ふたりの物語

病院で見た花火

(8月5日)
私は、多摩川沿いの川崎市(神奈川県)登戸で生まれ育った。釣りが趣味の父親に連れられて、私もクチボソなんて釣ったりしていた。夏休みには、川崎側の登戸と東京側の狛江とが同じ日に花火大会をした。毎年、家族で見に行き、父親はいつも仕掛け花火のナイアガラを楽しみにしていた。しかし、今ふり返ると、独身時代、私は好きな男性と楽しく花火大会を見たことがない。

高校の終わりから付き合っていたヒトと、登戸の花火を見たとき突然、私の両親、姉、姉の夫らに遭遇して、彼がひどく緊張してしまった。私まで緊張して花火どころじゃなかったし、付き合いもギクシャクしはじめていたこともあり、あまりいい思い出ではない。

私が20代半ば、なぜか妻帯者に気に入られ、私もそのヒトと話すのが楽しかったので、たびたび食事をしたり飲みに行ったりした。当時、不倫とは思っていなかった。気が合うから飲みに行く……それだけだったのに、彼は「妻と別れたら結婚してくれる?」と言いだした。びっくり仰天! そんなつもりはない。その発言で少々嫌気がさしていたころ、その彼と二子玉川の花火を見に行った。あいにく雨が降りだし、妙な相合い傘になった。その後、私は彼と会うのをやめた。それ以後、花火を一緒に見る相手は母親となった。

おむすびやビール、おつまみを持って楽しく親子水入らず。母親の楽しそうな姿を見るのが嬉しかったが、アベックを見るとやはり寂しかった。私のいつかステキな花火デートは実現しないまま、結婚をした。

長男が生まれた年、夫と調布(東京)の花火大会を見たが、長男がまだ2か月で、花火を見るにも、落ち着いては見れなかった。また、横浜港の花火を磯子の海から見たときは、次男が足元の干からびたミミズばかり見ていてイライラし、集中できずにいた。

そして今年……。隅田川の花火を、病棟の食堂から見ることになった。病室に行き「見えたよ! 行ってみる?」と聞くと、夫はテレビでいいよ、と言った。つまらなかった。

8月。車イスを押して売店から帰る途中、花火が見えた。病棟の女の子が「神宮の花火よ」と教えてくれた。2、3人の入院患者と看護婦さんとしばし花火に見入った。車イスの夫の背中と花火を眺めながら、“来年は親子4人で、夜風に吹かれながら見られますように”と祈った。

結婚披露宴

(8月13日)
私は夫から2回プロポーズを受けている。私が24歳のときと29歳のときだ。

私が24歳のとき、当時の夫はなんだかカッコつけていたし、若かったし、たとえ結婚したとしても披露宴はしないのだろうなと思っていた。だが、結局そのときはそんな話にまで至らないまま、あっさり別れた。そして4年4か月会わないまま再会。私が29歳のとき、2度目のプロポーズを受けた。そのときも披露宴はしないのだろうな、と思っていたのに、夫は「式も披露宴もやる!」と張り切っていた。

式場は赤坂日枝神社。私は白無垢に憧れていたし、白無垢なら神社がよかった。夫も、赤坂日枝神社なら仕事場に近く便利だということで、迷うことなく、すぐに決まった。それから何度も打ち合わせで日枝神社へ足を運ぶが、夫も何度も行っても楽しそうだった。

ほぼ式全体の概要が見えたころ、「立派な式になりそうだ!」と、神社の階段を踊るように下っていって喜ぶ彼の姿に、びっくりした。女の私より気合が入っている♪ 座席表やら招待状やら、繰り返し名前を書くことが多いので、夫の知人・友人の名をフルネームで覚えていった。式後、できあがった写真を見て、この方はこのお名前……と、照らし合わせるのが楽しかった。年賀状も宛て名は私が書くので、知人の名をどんどん覚えていった。

今回の入院で、お見舞いに来てくださる知人が姓をおっしゃってくださるだけで、下のお名前もお仕事も、結婚式でのお姿もよみがえり、正直、存じあげない、なんてことはほとんどなかった。

結婚式以来だね! と親しげに話してくださったTさん、ものすごく嬉しかった。入院当初から心配をしてくださり、何度も電話で話をしているOさん。忙しくてなかなか来れなかった、と謝ってくださり、夫が嬉し涙を流してしまったKさん。本当に、本当に励まされている。

患者本人はもちろんだが、私のことをみなさん気を使ってくださる。結婚披露宴はやっておくべきだなぁ。やっておいてよかったなぁ。つくづく感じる毎日なのである。

早く家に帰りたい

(8月20日)
入院当初、夫に、「何か持ってきてほしいものはない?」と尋ねると、「ないな」と答えた。「えーっ、ないのぉ!?」

私がもし入院となったら、ベッド周りをお気に入りで埋めつくすだろう。家族の写真、旅行の写真、詩集、写真集、愛読書、ユーミン、達郎、サザン、大滝詠一、ワイルドワンズ、竜童、バッハ、子供の声のテープ……とにかく、たくさんある。男のヒトって、小ざっぱりしすぎている。もうすぐ化学療法が始まるので、大好きなサイモンとガーファンクルのテープを持っていってあげたが、嬉しいとも、気がきくなあとも、何も言ってくれなかった。

「俺が英語を覚えたのは、サイモンとガーファンクルのファンになったのがきっかけなんだ」と、よく聞かされた。初めはメロディにひかれたけど、そのうち何を歌っているのだろう? と歌詞に興味を持ち、英語を覚えるのがどんどん楽しくなっていったそうだ。私は以前、ニューヨークへ旅行したおり、ジャズダンスセンターでレッスンを受けた。そのとき、ニコニコと話しかけてくれた女性がいたのだが、英語の意味がよくわからず、彼女との会話ができなかったことは、今でも悔いが残っている。

そんな話をしたとき、
「くやしい思いをしたくないのなら、努力しないとだめヨ。カーペンターズの歌でも覚えたら?」と言われ、その気になるも、日本においては必要に迫られないので、いまだに英語は話せない。病院の行き帰りサイモンとガーファンクルの歌を覚えてみようかな?そんなことを考えながら、さっそくテープをかけてみた。夫は静かに聴いていた。何曲目か、よく口ずさんでいた曲だ。

「何ていう題だっけ?」「早く家に帰りたい(HOME NARD BOUND)」しまった! よりによって何て曲名だ。聞かなきゃよかったー。夫はみるみる涙ぐんでしまっていた。ごめん、ごめん。早く家に帰りたいものねー。

無料券

(8月31日)
よく新聞の折り込み広告の中に、ファミレスのチラシが入っていて“○○フェア期間限定、半額!”などと謳い、クーポン券がついてることがあるが、私はそのクーポン券にめっぽう弱い。「行かなくちゃ」と、素直に思ってしまうのだ。

この夏も、焼き肉A亭のチラシを大事に大事にとっておいた。そこにはビール無料券がついていたのだ。願掛け禁ビール中だというのに……。夫の入院で、この夏は息子たちとゆっくりごはんも食べていない。“お子様焼き肉ランチが半額”は明日までだ。日ごろ、食の細い長男は焼き肉となるとモリモリ食べるのだ。そんな姿も見たいしなぁ。

「焼き肉でも食べに行く?」「食べる、食べる!」
答えはわかっていた。
「わー、おいしそう」
チラシを見て興奮しはじめた。
「ねぇ、ビール無料券だって。お母さん飲めばー」
ふたり声を揃えてすすめてくれる。いい子供たちだ。でも昼間から酔っぱらっちゃったら困るし、その後、病院行かなくちゃ……だしなー。ふたりに言い訳しながら、飲んじゃダメだと自分に言い聞かせていると、次男が、
「でもー、たしか、お母さんー、ビールはー、あれー?」
うまく言えないようだが、よくぞ思い出してくれた!

「そうなんだよねー、お父さんと乾杯できる日まで飲まないって決めたんだー」「じゃあ、飲んじゃダメじゃん」
その通り!
「そうだよね。じゃ、この券切るよ」

息子の前で破いて捨てた。あ……、すっきりしたぁ。翌日、開店一番乗りの我ら3人組は笑顔のランチとなった。

その日、夫の化学療法が始まっていたので、息子を病院へは連れて行かれず、駅で別れた。お子様ランチについてきたお菓子とおもちゃを持って、ふたりは楽しそうに帰っていった。私は病院につくとこの話をすぐ夫に話した。ビール無料券を息子ふたりの前で破いたというくだりになると、夫の瞳は涙でいっぱいになった。