続けた日々。それがなんとか、こうしてふたりで大晦日を迎えることができるなんて……。

私はずーっとカオルくんの手を握っていた。カオルくんも時折、リズムを取るような指の動きもあり、それが嬉しかった。握ったりゆるめたり、また握ったり……。なんだかとても幸せだ。ここ何年も、こうしてふたりで手を握ることなんてなかったのにネ……。