第31回
気の抜けるような「審問」が終わった。

名前を呼ばれた私と堀田先生が「弁護士席」のようなところに向かい、腰をおろした瞬間に、「審問」は終わっていた。「法廷」の前のほうにある扉から外に出て、エレベーターに向かいながら、
「これで終わりなんですか?」
と先生に質問した。
「ええ、昔はもう少しちゃんと時間をかけてやっていたんですけどね…ひどいですね」

最近ではずいぶん簡略化されたとは聞いていたが、こんなふうだとは思わなかったと、先生も驚いていた。若い先生の言う「昔」が、そんなに前のことを指すわけはないだろうから、やはりすごいスピードで「自己破産者」が増えているということなのだろう。

東京地方裁判所を出て地下鉄の入り口まで行くと、この近くにまだ用事があると言う先生が、
「これで平野さんにやってもらうことは全て終了しました。あとは裁判所からの連絡を待つだけです」
と言った。そして、
「何かあればまた、ここに来ることになりますが、多分大丈夫だと思います。破産宣告が出たら、すぐに連絡します。お疲れ様でした」
と続けて言うので、私は慌ててお礼を言い、先生に深々と頭を下げた。

「審問」があっさりしていたことにまだ驚いていた私は、地裁の目の前にある地下鉄の入り口で、いきなり先生に「全て終了」と宣言されたことをすぐに理解出来なかった。そのまま歩き出した先生の背中に、改めてお辞儀をする。慌しい中でしっかりお礼を言えなかったことが悔やまれるが、先生の背中が見えなくなる頃には、ようやく私も「終了」という言葉を実感し始めていた。

「自己破産をしよう」と決めてから、自分で本を読んで勉強し、何とか自分でやろうと努力した。その頃は、どんなに早くても全てが解決するには半年はかかるだろうと覚悟していた。出来ることなら年内に全てを終わらせ、新たな気持ちで新年を迎えたい。そう思ってもいたが、実際に個人でやっていたら、それは叶わない願いだったと思う。

自分で決めたことにも関わらず、結局弁護士に依頼し、お金を払うことになった時には、「これでは今までと同じで、他人の力に頼ることになるのではないか」と、何度も自問自答した。堀田先生の人柄を知り、自分の運のよさを実感し、「この人になら任せてもよい」と思ってからも、やはり「最後まで自分でやるべきだったのではないか」という思いが残った。

けれど、「法律相談センター」に行ってから、考えられないスピードでことが運び、扶助も無事下りて、すでに債権者とのやり取りも終わっている。そして裁判に関する手続きが全て終わった今、私はやはりこの出会いには意味があったのだと思う。

大切な人がたくさん亡くなって、そのたび私は現実を受け入れることが出来ずに、ただ自分の世界に閉じこもり、「今やらなくてはならないこと」から目を背け続けてきた。
「特に贅沢をしたわけでもないし、自分なりに頑張って仕事をこなしてきたのに、気が付けば返しきれない借金を負っていた」
私はそう思っていたけれど、やはりそれは間違いなのだ。

私は借金を抱えていたけれど、ちゃんと屋根のある家で暮らし、飢えもせず、着る服もあり、布団で寝て、机で仕事をしていた。それを「維持」出来たこと、それは贅沢なことだ。それを「維持」するためにした借金なのだから、やはり贅沢をしたのだ。

「夢」を旗印に、お金にならない仕事をやったり、きちんと決まった時間働いたりしなかったことも、全ては贅沢な言い訳に過ぎない。私が借金を作ったのは、自分に対する甘さと、人に対する甘えと、性格的なだらしがなさ故である。

自己破産の手続きをする間、私は自分の過去を何度も振り返り、それを言葉にする作業を繰り返していた。その中で見えてきたことは、「人に甘えて助けてもらったお陰で生きてくることが出来た、愚かな自分の姿」である。今まで、たくさんの人が私を助けてくれた。「夢があるのはいいことだ」と言って、「そんなに辛いことがあったなら、無理しなくていいよ」と言って、たくさんの人が救いの手を差し伸べてくれた。

そんな自分の甘さに気が付き、今度こそ自分の力で乗り越えようと思った「自己破産」でさえ、堀田先生という人に助けてもらって最後までやることが出来たのだ。普通では考えられない幸運を、私は知らない間にたくさんもらっていた。だからこそやはり、私は堀田先生に全てお願いしたことを、「逃げた」などとは考えないことにした。

「贅沢」をした結果作った借金を、こんなに早く整理することが出来たのだから、一日も早く生活を立て直し、自分を助けてくれた人たちに少しでも「何か」を返せる自分になることに、気持ちを向けるべきだと思ったのだ。考えられないことかもしれないが、私は借金が増えていくのと比例するように、恐ろしいくらいに太った時期がある。借金が増えるのも、贅肉が増えるのも、結局は自分に対する「言い訳」と「甘え」の結果だと思う。

太っていく自分を、喜ぶ人は少ないように、弱い自分をそのままに受け入れられる人も少ないだろう。仕事をせずに「現実」から逃げ出すたび、自己嫌悪に襲われ、「明日こそはしっかりしよう」と考える。それは、誘惑に負けて食べ過ぎて、「明日からダイエットしよう」と思う気持ちに酷似している。

借金は、私の心に取り付いた「贅肉」を、具現化したものだと思う。特に理由はなくても、日々の生活の中で、気が付かない内に「贅肉」は心に付いていく。美容整形で脂肪吸引をしてもらって、一瞬痩せることが出来ても、生活を変えなければ再び太るように、誰かにお金を出してもらって、一瞬借金を返すことが出来ても、自分が変わらなければ再び同じ事を繰り返すだろう。

私はもう、「贅肉」はいらない。

どんなに自己嫌悪に襲われても、どんなに「現実」から逃げ出したくなっても、ここまで辿り着くために、何度も何度も私を助けてくれた人たちがいた事を、私は二度と忘れない。もしも天国が存在して、そこで再び亡くなった人と出会えるのなら、私は澤田さんに少しでも、褒めてもらえる生き方をしたい。それが澤田さんへの恩返しになると信じて。