第33回(最終回)
電気が止まった真っ暗な部屋で、「普通の生活がしたい」と強く思ってから1年が過ぎた。

弁護士の堀田先生にお願いしてから、自己破産の手続きは順調に進み、「自己破産しよう」と決めてから約4か月後には、「破産宣告」を受けることが出来た。留守番電話に堀田先生からメッセージが入り、「破産宣告」が決定したことを知って、その後、何回も先生にお礼を言おうと電話をしたが、いつもつかまらず、直接話すことはなかった。

年賀状の返事に「頑張ってください」と書かれており、今後、まともに生活出来るようになって、それを形にして報告することが出来れば、と思っている。澤田さんのご遺族からは、その後借金についての連絡はない。一周忌の時に、「澤田さんには大変お世話になった者です」と手紙を添えて、澤田さんの写真をお送りした。それに対して丁寧なお礼状をもらったが、借金については何も触れていなかった。

そして「弟の三周忌は故郷でやるつもりなので、是非、いらしてください」というお誘いを受けた。澤田さんに渡した借用書がどうなってしまったのか、私には分からない。三周忌に直接ご遺族と会えば、その話が出るかもしれないが、本当にお誘いしてくださるなら、私は出席するつもりでいる。

ライターの仕事は相変わらず不安定で、新しい連載が決まる一方、それまでの仕事が打ち切られたりしているが、昨年よりは多少収入がよくなった。その分、昼と夜のバイトに行ける回数が減るので、全体の収入には大きな変化はない。それでも何とか毎月を乗り切ることは出来る。時々、ガスや電話を止められそうになるが、どうにか切りぬけている。

一番の変化は、そういった事態に対する自分の受け止め方だと思う。
明日にもガスが止まる。前月分の収入の残りはない。一番早く入る収入は2日後だ。という状況のとき、私は500円玉を入れた貯金箱の中から必要な分を取り出して、ガス料金を支払う。そういう「お金がない!」という状況の時のために、普段の生活の中で出来るだけ500円玉を使わないようにして貯めたものだ。

それを4000円分とか、電話代なら1万円分以上持ってコンビニに行って支払うとき、少し恥ずかしい気持ちがする。受け取る人はなんとも思っていないのだろうが、「支払えなくて貯金箱から持ってきた」と笑われている気がするからだ。でもそれ以前に、自己破産する前なら、「ガス料金を支払うお金がない」ということや、「500円玉で支払いをする」という状態そのものに落ち込み、情けなくなり、憂鬱な気持ちにさせられた。

けれど今は違う。例え500円玉でも、少しずつ貯金箱に貯めていったからこそ、ガスを止められる前に支払うことが出来たのだ。借金をしなくても、家賃や光熱費全てを払うことが出来たということである。30歳にもなって、こんな生活は情けないと分かってはいるが、少し前までの状況に比べれば、全てきちんと支払えるということは、とてつもなくすごいことなのだ。昼夜のバイトとライターの収入を合わせれば、平均的30歳の女性と月収はさほど変わらない。大抵の月は家賃、光熱費をすべて支払えるくらいは稼いでいる。それでも時々、苦しくなって、500円玉を貯金箱から出し、10枚づつ重ねて数えている自分の姿を、今はちょっと笑って受け入れることが出来る。

「まったく、この歳になって情けないよな〜」
と、自嘲しつつも、切り詰めて生活することがとても楽しいのだ。
仕事柄、プリンターに使うインクや紙などを買う機会が多いのだが、いつも決まった量販店で買うようにして、ポイントを貯める。先日はそれが結構な額になったので、デジタルカメラを購入した。久しぶりに「万」のつくものを、現金ではないとはいえ購入出来たことに、何とも言えない喜びを感じた。

つい最近は洗濯機が壊れてしまい、すぐには購入できないので手で洗っている。洗うことはさほど大変ではないが、絞るには相当な力が必要で、毎回腕が棒のように重くなってしまうのだが、これが意外に楽しい。洗濯すること自体が楽しいのではなく、「貧乏」を楽しんでいると言ったほうがいいだろうか。風呂場にしゃがみこんで、一人洗濯に励んでいる姿は何だか滑稽で、洗濯機ひとつ買えないことも、どこか喜劇じみている。

もしこれが一年前なら、「借金があって、カードもいっぱいで、洗濯機も買えずに手で洗うなんて」と、自分の状況を悲観する材料のひとつにしだろうと思う。それが今は、「ポイントを貯めて買うにはどのくらい時間がかかるかな」とか、「クリーニングに出すのと洗濯機を買うのはどちらが得なんだろう」などと考える余裕がある。同じことが起こっても、自分の精神状態によってこうも受け取り方が違うのかと、自分の事ながら驚かされる。洗濯を楽しんだり、500円玉で支払うことを楽しめるのは、心にゆとりがあるからで、自己破産したことで取り戻せた「ゆとり」自体を楽しんでいるのかもしれない。

自己破産をして驚いたことがもうひとつある。テレビCMなどでは見たこともないような金融会社から、「融資します」というダイレクトメールが、自己破産する以前よりたくさん届くようになったことだ。そういったダイレクトメールは、一度「街金融」でお金を借りると届くようになるのだが、自己破産をすれば当然、そういったところでも借りられなくなるというのが常識だ。最初のうちは、昔の名簿を使って出しているのだろうと思ったのだが、自己破産の決定がなされた後も、多数届く。しかも「審査済み」という印が押されたものが目に付くようになった。

自己破産決定後に届いた、消費者金融業者からの郵便物。その量は、軽く50通を超え、3万円〜30万までの融資ができると書かれている。
試したことはないが、今もし私がどこかの金融会社に行ってローンを申し込めば、間違いなく審査で落とされる。ブラックリストに載っているはずだから当たり前だ。にもかかわらず「審査済み」で20万円、50万円貸しますというダイレクトメールが、現在も送られ続けているのはどうしてなのか。

これは私の勝手な想像に過ぎないが、多分、自己破産をしているからこそ増えたのだと思う。自己破産の申告が受理されると、裁判所の前にある掲示板のようなところに、自己破産申告者の名前が二週間ほど公示される。その名簿を元に、自己破産した人に送っているのではないだろうか。

自己破産する事情や、その時の状態は人によりさまざまだろうが、例えば私のように自己破産寸前までローンや借金を返済していたという人もたくさんいるだろう。そういう人が自己破産をして、毎月支払っていた分がなくなれば、生活は一気に楽になる。何十万も毎月返済していた人に、新たに毎月1万円の返済で借金をしてもらえば、すでにたくさんの会社からお金を借りている人より返済率が高いと考えているのではないだろうか。

その考えを裏付けするようなものが届いたのは、破産宣告を受けてから2か月くらい経った頃だった。それは封書で来ており、その一枚にはいきなり「自己破産決定おめでとうございます」と書かれていた。
「自分も2年前に自己破産をした者です」
という挨拶に始まり、
「今、あなたは破産宣告を受けて大変すがすがしい気持ちでいるでしょう。自己破産をする前、弁護士からはカード等が使えなくなるだけで、ふだんの生活には支障がないと聞かされていたと思いますが、そろそろカードが使えないことやローンを組めないことがどれほど大変かということに気がついているはずです」
といった内容で、自分は自己破産してから2年しか経っていないが、海外でも使えるカードを持っていること、銀行からも借り入れしていることなどが書かれており、
「これらは決して法律に触れる方法ではなく、正規のやり方で出来たことです。その方法を、あなただけに教えます」
という著作物の宣伝の手紙だった。著作物といっても本になっているわけではなく、A4の用紙40ページを製本したもので、1万円となっていた。

私が破産宣告を受けたことをどうやって知ったのか。一時期的に公的な書類には自己破産したことも記載されるが、破産宣告を受けた時点でそれは抹消されると聞いている。しかもその書類を一般人が見ることがは出来ない。とすれば、前述したように、地方裁判所に張り出された公示を見たと考える他ないような気がする。

私はそのダイレクトメールを見て、かなり不愉快な気持ちになった。融資するというダイレクトメールにも腹が立ったが、自分も自己破産したという人が、同じ立場の人の弱みに付け込むような商売を考え出したしたたかさに、すごいと思う反面、嫌悪した。自己破産をした人の中には、先の生活の目処が立たない人も多いだろう。基本的には自己破産後の生活設計がきちんと立っていることも自己破産できる条件ではあるのだが、借金がなくなっても、生活を成り立たせること自体が難しいという人はいるはずだ。

「今月の家賃をどうしよう」と考えている人のところに、「審査済み」というダイレクトメールが届く。それには「電話一本で、今日中にあなたの口座に20万円振り込みます」と書かれている。
「今、取りあえず20万円あれば、家賃は払える」
と考えてしまう人を、私は笑うことはできない。

もちろんそれを実行してしまうことはとても愚かなことだ。目先の現金のために、安易に利子のつくものを借りてしまえば、再び借金地獄に陥るのは目に見えている。借りてしまう人のほうに非があることは確かだが、敢えてそういう人を対象に「審査済み」と銘打ってダイレクトメールを送ってくる金融業者のやり方にも、私は憤りを感じる。

自己破産の本には、「自己破産を悪いイメージで捉えず、人生をやり直すための方法と考えてください」という一文がある。私は今でも、自己破産は結局「借金を踏み倒すことだ」という思いを持っているし、人生の落伍者になってしまうというイメージも、自分が体験したにも関わらず持ち続けている。

それでも、「自己破産」をしたことでこれほどに精神的に開放され、新しく歩き出すことが可能になったのだから、私は後悔していない。カードが使えないことも、二度と借金が出来ないことも、「生活を立て直す」ためには必要なことなのだ。何故なら自己破産は、「借金をなくす」ということが目的ではなく、「正常に生活していく」ということのためにあるからだ。

自己破産は終わりではない。すべての問題を解決してくれるわけでもない。借金をしてしまった生活態度、考え方、お金の使い方など、生き方すべてを改めるためのきっかけに過ぎないのだ。まさしく「人生をやり直すための方法」である。安易にお金を借りられる現代では、さまざまな誘惑がある。それでも欲しいものがあるからと言って、生活が苦しいからと言って、再び借金をするようなことはあってはならないのだ。

「今だけ借りて、すぐ返そう」
そう考えて「審査済み」の金融会社に融資を申し込んでしまうのでは、何のために自己破産したのか分からない。もしそれで再び多大な借金を抱えることになっても、もう自己破産に逃げることは出来ないのだ。

まるで狙い撃ちのように送られてくるダイレクトメールを見るたび、「怖い」と私は思う。洗濯機が壊れたり、急な支出がある時などにそういったものが届くと、本当に恐怖を感じる。洗濯機を買うために、あるいは急な支出のために「一時期的」にお金を借りようと考えてしまうことが、あり得ないとは言えないからだ。

私はそのたび、澤田さんを思い出す。
そして今まで助けてくれた人たちのことを考える。
「自己破産させないため」と言ってずっと助けてくれていた人たちを裏切り、私はこの方法を選んだ。
「人生をやり直すための方法」を選んだのだ。

自己破産したことを無駄にはしたくない。
澤田さんをはじめとするたくさんの人たちを、二度と失望させたくない。
私の新しい人生は、スタートしたばかりなのだから。

(『ロード・オブ・ザ・自己破産』完)