ふたりの物語

竜馬が行く

(1月8日)
今年はNHK大河ドラマ『武蔵』を欠かさず見ようと決めている。毎年頭、今年こそ欠かさず見るぞ! と思うのだが、日曜日の夜8時は息子たちの明日からの学校を心配し“早く寝なさい!”と叫びちらし、朝食のお米を研いだりしているうちに、どんどん見られなくなってしまうのだ。それでも、夫が見ている隣で、途切れ途切れで内容が理解できなくても、時折質問すると、答えてくれるという状態は、それはそれで楽しかった。

彼がイスラエルにいた時の手紙のやり取りの中で、当時私が自分の道に迷いがあるような内容を綴ったところ、ぜひ『竜馬が行く』を読んでほしい、と返事がきた。歴史上、偉大な竜馬でさえ若いときは何をしていいのか、日々無駄に過ごしていたこともある……ということを、感じてほしかったのだと言う。素直な私は、さっそく『竜馬が行く』を読み始め、8巻もあるのに、あっという間に読みおえた。

そのころ私は変な夢を見た。ひとり京都の町を歩いていると、人がやたらと不思議そうに自分を見る。なんでだろう、なんでだろうと思いながら、四条大橋付近のデパートのトイレの鏡に映った自分の姿は、なんと……竜馬だった! 今まで自分が見た夢傑作選の中で、堂々の1位だ。

彼の帰国後、ふたりで京都旅行をした時、竜馬の墓参りをしようと訪れたものの、たどり着いたのは夕方で閉門。非常に残念な思いをした。以前、<もしタイムマシンがあったら、いつの時代に行ってみたい?>と尋ねた時、彼は迷うことなく「戦国時代!」と答えた。なるほど、さすが男の人だなあと感じたものだ。私はというと、竜馬はもちろん、近藤勇や土方歳三などの新撰組に会いたいので、幕末だ。

夫は歴史に詳しい。私の質問には、いつも答えてくれていた。大河ドラマを独りで見るのは寂しくてならない。これは無言で見るものではない。結局『武蔵』は、くじけて4回目からは見なくなってしまった……。

おつかい

(1月20日)
夫の長い闘病生活で、家のことを少しずつ息子たちに手伝ってもらっているが、つくづく箱入りのお坊っちゃまに育てていたなぁ、と感じる。初めてのおつかいも遅くて、確か長男のまあきが小1の時。近くの小型スーパーまで牛乳を買いにいってもらったのが始まり。それまで信号を渡らずに済む、その近所のスーパーのみのおつかいだった。

去年の夏。少し遠く、信号も渡る駅近くのスーパーで玉子の特売があった時、ふたりにおつかいを頼んでみると嫌がらず、「いってきまーす!」と元気よく出ていった。玉子を頼むのも、少し遠い店も初めてなので私はドキドキしていた。もう小3と小1じゃないか。親バカだなー。やがて「ただいまー!」と元気よく帰ってきた。よしよし、ちゃんと買えたかな? どれどれ、と手にしてる袋を見て目がテンになった。玉子の白身と黄身が袋の中で泳いでいる。

「ちょっと! 割れてるじゃないのー!」「あれ!?」
と、ようきはノンキに答える。まあきのほうの袋は? と見ると、これまた中で白身と黄身がジョブジョブ泳いでいる。ふたり揃ってなんてこったー。最初は激怒したものの、結局、笑ってしまった。そのことを翌日、夫に話すと、あきれてものが言えない様子で言葉が少なかった。

そして年がかわり、この冬。駅の先の大型スーパーへ、ふたりでおつかいに行ってもらった。牛乳、パン、納豆と、あまり難しくない内容だ。青いスクールバッグを持たせるとふたりは元気よくでかけ、帰ってきた。お店の人に聞かずに買えたと言い、役に立つようになってくれて嬉しいよ、と褒めた。

やがてふたりはヒソヒソ話し始めた。何かあったの? と聞いても、ようきは、「叱られちゃう」と口を閉じた。「何? 叱らないよ」と私。「あのね。試食、食べてきた」「よかったじゃない。何食べたの?」「ウインナーとラーメンとカルピス!」「おいしい? って聞かれた?」「ううん。双子って聞かれたよ」
おつかいの途中、試食品を食べているふたりの姿を見てみたかったものだ。こっそり後からついて行けばよかったと、少々後悔した。

翌日、すぐに夫に話した。うなずくこともできなくなってしまったが、試食の様子に、わずかに微笑んだ気がした。その大型店は、日曜日、お父さんと息子と3人で行くことが多く、ジュースを飲んだ! と喜んで帰ってきた姿が忘れられない。たまに“男同士の秘密”と、楽しそうな3人の姿が忘れられない。

三人目のただいま

(1月29日)
ほとんど毎日病院へ通っているが、1週間に1回ほど休む日は、このところ日曜日だった。しかしある水曜日、前日から体調不良で、どうしても力がわかず、面会を休んだ。

体を休ませても心は休まず、私が声をかけないとカオルくんはずっと眠ってしまい、意識がどんどん衰退してしまうのではないかと心配で、落ち着かない。ちづちゃんが「私が行ってくるよ」と言ってくれたので、安心したものの、溜まっている家事も片づけられないまま、ぼーっと時間が過ぎて行く。病院に行かないとなると、体が重くなかなかエンジンがかからない。

そうこうしているうちに「ただいまー!」と元気な声はようきの帰宅。さてさてのんびりしていられなくなった。続いて「ただいまー!」の優しい声はまあきの帰宅だ。ふたりがランドセルを背負って帰ってきた姿を見るのは久しぶりだった。朝「いってらっしゃい」と送り出した人が「ただいま」と帰ってくるのが、なんとも幸せに思えた。ようきが小学生となり、4月、5月、6月とその当たり前の幸せを、日々当たり前と感じていたのだろう。

息子ふたりよりも10分早く家を出る夫に「いってらっしゃーい、いってらっしゃーい!」と、朝からハイテンションで、近所迷惑じゃないかと思わせるほどの元気な息子たちがお父さんを見送る姿に、私は小さな幸せを感じていた。

午後。ひとり帰り、ふたり帰り。3人目の「ただいま」は夜遅く、疲れた声だった。よたよたと階段を上がってくる、あの音はもう半年も聞いていない。そして、この先、夢のような奇跡が起こらない限り、もう二度と聞くことはできないのだろう。

「お帰りなさい」をもう言ってあげられないのか……。久しぶりに息子を迎えた時、悲しくてせつなくて、やるつせなくて、夜になるのが怖くてならなかった。