
Kimono Master 山龍
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最初に一悶着あったけれど、教えに従って履いているので、私の草履はこの通り不細工にならずにスマートなままです。
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「草履の形はみんな同じ。幅の広い不細工な草履なんて、僕は渡せへん」
なんじゃと〜〜! まるで私の足が悪いような書きっぷりではないか!
「そんなこといわれても、痛いもんは痛い。こんな思いまでして着物なんか着たくない!」
大人げないと思いつつも、それが私の本音だった。何かを我慢してまで着るという価値観が、着物に対してはなかったから。
翌日、問題の草履を持って山龍のサロンに行った。鼻緒を引っ張って伸ばすという手もあるが、それでは草履の形が崩れる(山龍流にいうと不細工になる)のでと、彼はクリアファイルの薄いアクリルを指の形に丸めた変てこりんなガードを作ってくれた。バンドエイドだと、その厚みで余計に関節を圧迫するが、アクリルなら薄いし、堅いから鼻緒が指に食い込まない。
「昔スパイクが痛いとき、こうやってガードしたんよ」
アメリカンフットボールの選手だった頃の経験が草履に生かされるとは、彼自身も思っていなかっただろう。人生、何がどう役立つかわからない。そして、そのガードは効き目抜群だった。痛くない! でも、アクリルの端で指が擦れて、違うところが痛くなるかも?
そしてお出かけの日、いろいろ悩んだ挙げ句、結局私は何もせずにそのまま草履を履いて出かけた。最初は痛かったけれど、それで階段の上り下りなどをしている内に、痛さなんか忘れてしまった。草履に足が慣れたのだ。
「なんか、痛くなくなった……」
「そやろ」
ぐちゃぐちゃいわれるかと思ったら、そのひと言で終わった。ド素人の私のわがままに、手作りガードまで作って対応してくれた山龍に、プロの想いを感じた瞬間だった。
着物を取り入れる心意気とセンス
着物で出かけると、取り敢えず目立つ。それに加えて、年末年始の期間、パーティに出かける機会の多かった私は、面白い事実に気付いた。知り合いや仲間がたくさんいるパーティなのに、みんな私に気付かないのである。たぶん、今までの私からはまったくイメージできない格好でいるから。後ろから声を掛けると、振り向いたとたんに、みんながビックリした。「あら! 全然わからなかった。素敵じゃない! いいわよ、いい!」
その言葉で、私は今までしたことのないかなりいい笑顔になっていたはずである。着物にはそんな魔力がある。女性の中にある、喜びや恥じらいや優しさを自然に引き出す魔力。
「美人女将のいる温泉宿シリーズ」「銀座のクラブのママ」はたまた「PTAのお母さん」と言った仲間の冷やかしも、称賛の内。
それだけ効果のある着物である。いったいどこがいちばん見られるのであろうか?
「まず、正面からジロジロと見る人はいいひんから、だいたいすれ違い様にチラッと見はるの。左右後ろ斜め45度からの角度、要するに脇腹のあたりがいちばん見られる」
脇腹のあたりとは、帯揚げや組紐が覗くあたり。だから、お太鼓の丸みや、帯揚げ組紐とのカラーコーディネイトが大切だと山龍はいう。そこにごちゃごちゃ色があると、それだけでダサイ。すっきりとまとめることがかっこよく見せる秘訣なのだ。また、お出かけとなると、着付けたままじっとしているわけではないので、それなりの注意も払わなければならない。
山龍作の、プラチナ糸で作った草履とバッグのセット。プラチナの糸なので、汚れても雑巾で拭けばOKなのだそうです。
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なるほどね。
そして、身のこなしは、わざわざ山龍に聞くまでもなく、着物が教えてくれた。袂があるから、手を伸ばすときは、自然に反対の手を添えて袂を押さえる。モノを拾うときは、膝を折ってしゃがんで、横手に拾う。椅子に座れば帯のお陰で腰がしゃんと伸びて、いつもより姿勢がいいし、足も崩れない。お上品にしようと思っているわけでもないのに、膝の上に両手が揃う。足も組まなきゃ、頬杖もつかないでいる自分にビックリである。ピンヒールのパンプスにブランドもののスーツのときは、下っ腹にグッと力を入れて、歩き方にも注意していなければならない緊張感が必要だけど、着物はちょっと気を抜いても、かっこよさが崩れないのだ。
今年は春の訪れが早い。軽やかに着物を着て、かっこよく街に出よう! 着物だからって、和食に、歌舞伎に、お琴なんて偏るのはまっぴら。イタメシ食べて、『Pirates of Caribbean』観て、イル・ディーヴォに夢中になる。
着物というツールが増えたことによって、ライフスタイルに奥行きができた分、私はもっと私らしくなれる気がしている。
(2007.4.2)