第24回
「弁護士会法律相談センター」で堀田先生に依頼してからは、月末の支払いの時期になっても債権者からたった2本の電話があっただけで、どこからも連絡がなかった。

支払いの時期に電話がなると、いつもビクビクして、家も携帯電話も非通知の電話には出ず、留守電を聞いて債権者からだと分かると、それを聞くだけで憂鬱になった。入ってくる金額のうち、いくらをどこに支払い、支払った分をまた借りて、別のところに支払い、どうやって家賃や光熱費を捻出するか。一日のかなりの時間を、お金のやり繰りを考えることに使っていた。

そのことがどれだけ今まで、自分の精神を蝕んでいたか、それから解放されて初めて実感した。どんなに頭を使い、一日の大半を使って考えたところで、借金の返済と家賃、光熱費などを合わせた額が収入よりも多い以上、一切借金をせずに全てを支払うことなど出来ない。「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、収入で支払えないと分かれば、澤田さんのように自分を応援してくれる人の助けを当てにしてしまう。

最初の頃こそ、「お金をあげる」という言葉に恐縮し、辞退し、「では必ず返すから」という約束の上でその好意に甘えていたのに、次第に「どうしよう」と相談すれば「貸してもらえる」と、どこかで思っている自分に、私は気が付いていた。そしてそれは澤田さんだけではなかった。

「貸して」
と言い、借用書をちゃんと書き、少しでも返済していた澤田さんには、「返すふり」をしていただけマシかもしれない。私は「貸して」とは言わず、「今、こんなに困っていて、今月乗り切ることができなくて、どうしたらいいかわからない」と話すことによって、「生活費の足しに」と言ってくれる人の好意を当てにしていたのだ。

もちろん、最初から「借りよう」「もらおう」と思っていたわけではない。けれど、「貸してくれるかもしれない」と、少しも思っていなかったと言ったら嘘になる。澤田さんは、そんな私の心根を見抜いていた。

「お前はプライドが高いのか、本当に困っていても土下座して切り抜けようという気持ちがない。人間は本当に困ったら、恥も外聞も捨てて、土下座して、罵られても助かろうとするものだ。だけどはるかは、恥はかきたくないと思っている。大家でも、NTTでも債権者だって、土下座して謝って、事情を分かってもらえるようにしっかり説明すれば、身ぐるみ剥がされることなんてないのに、それをやろうとしない。それがはるかの悪いところだ」

そう何度も言われた。そしてだからこそ、「はるかから返してもらおうとは思わないけど、ちゃんと借用書を書きなさい。世の中のルールを覚えなさい」と言って、きちんとした書類を書かされたのだ。
「本末転倒だって分かっているけど」
そう言って、お世話になった人にプレゼントを贈り、「これじゃ海老鯛だね」と笑って言うことで、私は土下座をせずに助けてもらい続けていたのだ。

借金が嵩み、返済が不可能になっていくのと比例して、私は自分が荒んでいくのを感じていた。人の好意を当てにして、施しを受けることを許容する。よくテレビで、キャバクラなどに勤める女性が、多数の男性にブランド品を買ってもらい、それを売って生活している…などという事が紹介される。大抵それは、「とんでもない女性」として紹介されているが、私はそれを見て、いつしか自分がそういう「とんでもない女性」と同じ行為を繰り返していると思うようになった。

それを認めるのは、耐えがたかった。

私を助けてくれる人たちは、「はるかはブランド品を買うわけでなく、贅沢するわけでもなく、一生懸命、自分の夢に向かって頑張っているんだから、生活が苦しければ助けてあげる」と言ってくれる。けれど、自分の夢に向かっていても、頑張っていても、誰かが助けてくれるなど、普通はあり得ない。誰でも頑張っているのだ。ブランド品を買ってもらって売りさばくことが非難されるのは、人の好意を手玉に取り、何の呵責も感じないその良心のなさに腹が立つからだろう。

ならば人の好意を当てにして、自分の辛さや悲しみに浸っていられる生活を維持している私も、彼女たちとなんら変わりはない。私には彼女たちを非難するつもりはなく、そうやって生きていくことが楽ならば、それは本人の自由だと思っている。けれど、私はそんなふうに生きていきたかったわけではない。

どんなに貧しくても、「清貧」を御旗に掲げて、矜持だけは持ち続けたい。けれど追い詰められていた私には、自分が鈍していくことや、矜持がぼろぼろになっていることに構っている余裕さえなかったのだ。澤田さんが亡くなり、もう二度と誰かに甘えたりはしないと決めて自己破産をする覚悟を持ったとき、私はやっと、自分の矜持を取り戻したのだ。

堀田先生に会う日までの間、私はいつも助けてくれる三人に連絡し、今回自己破産をすることに決めたこと、現在、弁護士さんにも依頼したことなどを報告した。
「そんなに追い詰められていたのなら、どうしてもっと早くに相談しなかった」
何度も何度も危機を救ってくれた人たちは、異口同音にそう言ってくれた。もしも自己破産を考えて、マニュアル本を読んだ時にでも連絡していれば、誰も彼も再び「助けてあげる」と言ってくれただろう事を、私は改めて確信した。

そしてだからこそ、やはり相談しなくてよかったと思った。もし、あれほどに追い詰められているときに、「自己破産なんて止めなさい。お金は出してあげるから」と言われたら、私は間違いなく、その言葉に甘えただろう。けれど、それはもう、やってはいけないことなのだ。誰かの優しさを当てにして、その場その場を切り抜けても、私は何度でも同じ過ちを繰り返すだろう。

喉元を過ぎれば熱さを忘れるように、「今を乗り越えられればちゃんと生活できるのに」と切羽詰った思いを忘れ、何か辛いことがあれば、生活を維持することなどそっちのけで、自分の殻に閉じこもり、再び借金をするような生活を始めてしまう。今まで、「自己破産なんてしないほうがいい」と言って、それをさせないためにも私を助けてくれていた人に、「結局自己破産することになりました」と伝えることは、裏切りに等しいように感じ、言い出すのが苦痛だった。

けれど、やはりある程度見通しがついた以上、報告するのが義務だと思った。
「ずっと、自己破産しないよう、破綻しないようにって助けてもらったのに、ごめんなさい」
「結局、こういう結果にしかならないような生き方をしてしまって、ごめんなさい」
「応援してくれていた気持ちを仇で返すようなことをしてごめんなさい」
まるで自分のことのように心を痛めてくれる人たちを見ながら、私は何度も呟いた。

「でもはるかが自分で決めたことだし、前向きに生きていくために通り過ぎなくてはいけないことなら、仕方がないね。これからも応援するから、頑張るんだよ。僕が出したお金に関しては、自己破産の書類の中に入れることないから。それは貸したんじゃなくて、あげたんだからね」
三人三様、言葉は違えど同じ事を言ってくれた。私はこのとき初めて、本当の意味で澤田さんが私に教えたかったことが分かったような気がした。

私は、皆に借りを返さなくてはならない。それは借りたお金のことではない。それは「期待してるよ」という気持ちに応えられるもの。「応援するよ」という言葉に値するものだ。