第32回
「自己破産」の手続きを全て終えて、後は裁判所からの連絡を待つだけになった。

私は澤田さんが亡くなってから一度も行っていなかったスナックのバイトに顔を出すようになった。昼間のバイトとライターの仕事に加えて、夜も働くというのはなかなかハードだったが、それは昔、まだ実家に住んでいた頃にもやっていたことである。その頃は家賃もなく、それだけ働いていればお金を使う暇もなく、当時はずいぶん貯金があった。今、家賃や光熱費を自分で払っているのに、以前より収入が少なくなってもそこまで努力しなかったことのほうが変だったのだ。

ライターの収入は固定ではなく、少ない月もあれば多い月もある。借金はなくなったが貯金も全くなかったので、ライターの収入が少なくてもやっていけるように、昼間と夜のバイトで生活が成り立つようにした。支払わなくてはならないものは、借金がなくなってもまだたくさんあった。家賃や光熱費はもちろん、税金や国民年金、国民健康保険なども滞納していたし、NHKの受信料などもある。

光熱費は全て遅れ遅れになっていたので、せっかく借金がなくなってもまたいつガスや電気が止められるか分からず、余裕のある時に少しずつ払い、平常に戻さなくてはならない。私はとにかく、月末に「現金が足りない」という状況が怖くて仕方がなかった。もう二度と借金取りから電話がかかることはないとはいえ、ある日急に電気が止まっても、とりあえず支払うためにカードなどを使ってお金を借りることが出来ないのだ。そう思うと、とにかく必ず月末には支払われるバイトで、何とか必要最低限の現金を稼げるようにしようと思った。

突発的にお金が必要なことは、いくらでもあった。

友人の親御さんが亡くなってお通夜に行かなければならなくなったり、友達が出産したのでお祝いしなければならなくなったり、飲み会などに誘われることもある。基本的には夜のバイトがあるので飲み会などは断ったが、それでも全ての付き合いを絶ってしまうわけにもいかず、時々は顔を出すことになる。そういう時、まったく貯金がないというのは、本当に困る。借金が出来ないので、急な支出に対応する方法がなくなってしまうのだ。

だから、とにかく生活を切り詰め、少しずつでも残していくように心がけた。そういうふうにしてみてやっと、私は今まで、やはりお金に対しての心構えがなっていなかったのだと気が付いた。仕事で必要な資料を買わなければいけない時など、私はカードで本を買っていた。あまり値段などは考えなかった。けれど今は、本を一冊買うにも、迷い、躊躇する。それまでほとんど行かなかった古本屋などにも行くようになり、「欲しい」と言ってすぐに買うようなことは全くなくなった。

知らず知らず、カードを使うことに慣れてしまっていたのだと思う。「仕事で必要だから」「お世話になった人の誕生日だから」といろいろ理屈をつけて、「仕方がない」からとカードを使っていたのだ。しかしカードがなく、現金のみで生活しなければならないとなると、「仕方がない」と思っても、先立つものがなければ買うことが出来ない。その結果、何を買うにも慎重になり、吟味し、本当に必要かどうかよく考えるようになった。誕生日などのプレゼントも、出来る限りお金ではなく「労力」と「時間」を使うようにした。ライターであり、編集者でもあり、PCの操作もかなり得意なので、自分の得意分野を活かしたプレゼントを考えるようになったのだ。

例えば友人の結婚式があった時には、そのお祝いはお金ではなく、結婚式の出席者全員に配る「新聞」を作成して渡すことにした。全部で8ページにわたる小冊子とも言えるもので、作るのにはかなりの時間を要したが、今、自分が出来る精一杯のお祝いを考えた結果だった。見栄を張ってお金を包むことより、自分の持つ能力を最大限に活かし、労力を使うことのほうが今の自分に「出来ること」だったのだ。

確かに私は、ブランド物や貴金属には興味がなく、そういったものを買って作った借金ではなかったが、「誕生日プレゼントにいいものをあげよう」と考える見栄やプライドが、私の借金を膨らませていったというのも、事実なのだ。「二度と借金はできない」という状況になって初めて、私は自分の金銭感覚がやはりおかしかったのだという事実を思い知ったのだった。

自己破産の手続きをして、借金の支払いからは逃れたけれど、すぐに生活が楽になったわけではない。それでも、取り立ての電話がなくなっただけで精神的にはとても楽になり、お金の使い方やものの考え方に変化がおきた。借金があることが、自分の気持ちを後ろ向きにし、正常な思考を奪っていたのだと、今になってつくづく思う。一攫千金を夢見たり、まだ決定していない仕事の収入を当てにしたり、そういう非現実的な考え方に逃げていた部分があったことも、認めないわけにはいかないだろう。

毎月の収入の中で、使える分だけを使い、欲しいものがある時は、こつこつ貯めて購入する。多分、一般の人が普通にやっていることを、私はようやく覚えたのだ。私は借金を「踏み倒し」、顔も知らない多くの人に多大な迷惑を与えた。その結果が今現在、「欲しいものを買えない」とか「見栄を張れない」ということなら、それは当然の報いだし、最低限の生活を維持できる状況が残っているだけでもありがたいことだと思っている。

東京地方裁判所の前で堀田先生と別れてから、2か月が過ぎていた。たったそれだけの時間で、私は「生活していく」うえで必要なさまざまなことを学んだ気がする。30歳になって学ぶのでは遅すぎるが、少なくとも借金を抱えていた数年間とは、全く違った生活態度になったと思う。澤田さんにお金を貸してもらい、借金をほとんど返した時も、「これからはちゃんと生活していこう」と思った。けれどそれは口ばかりで、私は本当に困って苦しんだことがなかったのだと思う。

「はるかは口ばかりで、本当に甘ったれだ」
澤田さんがよく言っていた言葉が蘇る。私は二度と、そんなことを言われる生き方はしたくない。
裁判所からの連絡を待つ間、私はそんなことを考えていた。

もうすぐ澤田さんの一周忌という11月。
留守番電話に堀田先生からのメッセージが入っていた。
「裁判所から連絡がありました。11月6日付けで、自己破産が決定しました」