第29回
2002年8月下旬。
私は弁護士の堀田先生と共に、東京地方裁判所へ向かった。いよいよ自己破産の書類を提出しに行くのだ。

地裁へ向かう前に赤坂にある堀田先生の事務所に寄った私は、そこで先生が作成してくれた書類に目を通した。基本的な内容は私が作ったものと大きな違いはないが、細かい部分に修正が加えられ、多分、こういう部分が「書類が通るか否か」に関係するのだろうと思わされた。

特に「自己破産に陥った状況」を書く「陳述書」は、私の話を元に先生が一から作成してくれており、「本当に一生懸命がんばったけれど、借金は増えていくばかりで、このままではいずれ破滅してしまうから、ここで一度やり直させてください。迷惑をかけることは本当に申し訳ないけれど、私も返済をし続けることは無理なんです」という心情が、切々と訴えられているものだった。

文章を生業にしている者ではあるが、自分のことをこういうふうに書くことは出来ないと、私は思った。「切々」と訴える文章を、自分のために書けば、それはどこか空々しく、言い訳がましいものになってしまうからだ。真剣に「陳述書」を読んでいた私に、堀田先生は、
「文章のプロの平野さんに読んでもらうのは恥ずかしい」
と言い、何枚にも及ぶ「陳述書」を、短期間に書いていただいたお礼を私が言うと、
「ほとんどは平野さんが書いたものを元にしているんですよ。裁判所に分かってもらうために、僕は多少の手を入れただけです。平野さんが書いたものでも、本当は充分だったんですよ」
と気を使って言ってくれた。

東京地方裁判所の入り口は、「一般者用」と「弁護士・検事用」に分かれていて、弁護士が入っていくほうには、身体検査や荷物検査がない。ロビーに入ってから先生と合流すると、早速13階にある「自己破産受付」に向かった。私がここへ来るのは4回目である。いつも天気が良く、書類を受け取ってもらえずに帰るときは、ギラギラする日差しに照らされて、余計にイライラしたものだ。
今日はまさかそんなことはないだろう。弁護士の先生と一緒なのだから、まさか書類を突き返されることはないだろう。

そう思う反面、毎回私の書類をつき返した受付の女性に、「結局弁護士を頼んだんだ」と思われるのは、悔しいような気もした。ここまできても尚、自分ですべてやって、あの女性に何の文句も言わせず受理させたかったという気持ちが拭えない。目的は、受付の女性に意趣返しすることではなく、「破産宣告」を出してもらうことなのだが、勇気を振り絞って向かった裁判所の、あの冷たい対応が忘れられないのだ。

堀田先生と受付に入っていくと、最初に書類をもらいに来たときに対応してくれた男性と、いつもの中年の女性が一緒に出てきた。
先生が書類を出すと、受け取った男性はパラパラと中を確認し、「では、待合室で待っていてください」と言った。いつも私がひとりで待っていた待合室に行き、腰を下ろそうとした瞬間、「堀田先生、○番の部屋へお入りください」というアナウンスが聞こえた。私は一緒に行かなくても良いということなので、私はいつものようにひとりで待った。

それにしても、この早さはなんだろう。先生はまだ、椅子にも座っていなかったのだ。
5分くらいすると、すぐに先生が戻ってきて、
「裁判官との面接は、3週間後に決まりました」
と言った。
「できるだけ早いほうが良いと思って、勝手に決めましたが、大丈夫ですか」
先生が重ねて言う。普通、裁判官との面接までには2か月くらいの期間を見なくてはならないと本には書いてあったので、私には何の問題もなかったが、戸惑ったのは、「もう、そこまで話が進んでしまったのか」ということだった。

書類を提出してから10分くらいしか経ってないのである。そんな短い間に、「書類提出」「免責申立」、そして弁護士と裁判官との面談が終わってしまったのである。更に、私が裁判官と会う日取りまで決まったと言うのだ。

再び5分くらいするとアナウンスが流れ、今度は私も一緒に、先ほどの受付に行った。いつも私の相手をしていた女性が何枚かの書類を堀田先生に渡すと、そこでしなくてはならないすべての用事が終わってしまった。受付を出て、エレベーターに乗る間、私はなんとも複雑な気持ちでいた。こんな場所に長居したいわけではないから、すべてがスムーズに進むことは喜ばしい。何の問題もなく書類が受付けられたことも、思ったよりも早く裁判官との面接が決まったことも、すべて嬉しいことだ。けれど私の心は、晴れやかさとは程遠い。

「あとは、費用を支払うだけですから」
堀田先生の言葉を聞いた私は、思わず、
「何か、とてもスムーズに進んで、すごく嬉しいんですけど、どうも…複雑な心境です」
と、言ってしまっていた。
「平野さんは、イヤな思いをしてますからね」
すぐに私の言葉の意味を汲んで、堀田先生はそう言ってくれた。そして
「あそこにいる人たちは、裁判所の中でもエリートなんですよ。だからちょっと偉そうなんですよね。僕みたいな弁護士のことも馬鹿にしていて、正直言うと、僕もあの人たちは苦手なんです」
と笑って話してくれた。

「弁護士の先生を馬鹿にするんですか?」
私は驚いて言った。
「そうですよ。こんな若造だから、見下した感じで。ちゃんと書類は揃えているのか…とか思うんでしょう。失礼ですよね」
明るく話す堀田先生を見ているうち、知らぬ間に気持ちが楽になっていた。不安と緊張でギリギリまで張り詰めていた神経が、いつもここを出るときには疲れとなって現れた。

私は自分が「自己破産」することを、どこかで「人生の落伍者」になってしまうというふうに感じていたし、裁判所に来るときにはいつも卑屈な気持ちがあり、書類を突き返されることでその気持ちは強くなった。けれど、別に私に対してだけではなく、個人で自己破産をやろうとなんであろうと、基本的にそういう人たちだと思えば、今までの鬱屈した思いや怒りも冷めてくる。単純かもしれないが、私はなんだか堀田先生に「仲間意識」のような親しみを感じ、すっきりとした気分になった。

その後、別の場所で「自己破産手続き」にかかる費用を支払った。これは扶助協会から堀田先生に支払われたものの中から、先生が出してくれた。
「3週間後、裁判所へ行く前に赤坂の事務所に来てください」
裁判官との面接が終われば、破産管財人が入るなどの問題がない限り、すべての手続きが終わる。

すべてが解決するまで、もうあと少しだ。
堀田先生と次の約束をして別れると、私はようやく見えてきた光明に目を細める。
すべては3週間後に決まるのだ。