カオルくんの闘病記

11月1日(金)

私は心労から胃を傷め、近くの内科医院へ。診察を終えると看護婦さんがT大病院から電話がありましたと伝えてくれた。えっ!? 私は電話を借りT大病院のI先生を呼び出した。
「昨夜遅く、事故があったんです。ご主人の嘔吐がかなり激しくて、誤って自分の嘔吐物を飲み込んだため肺炎を起こし、本日ICUに入りました。奥さんは今日は来られますか?」と言われる。

正直、私は疲れていたので昨日と今日は病院を休むつもりでいたが、そんなことは言っていられなかった。自宅に戻ると、自宅の電話と携帯の留守電にI先生からメッセージが入っていた。おととい、カオルくんはずいぶん元気になったなあと、一安心したばかりだったのに……。

病院に行って、I先生の説明を待った。7時の約束が8時半になった。兄も来てくれた。私と兄とちづちゃんの3人で、I先生からの説明を聞いた。誤飲性肺炎。嘔吐物を飲んでしまい菌が肺に入って起こる。そのために呼吸ができなくなっている。カオルくんには、呼吸を助ける管、栄養を注ぐ管、いろいろな管がつながり、かなりの苦痛を与えてしまうため、薬で眠らせているという。

ICUのカオルくんを見舞った。手術より痛々しい姿。たとえは悪いが、植物人間のような姿。なんで!? おととい笑顔で「またね!」と言ったのに……。

I先生、どうぞよろしくお願いします! 信じるしかありません。カオルくんと医師との意思の疎通は、「ひらがなボード」を指さして行っているそうだ。

I先生が「胃の検査、平気でした?」と、私の病状を心配してくれる。「大丈夫じゃなかったです。潰瘍ができていて、薬たくさんですよー」。私の胃痛が治るかどうかもI先生にかかってますよ、と言いたかった。ちづちゃんと「I先生が爽やかなのが救いだね」と話した。

11月2日(土)

ごめんねカオルくん。私もちづちゃんも病院休む。

11月4日(月)

夜、ちづちゃんが病院に行ってくれた。カオルくんの痛々しい姿に涙が出たという。体温は38.4度。熱が高い。看護婦さんがカオルくんを起こして話しかけるのに、うなずいたという。

11月5日(火)

午後2時30分、ICU着。口と鼻に呼吸を助ける管。右首筋に栄養を入れる点滴管。下半身に尿を取る管。そしてパック。もうひとつ、カオルくんにつながっているオレンジ色のパックはなんだろう? 管だらけ。眠らされているので、何度か話しかけたがカオルくんからの返答はなく、午後3時までいたけれど、その後ICU担当の看護婦さんに「痰を取りますので」と部屋を出される。7階へ行くとNさんが……。

「カオルさんね、元気だったんですよ、嘔吐は激しかったけれど……。11月1日の明け方、酸素マスクをしてストレッチャーで運ばれるとき、このノートに何か書きたかったみたいで、ペンを握ったんですよ。でも目の焦点が合わず字が書けなくて……。カオルさん、マスクを外そうとしたので、それはダメーと言ったんです」という。

彼は何を書きたかったのだろう? 回復したら尋ねてみるけど、それとも“忘れたなー”と言うのかな。

11月6日(水)

14時に病院着。最初にカオルくんの本来の病室、7階に寄った。看護婦のTさんがナースステーションにいらしたので、のぞきこむように会釈をすると、私のそばにやって来てくれ、握手をしてくれた。ものすごく温かい手だった。「大変なことになっちゃって……」と、肺炎を起こしたカオルくんのことについて私が言うと、「でもよかったです。明るい表情で。お体だいじょうぶですか?」と言ってくれた。「胃を傷めてしまいました」と私。「そうですよねー。お大事になさってくださいね」「じゃ4階へ行ってきます!」と言い、私は4階のICUへ。

カオルくんは今日は横向きで眠っていた。やっぱり今日も目を覚まさないのかなー。血圧を計ったり、体温計をみたり、尿の量をみたりと、看護婦さんが忙しそうにしているので、私は声も掛けられず、カオルくんのおでこを触ったり手を握ったり、まぶたを触ったりしていた。また、しかたがないので、私はデジカメ撮影をしまくった。

タンがつかえたのか、カオルくんの胸が苦しそうに動きはじめ、アラームが鳴る。看護婦さんふたりがやって来て、タンを取る処置をしてくれた。するとカオルくんが目を覚ました。「わかる!?」私もベッドの上に顔を寝かせて“お見合い”。カオルくんは、コックリとうなずいた。あー、よかった。昨日はずっと眠っていたから、ICUに移ってから、こうして顔合わせるの初めてだね。よかったー。

(ICUに移ったのが)巨人のストレート優勝を見届けたあとでよかったね……よかったということもないけどさ。パレード、まあきもようきも見に行きたかったって言ってたよ。M先生とI先生と、美人ぞろいの看護婦さんたちがついてるからだいじょうぶだよ。カオルくんがコックリとうなずいた。左手をギュッと握ると、握り返したような……。

じゃあね。もうひとがんばりだがら、ファイトだね! 指を放しバイバイと手を振ると、左手の指を動かしている。えっ、バイバイしてるの? 嬉しくてあわててまた撮影をする。なごり惜しく部屋を後にし7階へ行く。看護婦のTさんに「彼が目を覚まして、何度もうなずいてくれました!」と報告をすると、「よかったー」と、Tさんも喜んでくれた。

11月7日(木)

14時を待ちすぐ病室へ。(ICUでの面会時間は、午後2時から3時の間だけ)カオルくんは目を開けていた。わかる? コックリうなずいた。昨日私が来たの覚えてる? 今日は寒いよ。冬みたい。今年は秋がなかった。明日、11月8日はジョン・レノンの命日じゃない? 確かそうだよ。知らない? カオルくんは私の言葉にいくつかうなずく。

途中、タンが詰まったのか、胸が動き苦しそう。目を開けたり閉じたり……もうすぐ15時。面会時間が終わる。帰らなくちゃ……。カオルくんは、指をやたらと動かす。しまいには手を上げてやたらと動かす。カオルくんは、喉に呼吸を助けるための管が入っているから言葉がしゃべれない。だから、何か言いたいのだ。何か私に伝えたいのだ。指をさして言葉を伝える「ひらがなボード」表を借りてみる。

カオルくんの手首には、点滴の管がいっぱいつながっており、万一それがはずれたら命にかかわってしまう。だから手を動かすことができないように、添え木とベルトでガッチリ固定されている。そんな思うように動かない手で、カオルくんは一生懸命に「ひらがなボード」の文字を指でさそうとする。

「み・み・ち」までしかわからない。え? 耳がおかしいの? 違う? 左耳? 右耳? 違う!?……そうか、私の耳だ!“耳を近づけて”だった。カオルくんは、何か言いたいのだった。耳を自分の口元に近づけてくれれば、自分の言葉が聞こえると思ったようだ。そんな様子を見ていた看護婦さんが「カオルさんは、まだ話すのは無理なのよ。だからもう少ししたらね」と言った。

カオルくんは、何を告げたかったのかな。歩けないのも悲しいけれど、話せないのも悲しい。自分の思いを伝えられないというのは、非常にせつない。せつなすぎる。

11月8日(金)

延ばし延ばしになっていた息子ふたりの個人面談のため、病院行きは休み。ようきの担任の先生は産休に入り、新しくT先生が受け持つこととなった。T先生は「ようきくんのお兄ちゃん(まあき)のこと、覚えているんですよ。2年前、第一小にいて、たっくん(特別学級)の担任だったの。そのとき、まあきくんはたっくんに非常にやさしかったのよ」存在感が薄いと思っていた、まあきが、先生の印象に残っているとは何とも嬉しいことだ。「だから、ようきくんに会い、『お兄さんいる?』って聞いたのよ。M先生(前担任)にまあきくんの弟がいたね、と話したのよ」って。

息子ふたりの話題をT先生とM先生が交わしてくれていたなんて感激だった。カオルくんは口に出さないけれど、まあきのひ弱なところを心配していた。私は母親だから口やかましく“強くなれ”としょっちゅう言っていたのだが……。

カオルくんに早く伝えたい。私たちの息子は明るく素直に、そしてやさしく育っていて先生から愛されている、と……。

11月9日(土)

おととい面会をした帰り際の“耳近づけて”の、カオルくんのメッセージがいつまでもせつなく残り、1日あいての面会は、嬉しさとせつなさと半々だった。昨日、婦長さんから「脳外科の患者さんで、入院待機状態の方が多くいるので、7階の病室に違う方が入るのを承諾してくださいね。荷物はまとめて置いておきますけど、少し家に持って帰ってくださいね」と言われ、小さいスーツケースを引きずって7階に出向く。K先生の席の前にワゴンがあって、段ボールがいくつかあった。こんなにあった?

私がスーツケースに、段ボールの中身を詰めていると、看護婦のTさん、Nさんが、「また7階に戻ってくるんだから、そんなに家に持って帰らなくても……。ここに置いといて構いませんよ」と、やさしく言ってくれる。ベッドのわきではなく、廊下に出されての荷物の整理は、とても悲しかった。

面会時間になったので、4階のICUへ。私が行くとカオルくんは目を開けたが、やはり何か言いたそう表情。「ひらがなボード」を見せるが、うまく指でさすことができない。 その後、K先生が来て話をする。肺炎はかなりひどいらしい。私は快方に向かっているとばかり思っていたのに……。呼吸を助けるために入れてある口の管は、2週間が限度なのだそうだ。現在も自力での呼吸がかなり難しいため、今の管をはずすと、その後は喉を切開し、直接器官に呼吸器をつなげることになる。そのために、喉から管を入れるという簡単な手術が必要となってくる。

仮に自力で呼吸ができるようになっても、カオルくんの体の抵抗力がかなり下がっているので、7階の一般病室に戻れるのはかなり時間がかかる、とK先生が言った。抵抗力がないので、ありとあらゆる菌に感染する恐れがあるそうだ。自分の体の中にいる菌にさえ抵抗できないという。いちばん怖いのはカビとのこと。7階の一般病室に戻れても、今後の治療をどうするかは、大きな課題だということだった。今回のカオルくんの肺炎は、抗ガン剤治療の最中に起きたことで、そのためにやむを得ず中断している状態だ。抗ガン剤治療というのは間があいては効果がないそうで、予定の3クールが終了していない状態では、これからどうするかが難しい。

今回の肺炎の治療、今後の治療について、月曜日の夕方、M先生より話があるという。喉の切開手術は呼吸系の先生がやるんですかとK先生に尋ねると「私がやります。4階のこの部屋で、10分くらいの簡単なものです」と言う。えっ!? K先生が? ふだん点滴の針を射すのさえ、何度も失敗するのに、本当に大丈夫なの? と、急に不安になる。

K先生とのやり取りは、廊下寄りだったので、本人には聞こえていない。ベッドわきに戻るとカオルくんが何か言いたそうにしている。「ひらがなボード」を見せる。もう15時を過ぎてる。面会時間も終わりだ。看護婦さんも一緒に手助けをしてくれるが、なかなか意志が伝わってこない。「せ・ん・せ・い……」先生、何?

「自力で呼吸するにはまだまだかかるから、もうしばらく、ここでの治療となるよ。長くかかるけど、戻れればいいでしょ? 今日も看護婦さんやみんなが、もうすぐ? って待ってるよ!」と、私はカオルくんに言った。喉の手術のことは伝えなかった。カオルくんは、ウンウンってうなずいていた。

何か話したそうなカオルくんに、看護婦さんが紙とペンを持たせる。私より看護婦さんのほうが理解できてる。やはり患者に慣れているんだなー、悔しいなー、奥さんなのにぃー。紙に書くほうがいいって、グレイトと英語を書いた。

帰り道、スーツケースを引くのが重かった。心も重かった。月曜日、M先生からどこまでの話があるのだろうか。「覚悟」という言葉が飛び出してしまうのだろうか……。水頭症の疑い……。肺炎……。手術後、せっかく順調だったのに。神様はどこまでいじわるするのだろうか。

11月10日(日)

朝、体が重くなかなか布団から出られず、息子たちも学校が休みとなると余計に重い。朝ごはんの支度をしなくちゃ……いつもは7時の朝ごはんが、8時半ごろになってしまう。病院へ行くか行かないかずっと悩み、明日は医師の説明がありエネルギーを使うので、気持ちを抑え、きょうは病院へは行かないことにした。

ならば、家でゆっくりすればいいものを、午前中はようきのスイミング。午後は息子たちを連れてマックでランチ。ふたりとも嬉しそうに食べていた。その後、「オリンピック」でまあきの新しい自転車を買った。「高いからいいよ」と、最初は遠慮する。かわいそうに、家計に気を使ってくれたのか。家に帰ると、とても喜んで乗っていた。

11月11日(月)

午後6時、病院に行って面会をする。カオルくんは眠っていた。きょうはこれからM先生の病状説明がある。最初は夕方と言われたが、お勤めをしているカオルくんの妹のちづちゃんと兄さんの都合に合わせてもらったのだ。やがて兄夫婦が到着。兄は、最近のカオルくんは、「弟の顔」に戻っていると言う。そっかー? カオルくんが目を覚ましているので声を掛ける。わかる? わかる? ちづちゃん到着。兄貴を見るやいなや、涙ぐんで、必死に何かを伝えようとする。

7時半、家族説明のための部屋に通される。兄夫婦、ちづちゃん、私の4人と、K先生、I先生が向かい合う。まだM先生は、到着していない。沈黙……。沈黙に耐えられず私はI先生に「胃が痛いです」とこぼした。「カオルの兄です。似てますか? 妹のほうが似てるかしら……?」I先生はうなずく程度。そこから話が続かない。

兄が肺炎について聞きはじめる。M先生がいらっしゃる前にいろいろと説明してくださる。「今回の誤飲性肺炎は、防げなかったと思います。本当に一瞬で起こったことすから。24時間どんなに奥さんがベッドサイドで見続けていたとしても、防げなかったと思います」そんな話をしているところにM先生がいらした。「今回の肺炎、治る見込みは非常に難しいです。回復しないかもしれない。免疫力がかなり下がっているところに菌が侵入したので、それに打ち勝つ力がない」

まずは、肺炎を治しましょう。できるだけの努力をしましょう。そして本人の力を祈りましょう、で、この日の話し合いはまとまったが、正直、非常に後味の悪い結果となった。もう少し事前にいろいろなことがわかっていれば、たとえば化学療法で起こり得る副作用や、今回の事故のような可能性など、家族の気持ちとしては、もう少し説明があれば……といった思いが募った。

「カオルさんの腫瘍は、本当なら脊髄にまで転移して、意識がなくなっていてもおかしくない状態であるのに、意識はとてもしっかりしています。化学療法が、奇跡的によく効いていたんです。だから、なんとかこの方法で叩けるだけ叩きたかった」と、M先生は言った。そして、「化学療法が効いていて落ち着いていたので、こちらとしても油断があったのかもしれません」とも言った。まあ、医師も人間だ。こっちも同じだ。油断していた面では同じだ。

前回の腫瘍(10年前に手術でとったもの)は普通、再発しやすく10年間元気でやってきたのは奇跡。そして前回の取りきれなかったその腫瘍が消えてしまったのも奇跡。また、今回新しくできた髄芽腫は成人では10万人に1人という珍しいもの。そして今回の誤飲性肺炎も、普通では考えられない珍しさ。今回の化学療法は奇跡的によく効いている……。こんなに奇跡続きならば、肺炎だって奇跡的に回復するよ! と、ちづちゃんと励まし合い、帰った夜でした。

しかし、やはり眠れなかった。悲しいけど万が一のことを考えてしまう。希望だけは持ちつづけたいけれど、平行して考えてしまう。ダメだ。奇跡へのシナリオを考えよう。

11月12日(火)

気道切開手術は、お昼前後に行なわれる。だから朝10時には家を出よう。そう思っていたが、体が重く、心も重く、息子ふたりを学校へ送り出すのが精一杯で、病院到着は13時となった。一般病棟の荷物の整理をしながら、担当の医師達と話していると、手術は夕方になってしまうという連絡が……。とても夕方までは待っていられないので、I先生に「よろしくお願いします」と頭を下げ、きょうは面会時間が終わったら、帰宅することにした。

午後2時。ICUをのぞくと、カオルくんは眠っている。声を掛けても起きない。ビートルズのCDをかける。途中、カオルくんが目を覚ました。「ビートルズはいいね。昨日、ポールのコンサートがあったんだよ。行きたかったね。3時間だって。ビートルズナンバーをたくさん歌ったって。ビートルズの曲、何が好きなんだっけ?『レットイットビー』?(首を振る)『ヘイジュード』?(首を振る)えっ!? じゃなんだ? カオルくんは舌を動かしてる。ごめん、ごめん。聞こえないよ」

「この部屋(病室)のCDプレーヤーね、今年の2月8日購入だってさ。2月8日、私の誕生日じゃん。これは何かあるよ。みるみる肺がきれいになるよ。(プレーヤーを見ようとする。見えたのかな?)私の肺は煙草を吸ってない、きれいな肺だから、私の“気を”送ってるからね」などと言いながら、ずーっとカオルくんの手を握りしめていた。

15時。面会時間の終了だ。看護婦さんが痰を取りに来た。「じゃあ、明日来るからね」と言うと、カオルくんがまばたきをしてくれた。ちゃんと私のことがわかってる。よかった。

11月13日(水)

14時病院着。受付ロビーで、カオルくんの友人のAさん、以前の職場の先輩Oさん、Tさんとお会いした。ICUには家族だけしか入ることができない。皆さんには受付で「叔父」や「親戚」と、記帳してもらった。4階のICU・435号室に入る前に、備え付けの消毒液スプレーで手を洗い、使い捨てマスクをつけて病室に入った。カオルくんは起きていた。やはり管が抜けると数段、痛々しさも少なくなっていた。

「口を読み取るから“あ・い・う・え・お”と大きく口を開ける練習をしなきゃね」と、Oさん。Tさんが顔を近づけ「顔色いいじゃないか! わかるか?」と言うと、カオルくんはうなずいてる。ひらがなボードを使って意志表示するより、左手で紙に直接書くほうが、本人にとってはいいらしい。マジックインキを持たせて、ボードに止めた紙に書きはじめるが、ウン? わからないなー。そのうち、OさんやTさんたちも筆談になってしまった。<顔色がよく、元気そうで安心したぞ>とTさん。<肺炎は一時的なものだから、すぐよくなるよ>と、書いたAさん。<子供たちのためにもガンバレ!>と、Oさん。Oさんはそんなやり取りをしている間、涙をこらえられなくなり、ハンカチを取り出すと廊下へ出てしまった。

カオルくんが“トイレ”と書いた。お尻が気持ち悪いらしい。Tさんが<大?>と書くと、ウンウンとうなずく。あとは看護婦さんにお願いし、私たちは一度退室した。3人は「もっと悪いかと思ったよ。顔色いいじゃない。生きようとする力があるよ。だいじょうぶだよ」と話してくださった。

お尻の処置のあと、私たちは再び病室へ。そして筆談。すると、さっきと比べ見違えるほど字が上手になっている。「全然違うぞ。字がうまくなったぞ! すっきりしたか?」と、みんなで笑った。カオルくんは、もっと言いたいコトがあるようだったが、15時の面会時間が過ぎてしまった。3人はカオルくんの手を握り、おでこを触り、「気」を送ってくださった。ありがとうございました。本当に嬉しい。本人はもちろんだが、私までパワーをいただいた。

カオルくんには、温かくて、優しくて、頼もしくて、面白くて、もっとたくさんの形容詞を探したいほどの知人がたくさんいる。つくづく、つくづく、つくづく、つくづく嬉しくありがたく、感謝でいっぱいだ。

私は、きょうの面会で元気になり、久しぶりに夜ごはんをおいしく感じて食べることができた。それまでは、私が倒れてはなるまいと、一日の3食を5食くらいに分けて、なんとか食べるというより、やっと喉を通している、という感じだった。人と人とのつながりがいかに大切か。これほどまでに感じたことは、今までにない。

人間という意味。人はひとりでは生きていけない。間に人がいる。改めてそれを感じることができる毎日……。落ち込ませるのも人間だけど、元気をくれるのも人間だ。だから人生って面白い。悲しいのに幸せ。私は幸せです。カオルくんの友人、知人、家族の愛をいっぱい受けて、幸せです。

この人だったら、面白い人生が送れるのではないか……なんて思いで、カオルくんと結婚した部分もある。そう、悲劇を喜劇に変えようじゃないか。

11月14日(木)

昨日のAさん、Oさん、Tさんとの面会の光景を、デジカメに収められなかった悔いから、今日はデジカメ、カメラ、録音テープ、ノート2冊の大荷物で病院に出かけたので、重い、重い。14時〜15時の面会時間に、私の一日のエネルギーのほとんどが注がれる。それに、あとは息子たちのごはんも……ね。

ICUの病室へ。起きてる! ベッド用のテーブルも付いて、カオルくんが回復してるのがすぐにわかった。と、見ると、テーブルの上にバカボンパパとニャロメの絵がある。カオルくんたら、絵まで描いてる! なんだ大丈夫じゃん。すぐ治るじゃん。「希望」という言葉、思いがパーッと広がり、私が心配し過ぎかも……と考えるほどだった。

肺炎を起こした原因である10月31日深夜に起きた誤飲事件のことは、カオルくんまったく覚えていないようだ。声が私に届かないとわかっていても、やはり口パクパク。口の動きを読み取れず、筆談になった。<聞こえているから、言いなおさなくてもいい>とか<電波少年の放映時間が土曜日に変わり、習慣づいてないから見忘れる>とか書いた。ようきの第一小学校の歌と、まあきの新しい自転車のビデオを見せると、<まあきはバカボンより天才か?>とか<ようきは?>とか書いていた。

よかった、よかった。気力があるんだから、あとはみるみる治るさ。15時までの面会を終え、東洋医学の専門医、T先生に会いに行く。「K先生からだいたいは聞きましたけど、残念でしたねー。まぁ、肺炎を治さないことにはねー」と言う。鍼灸の治療は疲れるからダメだそうだ。

「お父さんに希望を持たせることですよ」「お子さんいくつ? 男の子ですか」「男の子はやっぱり父親だからね。父親がガッと強くしつけないとねー」「お母さんがしっかりすることですよ。息子の将来のこと、医者にさせたらどうですか?」「医療費も大変でしょう。あとから戻ってくるといっても、まずは現金が必要ですからね」と、細かいことまで一緒になって考えてくれて。とにかく……いい先生だ。「肺炎がよくなって、またお父さんといらしてくださいよ」と、言ってくれた。本当にT先生にお会いできてよかった。「友達が先生のことを調べてくれたんですよ」と伝えると「ボクはそんなに偉くないんですよ」と謙遜する。

11月15日(金)

昨日カオルくんが描いた、ニャロメの絵が元気をくれる。患者から元気をもらう。17時30分、受付ロビーでSさん、ちづちゃんと待ち合わせ。面会。待ってました、って感じ。私たちが病室に顔を見せると、すぐカオルくんにメガネを探させられた。そしてペンと紙を渡すと、書くわ書くわ。<今日13時30分にフリーカメラマンのHさんと約束していた>と。

午前中から気にしていたみたいで、ロビーに行きたいとか、館内放送してくれとか、看護婦さんとやりとりをしていたらしく、何枚も筆談の跡があった。すごいよね。約束の日付を覚えてる。今日が11月15日ということも。約2週間、ほとんど眠っていたというのに……。たいしたもんだ。あまりに次から次へと書くから呼吸が苦しくなり、ひと休み。でもまたすぐ書きたがる。きのうのT先生の報告をすると、カオルくん嬉しそうだった。Sさんがそんなカオルくんの様子を見て、「だいじょうぶじゃん」と言う。そうだよ! だいじょうぶ!!

11月17日(日)

病院に着くと、カオルくんは友人のAさんと筆談をしていた。外を眺められるようにしたためか、ベッドが180度回転、逆向きになっていた。撮影を始めると看護婦さんが「お撮りしましょうか?」と言ってくれ、何枚か撮っていただいた。7階といい4階といい、この病院の看護婦さんはとても感じがよく、本当に救われる。

K先生の話では、明日、明後日にはHCUに移りますとのこと。回復しているということだよね? ぬか喜びでないことを祈る。本人は、とにかく頭がはっきりしていてすごい。常に仕事のことを考えている。Yさんも退院するのを待って仕事の話をしていたし、いつまでも長居はできない状態だ。どんどん生きる活力、治す気力を感じる。

病院へ向かう途中、Sちゃんから電話が入り「よろしく伝えてな」をカオルくんに伝えると、案の定、泣いてしまった。涙をタラーリ流した。Sちゃんに弱いのだ。必ず涙ぐむ。本当にいい友達だ。面会しているあいだ、ほとんど筆談しっぱなしだったが、後半<今日は自宅に帰ってもいいと思うほど>と、びっくり発言。投与と投与の合間、帰宅していいですよ、と言われていた時は帰ろうとせず「自信がない」っていっていたのに……。声が出ない、こんなICUのベッドの上で、そう発言するとは、ものすごい活力だ。帰宅してもいいなんて、すごいことだ。

11月18日(月)

病院へ向かう京浜東北線の中で、K先生からの電話を受ける。「HCUに移ったことでM先生よりお話があります。きょうの午後3時で」ということになり、病室へ。ひとり部屋だった。カオルくんは眠っていたが、起こすと相当つらいいみたいで、すぐ眠ってしまう。途中、銀行の通帳などを見せたあたりから、ずっと起きるようになる。

約束の15時を、ドキドキして待っていた。朝、ベッドサイドにM先生が来たって、カオルくんが言っていた。「家族は今日来ます?」って聞いていたって。いろいろ聞きたいことがあるのだろう。

カオルくんは昨日より元気がなく、心配していると「ゆうべ看護婦さんから韓国麺を少しもらい食べた」と言い出し、「それで調子が悪い」と言う。えーっ!?  いきなり韓国麺? そんなはずないでしょ? 何度問いただしても「食べた」と言い張る。そこへK先生登場。韓国麺の話をすると、笑って「それはないですねー」と言う。

<ホラ食べてないよ。頭おかしくなっちゃった? 金の馬が降りてきて、何かお告げをしていった?>とか<あなたの名前は、まあき? ようき? かおる? 私はちづこ?>半分、冗談のつもりで、筆談用の紙に書いてたずねると、<馬鹿にするなーー!!>と書いてきた。馬鹿にはしてないよ。そこへM先生が登場。その筆談を読み始める。「馬鹿にするな、って怒ってます」

「肺炎はよくなっていますよ。ただ普通の人の2倍、3倍の時間がかかりますから、がんばって治しましょうね。ちょっと奥さんに写真を見せるから」と、カオルくんに言ってM先生は別室へ。肺の写真を、シャッとかかげ、「かなりきれいになっています。しかし、まだ硬い。昼は呼吸器を外していますが、夜はどうしても苦しくなりますのでね。酸素を吸ってCO2(炭酸ガス)を吐く。そのCO2が吐けないんですね。薬も効いて回復していますので、管も外れて、会話ができるように進めていきたいと思います。ただ腫瘍の状況を時折、見ていかないといけないですし、化学療法については、肺炎がかなり回復してきた段階で相談しましょう。回復したら奥さんが言われたように、一度ご自宅に帰られてもいいと思いますし、本人も意欲があるので、何とか回復すれば、と思っています」とおっしゃってくれた。

きょうからカオルくんは、テレビが見られるようになった。流動食については、I先生は、「早く摂らせてあげたいのですが、怖いので、もう少し様子を見ます」と言った。誤飲事故のこともあるので、私自身も怖い……と言った。

11月19日(火)

きょうのカオルくんは、ぼんやり横になっていた。回復期で疲れるのかな? そう毎日元気でいられるわけもないが、ぼんやりしている姿は、見ているだけで、私も元気がなくなりそうだ。今日から液状調整栄養食品(成分は大豆たんぱく)が出ている。まだ口からではなく、鼻から管で胃に直接、入れているという。でもよかった……。

昼。けいれん止めの薬を鼻から入れていた。<今日は何時ごろ帰るの?>と筆談で私に聞いてきた。新聞を読む気力はなさそうだったが、<銀座で、イラク攻撃を阻止しよう>の署名をしたと話し、ビラを見せると、カオルくんはそれをじっと見ていた。けさテレビで映画ランキングをやっていて、3位『トリック』2位『たそがれ清兵衛』1位『リング』だったよと教えてあげる。カオルくんの好きな、映画の話をすると生き生きしてくる。

でも、相変わらず、「韓国麺を食べた」と言い張っている。「K先生も看護婦さんも食べてないって言ってるよ」と繰り返し言い聞かせる。「今度自宅に帰ってもいいと言われたよ。ただし回復したらね」と言ったら、「じゃあ今日か?」と、聞いてくる。「まだ無理だよ。人口呼吸器使ってるし、免疫力、白血球も上がってないし。この機械全部つけて帰るの? 息子のばい菌も怖いよ」「そうか?」

カオルくん、自分の状態、現実をしっかり把握できていないようだ。帰るとばかり言っていて、なだめるのに苦労する。肺炎を起こしたことについても「風邪をひいた」と、思っているし。理解できていないんだな。自分のバッグもケータイもHCUに持って来て、ベッドのそばに置いてってと言う。「ここでは、最低限のもの(今はメガネ、テレビカード、ラジカセ、テープ2本)しか置いておけないのよ」……と、さんざん説得して、どうにかうなずいた。

11月20日(水)

ひと晩中眠れず、今日は病院行きを休んだ。夜、ちづちゃんが友達と面会してきてくれた。ぼんやりしていたけど、筆談をしているうちに少し気力も出たようだ。同業者の方が、5人も来てくれたそうだ。恐れ入る。HCUにいて驚かれたことだろう。ちづちゃんの友達が12月末に出産予定で、カオルくんが名前を考えてみるという筆談があったと言う。病気以外のことを考えるのはいいことだと思う。

11月21日(木)

きょうのカオルくんは、病院に行った時は起きていたが、相変わらずぼんやりとして活気がない。朝、ファイブレン30〜40ml吐いたと記録あり。少し胃を休めて、点滴による栄養補給となる。

昨日、中田(横浜)市長による市民フォーラムに参加したことを話し、「市長にホームページのアドレスを渡せばよかったと少し残念!」と話すと、わずかに笑った。嬉しかった。新聞を読む気力もないかな、と思い、朝日新聞の特派員メモ(私がいつも楽しみにしている各国の話題)がエルサレムだったので、読んで聞かせてあげようとすると、自分で読み始めた。よかった、よかった。新聞読めてる。途中、体を拭いて着替える。その前は暑いと言っていたのに、寒いと言いだし、熱をはかると37度3分あった。顔色はよく、はっきりしてきているが、看護記録を読むと、あまり改善されていないようで不安だ。14時退室。手を握ってよ、とカオルくんに言うと、かなりきつく握ってくれた。

11月22日(金)

きょうは、カオルくんの目が赤かった。以前、病院からいただいてあった目薬を取り出して、看護婦さんに渡した。カオルくんは、昨日より耳が聞こえにくくなった様子。心配だ。看護記録を見ると、肺炎は改善されているとあったが、頭が日に日にボーッとしてきている気がする。

今日は高カロリー輸液の点滴パックを指さし、「電話」と言いだす。「その電話見せて」と言う。何度も「違うよ、点滴だよ」と言っても「電話、電話」と繰り返し、首をひねり、また「電話」と口を動かす。「7階の担当の看護婦さんの名前覚えてる?」と聞くと、<イトウ>と書く。違うなあ……。まさか息子の名前は? 真あき……が、書けない。“まあき”の漢字が思い出せないようだ。ようきも漢字は書けなかった。

<私はますますおバカさんになってしまいました>と、紙に書いてきたので、「ずっと眠っていたから無理ないよ。体といっしょ。リハビリさえすれば元に戻るよ」と、言って元気づけた。「私の名前は?」と、聞くと、ひらがなボードで“な・み・え”と指した。よかった!

気巧のT先生の本を買ったので、カオルくんに見せた。今はT先生にすがる思いだ。口をやたら動かし、声が聞こえそうな時すらある。昨日、病室で遊びで描いた私とまあき、ようきのマンガのメッセージが、ベッドサイドに貼ってあり、それがとても嬉しかった。看護婦さんありがとう。

11月23日(土)

HCUは、小学生も面会できるというので、息子たちを連れて行った。せっかく上野方面へ行くのだからと、動物園に寄ってみる。11時過ぎに着き、いきなりパンダのリンリンを見る。私はパンダを見るのは初めてだ。ふたりは喜んで見ていた。私は動物より紅葉のほうに気を取られていた。

14時過ぎ、不忍池のほうから病院へ。息子たちは1か月と10日ぶりの面会だ。カオルくんはもっと嬉しそうな表情をするかと思ったけど、相当つらいのだろう。ふたりの「わかる?」の声にピースサインはしたものの、それ以上の言葉はなかった。ふたりに「何か言いたいことはない?」と尋ねてみたが、とにかく喉が痛くて……と、筆談すらしなかった。途中、看護婦さんが手足を洗ってくれて、痰を取ってくれた。「お子さんたち平気かしら」と、気を使ってくれたが、そのままいさせることにした。

まあきはいつもの調子。父親の様子には興味なさそうに、マンガを読んでいた。ようきは「何? 何?」と、ベッドに歩み寄っていた。15時にはカオルくんの手を握って退室した。“帰る?”と、カオルくんの口が動いた。ふたりが「がんばってね」と声をかけると“ハァ〜イ”と口が動いたと言う。

夜、ちづちゃんが面会。初めはボーッとしていたようだが、ちづちゃんが帰ろうとすると、あわてるかのように、筆談を始めたという。けれど内容が<なみえは横浜に帰るから、俺も>とか<なみえはアパート>とか……。ちづちゃんのアパート暮らしと混同しているのか……。

ベッドサイドには、私が描いた親子4人の似顔絵メッセージの紙が貼ってあるのだが、ちづちゃんの「クリスマスケーキ食べられるといいね」の言葉に、看護婦さんが相槌を打って「そうよね。クリスマスの季節よねー」と言ったら、カオルくんは何かを思い出したように筆談を始めたそうだ。書かれたものは、<…… 台>と読めたので「洋光台のことのこと? それとも港南台?」というやりとりをしたとか。

そういえば毎年、カオルくんは、港南台にあるイタリアントマトのケーキを予約して、取りに行ってくれる。それで一家がクリスマスをお祝するのは、毎年の恒例なのだが、カオルくんは、それを思い出したのかな? クリスマスの話がきっかけで、何か言いたくなったのかな? ちづちゃんも、カオルくんのおかしな発言に心を痛めていた。まさか、腫瘍が進行しているとか!? そんなはずはない、ない!

11月24日(日)

今日は、病院へは行かなかった。ようきの水泳のテストを見てあげた。7月から4か月。ほとんど、兄弟ふたりで行ってくれて、ようきの泳ぎをじっくり見てあげられなかったのに、11級−10級と2回も進級したね! すごいね。今日も背泳ぎ25m完泳してて、涙が出そうでした。病院でも家でも涙はこぼれないのに……。息子の姿で涙が出そうになる……。

今日は兄夫婦が、カオルくんの面会に行ってくれた。「元気だったよ!」との報告。兄貴に「今日は酒飲んでないか?」って聞いたっていうから、意識はしっかりしてるじゃん。「たくさん書いてくれたけど、読めなくて……」と、言っていた。

11月25日(月)

昨夜、ちづちゃんとカオルくんの意味不明な発言のことで「不安で、怖いね」と話したので、今日の面会は正直、足が重かった。だが、病院に行く前、姉と姪と上野で待ち合わせをして、ピカソ展を見たので、少し明るい気分で病室へ行くことができた。きょうのカオルくんは、メガネをかけていたので、一昨日よりはボンヤリ感は少なく感じた。姉が「わかる?」と声をかけるとうなずいた。

K先生が喉の管の取り替えにやって来た。「金曜日に胸のCTを撮ったんですが、よくなっていますよ。脳の腫れは、注射で抑えています」と言った。頭のほうのCTは、明日に撮影するという。先週1週間、カオルくんがおかしなことばかり言っていたことを、K先生と看護婦さんに話した。

「どうしてもICUに長いこといると、ボケた感じになることがあります」と言う。以前、可能性を疑われていた、水頭症は、おそらくないだろうと言った。看護婦さんもK先生と同じように、「どうしてもずっと同じ部屋にいると、変なこと言ったりすることもあるんですよね。だから、あのようにされてると(ベッドサイドに貼ってある家族の絵や知人の手紙のこと)、こちらも会話のきっかけになるので、非常に助かってるんですよ」と言ってくれた。

11月26日(火)

外が明るいのに、目覚ましが鳴らないなぁ、と起きると、どっひゃあ7時45分。ゆうべなかなか寝つかれなかったので、朝方熟睡していたのだろう。まあき、ようき起きなさい!……ではなく「学校へ行く時間だよ!」と、急いでパンをかじらせ、牛乳を飲ませているところに、K先生から電話があった。

「きょうM先生から、お話ししたいことがあります」と、言う。妹のちづちゃんもいっしょに先生の話を聞きたいと思ったので、ちづちゃんが病院に来ることができる、19時30分にしてもらうよう、お願いをした。寝坊の朝に病院からの電話で、この日は目が回りそうだった。

夕方。まあき、ようきの帰りを待ち、夕飯の支度をして家を出る。18時過ぎに病院に到着。カオルくんはメガネをかけていたので、しゃっきりと見えた。でも寒くて布団から肩や手を出したくないのか、きょうは筆談もしてくれない。「Sさん来てくれた? 何か言ってた?」とたずねると、<とにかく喉が痛くて、ここ2〜3日ボロボロ>と書いてくる。喉が痛いのは、自発呼吸に向けて、人工呼吸器を外す時間が長くなったからだろう。

私が病室に着くと、すぐにK先生が“あー、やっと来た”というような顔をして待っていた。「M先生は19時30分は都合が悪いんです。今朝、すぐケータイに連絡したんですがー」と言う。「M先生は、病状の経過報告は昼にしたいとおっしゃっています。そして、大事な話は、妹さんが来られる夜に……ということでいいでしょうか?」と言う。そこへM先生現れる。

「ちょっと夜はねー」と、時間の都合がつかないというようなことを、言われる。カオルくんの病状については、「肺はね、よくなっています。人工呼吸器を外して7階に戻れるようになれば、食事も少しずつとれるでしょう」私が、「吐くのが怖い」と言うと、「でも食べさせないとかわいそうですし」と。その後M先生は、今日撮った脳のMRI画像をしばらくながめ、暗い表情をしていた。私は(おかしな発言のこともあり)気になっていたのだが、今すぐに話してくれる気はないらしい。「頭のことについては、木曜の19時30分に、改めてお話ししましょう」と、言った。さらに、いろいろ聞いてみると、側頭葉にダメージがあると、過去のことを思い出したり、変な発言をすることがある、と言った。

前回の話し合いの時、私は医師たちに「家族に対する説明を、もう少し細かくきちんとしてほしい」と、申し入れをしたが、以来、週に一度は何らかの病状経過報告をしてくれるようになった。私としては、まだまだ足りるものではなく、医師たちに聞きたいことや、言いたいことが山ほどあったが、それはぐっとこらえた。

医師たちは、カオルくんの肺炎が治ったら、化学療法をやるようなことを言っている。そして、もし今度やることになったら、それは過酷なものになる……と。だから、肺炎が回復した時点で一度家に帰っては?……との提案。……。でもリハビリも中断し、インフルエンザが流行する季節に、カオルくんの帰宅は正直、不安だ。万全の態勢で帰宅にならないと、それこそ今度は私が倒れてしまうだろう。

11月27日(水)

朝、起きるのがつらかった。M先生と話したあとは、いつも落ち込んでしまう。ようきが喉が痛いと言い、だるそうなので学校を休ませ、私も病院を休みむことにした。気持ちではもちろん毎日病院に行きたいが、やはり体がもたない。

頭がぼんやりしていても、カオルくんは私の面会を、いつも待っていてくれるのだろうか? ごめんね。行けなくて。夜、眠れずSちゃんにメール。くじけそうだと弱音をはくと、メールでなく電話をくれた。ありがとう。Sちゃんの声が聞けて眠りにつけた。昨夜は暗いのがいやで洋間で寝た。

11月28日(木)その1

こんな大変な時に、私は小学校のPTAの指名委員会の副委員長だ。来期のPTAの会長・副会長などをやってくれそうな人を探し、お願いするのだ。4月に役員を引き受け、いよいよ活動だ。朝、指名委員会に出席。その後、委員長とともに現会長に来期の留任のお願いに頭を下げている時、Sくんから電話がかかってきた。今夜のM先生との話し合いの時、くれぐれもエキサイトしないようにと、釘を刺される。前回の話し合いの時、私がエキサイト気味だったことを、たぶんSちゃんと話し合っているのだろう。PTAの話の最中に腫瘍がどーで、肺炎がどーで、命が……なんて話をしているんだから、ドラマ以上のドラマだ。やれやれだ。
夕方、息子たちの夜ごはんの支度をして、16時過ぎに家を出た。上野の不忍池側から病院へ行ってみた。夜に来るのは初めてだ。選んだ道は、やっぱり寂し過ぎる。御徒町のゴチャゴチャのほうがよかったかも……。

18時過ぎ病室に到着。カオルくんはメガネをしていた。ちょうどリハビリ担当のT先生がいらしてた。「ごめんね。昨日来れなくて。寂しかった?」とカオルくんに言う。T先生も後押ししてくれて、「(当然)寂しかったわよね?」と、カオルくんに言う。そうしたら、頬を少し赤くして、うなずいてくれた。こんなつらい状態になっても、そんな言葉にテレる様子が、とても嬉しかった。

しばらくカオルくんの足のリハビリを見守る。長い病院暮らしで、すっかり細くなってしまった足。悲しかった。また最近は、カオルくんは目が見えにくくなったという。目がときどき泳いでいる。だから大好きなテレビも見ていないという。ここ2〜3日で、なんだかどんどん悪くなってきてしまっているような気がする。

その後、ちづちゃんが病院に到着。私はひらがなボードをカオルくんに見せて、「この人だれ?」と聞いてみた。“ち……づ……”ウンウン。じゃこの人は? 私は自分を指さした。だけど、ひらがなボードの上で、指がナミエの“な”にたどりつかない。私の名前すら、指でさせない。「じゃあ、口で言ってみて」 “な・み・え……”そう動いた。絶対、そう動いた。私はカオルくんを、抱きしめてあげたくなった。
この日の夜、M先生から聞いた話は最悪の結果。最も心配していた事態となってしまった。カオルくんの腫瘍が、急激に進行してきているという。数日前に撮ったMRI画像は、素人の私が見ても、明らかに悪くなっているのがわかる。本来、黒くなければいけないはずの部分に、白い部分……腫瘍の影をいくつか確認できるのだ。

「肺炎の回復状況によって、今後の治療方法は4つ考えられます。ひとつは、化学療法。だけど化学療法は、頭の腫瘍そのものには効くけれど、他の臓器を痛めつけます。また今回のように、肺炎になる可能性もなくはありません。ふたつめは放射線治療。ただ、放射線は、10年前の脳腫瘍のときにかけているので、今回はリスクのほうが高くて、実際はできません。3つめは、免疫療法。ただしこれは、まだ実験段階の治療法で、効果があるかないかは、正直言ってわかりません。そして、4つめは、このまま何もしないことです」

そしてさらに「ただし、このままですと、あと1〜2か月の命でしょう」と、M先生が重々しい表情で言った。

11月28日(木)その2

きょう、先生が話された3つめの可能性、「免疫治療・樹状細胞療法」とは、血液を分離させ白血球を取り出し、自分の腫瘍に培養して、その組織をまた体に戻すというものだ。ただし体に戻すとき、全身20か所に針が刺さることとなり、痛みを伴うが副作用はない。まだ実験段階の治療法で、これまでの治験では、 13人のうち1人しか効果は現れなかった。効果というのは「癌細胞の進行を妨げた」ことであり、「癌が治癒した」わけではない。しかも、その治療を受けたという22歳の男性は、腫瘍に対しての効果は得られたが、4週間目に、別の合併症で亡くなったという。

えーっ、4週間で命を落としたのに、それでも「効果があった」とみなすの? その治療法の説明は、初めてお会いするT先生からだった。たいへん申し訳ないのだが、小さい声で話されたことと、専門用語が多かったことで、正直、医療知識のない家族にとっては充分、内容がわかったとは言えない内容だった。私は「まずは家族でよく相談をします。それから、本人の意思も聞きたい」と、話すと、M先生が「では、私からご主人に話しましょう」と言ってくださり、明日 14時にそれが行なわれることになった。

病院からの帰り道、携帯電話でSくんに報告。またOさんからも電話が入り、ちづちゃんにも連絡をし、あれこれ話し合っては皆で頭を悩ませた。ここに来るまでが「奇跡続き」だったので、まだ研究段階の治療も、もしかしたら奇跡的に効いてしまうかもしれない。ただ本当に副作用はないのだろうか? 効果があったとされる人だって、結局は4週間目で亡くなっている。ウーン、ウーン。この選択は非常に難しい。

帰宅後、きょうのことをカオルくんの友人、Aさんに報告をした。明日14時に間に合うよう、病院に来てくれるという。Sくんもなんとか都合をつけ、医師との話し合いに同席してくれるという。ひとりでは自信がない。人は私のことを気丈だと感心してくれるが、AさんやSくんやOさん、Sちゃん、みなさんが支えてくれるからなのだ。

この夜も眠れず、夜中1時過ぎにSちゃんのケータイを鳴らした。出なかった。ウツラウツラしていてふっと目覚めると午前2時47分。それよりも1時間ほど前、Sちゃんがメールをくれていた。書かれていあたのは、『私にできることはなんですか?』のメッセージ。胸が熱くなった。

11月29日(金)

やっぱりほとんど眠れなかった。Sちゃんにメールを送る。できるだけ早くカオルくんに会いに行ってほしい、この先ずっと友達でいてほしい、息子たちと遊んでほしい……この3つ。それだけで充分だよ。

13時過ぎ、病室に到着。カオルくんはメガネをかけ、ラジオから音楽が流れていた。病院へ向かう途中、大井町で下車。T気功研究所へ行ってみたがきょうは閉まっていた。自宅へ電話をすると、先生が出られたので、カオルくんの病状の説明と、治療法についての説明をする。私が「免疫治療・樹状細胞療法」のことを話すと「かわいそうだよー、かわいそう。効果が薄いのに、体が痛いなんて、かわいそう」とおっしゃる。

14時。受付ロビーでSくん、Aさんを待つ。こんな私たちのために、仕事の合間にわざわざ足を運んでくれて、お礼のしようもない。この先、明るく前向きに暮らし、そのことを時折、報告することがせめてもの恩返しだろうか……。

病室に入ると、Sくん、Aさんは「わかる?」とカオルくんに声をかけ、励ましてくれた。14時30分頃。M先生、K先生、看護士さんの3人が現れる。M先生がカオルくんに向かって、「腫瘍が進行してしまっているので、今後の治療法を考えていかなければならない」とおっしゃった。選択肢としては、(1)化学療法(2)樹状細胞療法がある……と。

カオルくんは、医師から説明を聞いても、すぐに返事はできなかった。肺炎すら認識できていないだろう、カオルくんの状態で選べなんて無理だ。何か言いたげに、口をパクパク動かしている。筆談はできず、見守っていたAさんが「もうしばらく様子を見て、考えてみたいのよね?」と言う。カオルくん、うなずく。もっともだ。

M先生が「声を出してみようかな」と言いK先生に喉の管を外すように指示を出した。「声出るかな? アーウーって」と、M先生。するとカオルくんが、「アーー」と。出た!! 久々の声だ!! 「名前言ってみてー」と先生がうながす。カオルくん、自分の名前を言おうとするが声にならず、苦しそうな顔をした。「そうか、苦しいね。まだしばらく無理かなー」と、M先生。

「月曜日、HCUを出て7階の一般病室に戻りますから」と、M先生が言った。えーっ? そんな簡単でいいの? こんな状態で、治療の選択で悩んでいるときに……。M先生が去ろうとするので、樹状細胞療法のことを再確認したが……。自分でも言葉の整理がつかず、聞きたいことが充分に聞けず、自分の詰めの甘さに自己嫌悪。

守らなくちゃ、守らなくちゃ。1日でも長く1日でもカオルくんの体温を……。Aさんが「ちゃんと食べてる? きょうは、ナミエさんに無理にでも食べさせようと思って来たのよ」と、遅いランチを共にした。Aさんの存在にこの闘病は支えられている。このご恩、この先返せない……ともらすと、女神のような微笑みをくれた。

Aさんとランチを終えた後、Oさんが電話をくれた。毎回ケータイの音声が聞こえにくく、夜、改めて電話をすると言って、その場は切った。ケータイの着信の “O”の名前を見ただけで、胸が熱くなる。Aさんとは、カオルくんの今後の治療のことについて話し合った。Aさんは言う。「奇跡は、何もしなくても起きる時には起きるわよ」と。それから、「カオルさんにとって、ナミエさんは最高の奥さんね」と。

Aさんは、カオルくんの友人でもあり、私が今回闘病記を公開しているサイト、LADYWEB.ORGを運営している人だ。私が連載をしている中で、Aさんは、「たまにはカオルさん側からのメッセージが欲しい。カオルさんからの奥さんへの思いを、綴ってもらえれば……」との提案で、10月の末、カオルくんは LADYWEB.ORGに載せるための私宛メッセージをAさんに渡したという。

「それを読んだら、ナミエさん泣いちゃうわよ」と、Aさん。読まなくても、それを聞いただけで、涙がジュワンとにじんできてしまった。カオルくんからのメッセージがあるんだ……よかった……。そのメッセージはとても短いものだけど、最後は「ナミエ、愛してる、愛してる、愛してる」って、結ばれていた…… と。私がその「カオルくんの思いを読む日」が、できるだけ先になるといいのにな。

Aさんと帰りのJRに乗った時はもう日が暮れ始め、夜がいやだなーと思い始めたが、金曜の夜に楽しみにしているドラマ『イブの総て』があることを思い出した。するとAさんが「1回しか見ていないけど、興味を持ったわ」と言ったので、「このドラマの話ができる人、初めてです」と、嬉しくなって車内でドラマの行く末の話などの話をした。帰宅は18時。Aさんが「ボクたちのごはんのおかずに」と、持たせてくれたシューマイは、とことん疲れた夜に食べよう、と冷凍庫に入れた。そして朝、下ごしらえしたトンカツを揚げた。きょうAさんとのランチがなければ、元気にトンカツを揚げることはできなかっただろう。

11月30日(土)

きょうは、息子ふたりとカオルくんの両親、磯子のおばさんの計6人で病院へ行った。12時に病室へ行くとカオルくんは眠っていた。「起きてー。眠い? 起きてー」とカオルくんを起こす。でも目を開けても、すぐうつらうつら。両親やおばさんが代わる代わる声をかけすと、だんだんと目を覚ましてきた。息子たちも「わかる? わかる?」と、話しかけるとわずかにうなずくが、ひらがなボードでふたりの名前を指さそうとはしない。口も「まあき、ようき」と動くことはなかった……。

ようきはカオルくんの前で注意を引こうと、ずっと「面白い顔」をし続けていたが、カオルくんはそれに笑うことなく、息子をぼんやりと眺めていた。昨日はまだ唇も動かして、顔付きもはっきりしていたのに、たった1日で、どうしてこうも違うの? カオルくん、どうしちゃたの? 息子ふたり来てるんだよ……。

カオルくんはそんな様子だったが、息子ふたりの無邪気な姿が救いだ。きょうは名残惜しいけど退室。マツザカヤのレストランで食事をしようと、お年寄り、子供5人はタクシーへ。私は歩く。と、Sちゃんから電話!! 今、カオルくんの病室にいるという。「何時までいられる?」とたずね、私はマツザカヤへ急ぎ、お年寄りと子供たちを送り届けると、タクシーを拾って、再度病院に向かった。

私が病室に入ると、「わかるか?」と、Sちゃんがカオルくんに向かって問いかけていた。カオルくんはうなずいているが、Sちゃんは、「本当にわかってるかな?」と不安がる。Sちゃんに左手を掴んでもらい、「今からね、いろんな人の名前を言うから、この人の名前のとき手を握ってね」と私。「Y?(首を振る)、N?(首を振る)、S?」こっくりとうなずく。ホラわかってるじゃない、Sちゃん! 「Sちゃん安心したって!」と、カオルくんに言った。でも、Sちゃんはショックだったようだ。たった1か月で、コミュニケーションをとるのも難しくなったカオルくんの姿にショックを受けていた。15時過ぎ、Sちゃんと共に退室。

湯島の駅へ行く途中で、Sちゃんとお茶を飲んだ。これまでに撮影した、カオルくんのデジカメ画像を見ながら話した。Sちゃんは、「自分の余命を告知してもらいたいか? と聞かれ、俺ならば知りたい……と言ったけど、でも、あと1〜2年の命なら言ってほしいが、アイツの場合、1〜2か月だろう? それもベッドの上だろう? とてもかわいそうで、言ってほしくないな。その最後の賭け的な免疫治療も、ふだんの正常な状態だったらアイツは“やる!”って、絶対言うぜ……。でも、もうやってほしくない……」そうだよね。そうだよね……。

「子供を産んどいてよかったなー。それもふたり産んどいてな」「12年前、4年4か月ぶりにカオルくんと再会をした面会の帰り、地下鉄の中で“子供がほしかった”って言ったの、覚えてる?」「覚えてるよ!」「最後にメッセージがほしいって言ったじゃない。もう無理かもな……」「ねぇ、ずっと友達でいてね。息子ふたりと遊んでね」

つらくてSちゃんの顔を見れずにいた私は、ビデオを見ながら話していたが、チラリとSちゃんの顔を見たら、じーっとまっすぐ私を見つめていたので、涙がジュワンと出てきてしまった。そして、私はとんでもないことを口走ってしまった。「彼氏つくってもいい? なんて聞いたら、何て言うかな?」すると、Sちゃんが、「友達として、言ってほしくないナ」

夜、Sちゃんにメールした。『このところ、残される自分のことばかり考えていた。いちばんかわいそうなのはカオルくんなんだということを忘れかけていた。気づかせてくれてありがとうね。悲しいのは私だけじゃない。ごめんね。大切な友達に彼氏つくってもいい? なんて口にして。馬鹿だね、私。楽しいこと考えないと、もたなくてね。許してね』Sちゃんからの返事。『とんでもない! こちらこそナミエちゃんにはとても感謝しています。本当にありがとう! そしてカオルくんのこと、いちばん理解してるのは……あなたですよ!』