1997年6月の西澤明訓。
2015.09.19
スカパーの「日本代表スペシャルアーカイブ」は、1997年6月のワールドカップ一次予選・日本ラウンドの3試合(この時は、オマーンと日本のダブルセントラル方式)を取り上げていたが、昨夜がその3試合め(最終戦)だったんだが、遅ればせながら、録画していた1試合め(マカオ戦)を見てみた。目を引いたのは、この年の5月に初めて代表に呼ばれ、早速スタメン起用された(そしてこの年11月16日、マレーシア・ジョホールバルで日本をワールドカップ初出場に導く大車輪の活躍を見せた)中田英寿ではなく、西澤明訓だったという次第。
西澤は、2000年6月にモロッコで開催された「ハッサン2世国王杯」のフランス戦での超絶ジャンピングボレーが思い浮かぶが、2002年ワールドカップには出場したものの、1998年ワールドカップには、メンバーに残れなかった。代表に呼ばれたのも、中田と全く同じタイミング。で、そのマカオ戦ではスタメンで、当時から思っていたとおり、まるでファン・バステンのような柔らかさと強さをもったプレーは今でも目を引く。2002年ワールドカップでは、敗退した Round of 16 のトルコ戦にスタメン出場しただけで、一人だけキリンカップを戦っていた…とか酷評する向きもあったんだが、大会直前に確か虫垂炎の手術をしておりコンディションも万全ではなかったしな。ちなみに、この2002年大会は、期待されていた高原も病気でプレーできず、小野伸二もやはり直前に虫垂炎ということで、結構苦しい状況で地元開催の本番を迎えざるをえないという面があった。
西澤の話に戻すが、当時でもこれだけのポテンシャルを感じさせた西澤には、私なんかも結構大きな期待をもったんだな。その後、2000年のそのフランス戦での超絶ジャンピングボレーの後に、スペインのエスパニョールへ移籍し、さらに翌年、イングランドのボルトンへ移籍したが、ほとんど活躍できなかった。もちろんゴールも無し。その後、セレッソ大阪に戻って2002年ワールドカップのメンバーに選ばれたわけだが、前述のように勝利に貢献できず、、、という残念な、気の毒なヒストリーとなった。その後はケガも多くて2009年だったか、引退という選手生活。
でも、当時でもあのようなポテンシャルをもったフォワードを輩出していたことは特筆してよいんではないか。是非再び、西澤クラスのフォワードが出現することを期待したいもの。
ちなみに、このマカオ戦は、相手がナンなこともあるが、名波浩の(特に左足アウトでの)超絶プレーが随所に見られる。中田英寿も、インサイドでの強いキックのイメージが強いが、結構この頃はアウトでもパスが多かったのが新鮮。
なお、このマカオ戦の次のネパール戦は、一方的に攻めながらなかなかゴールが奪えず、ようやく前半終了間際に先制して、でもリザルトは3-0という、まるで最近の日本代表のワールドカップ2次予選的な展開の試合でありました。ま、それでも当時、ホームでそういう相手にスコアレスドローはなかったけどな。
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