第23回
神田にある「弁護士会法律相談センター」に行った時には、自己破産をしようと決めてからすでに3週間近くの時間が過ぎていた。相談センターで出会った堀田先生とは、1週間後に会う約束をしていたが、それまでにいくつか注意するべきことを言われた。

ひとつは今後、どんな会社から催促があったとしても、「弁護士に依頼したので、連絡はそちらにしてください」と言うこと。
この場合、自己破産をするために弁護士に依頼したということも伏せておく。
新たな借金はしないこと。
また、自己破産の手続きを進める以上、どこにも返済をしないこと、などである。

すでに返済がかなり遅れているところがあり、ここ数日、ずっと催促の電話がかかってきている。それに堀田先生と会った頃は、数社の返済日が重なっており、今日明日にでも各社から矢のような催促がくるはずだった。

自己破産の書類を裁判所が受理すると、「受理番号」というものをもらう。自分で自己破産の手続きをする場合は、この受理番号を明記して、「自己破産の手続き開始の通知」を出すことにより、債権者からの強硬な催促を阻止することができる。けれど「受理番号」がなければ通知を出すことができないため、手続きを自分で進めていた私は、催促の電話にどうやって対応すればいいのか、頭を痛めていた。

受理される前に「自己破産をしようと思っている」などと債権者に知れてしまうと、その前に少しでも取り立てようとして、逆に催促がひどくなる場合があると本に書いてあったので、いつまでも書類を受理してもらえなかった私には、債権者に対して取るべき方策がなかったのだ。それが、弁護士に依頼した場合は、書類が受理される前であったとしても、弁護士が着手した時点で、債権者は債務者(私本人)と交渉することができなくなるため、催促の電話に対し弁護士の名前を言えば、私への連絡が一切なくなるのだ。

このことだけでも、弁護士に依頼すると、個人でやった場合の困難さ、精神的な苦痛はかなりやわらぐ。自己破産の書類の中には、「債権者一覧表」というものがあり、そこには「債権者の名前」「連絡先」「初めて借りた日付と金額」「その理由」「現在の残額」などを書かなければならない。しかし何回も借りたり返したりを繰り返していたので、私はそれらの正確な情報を、全ての会社に関して揃えることができなかった。

それでは書類を作成できないので、どうしても調べられない2社に対しては、電話をかけ、「残額」を教えてもらうことにした。しかし、「今現在の私の借金額を教えてもらいたい」という私の問いに対し、先方は異常に警戒し、「何のためにそれを知りたいのか」と執拗に尋ねてきた。私は、「可能な金額であれば一括で払おうと思っている」と、電話をかける前に考えておいた理由を言ったのだが、「それはいつ払おうと思っているのだ」とか「財務処理や自己破産のためではないのですか」など、しつこく聞かれ、自分が借りている金額を知るために30分近く話す羽目になってしまった。

特にR社という女性専門の金融会社は、何人も交代で電話に出てきて、根掘り葉掘り聞いてくる。このR社は、返済方法が他社と異なり、銀行振込しか受け付けていない。そのため返済残額を知るには、会社に直接聞く以外方法がないのだ。借りるときも電話をして、次の日に自分の銀行口座に振り込んでもらうという方法を取っており、金利も他社より断然高い。最初に借りてから5万円ほど返した頃から、毎月月末になると電話があり、「○万円の融資ができますので、借りませんか」と言ってくる。

銀行のATM感覚で借りられる他社と比べ、借りる方法が面倒なため、返してはすぐ借りるという方法を、この会社に対してはしていなかったのだが、とにかく毎月「ご融資しますよ」という電話がかかってきて、しかも取り立ては他社より厳しく、一日でも遅れると今度は催促の電話がかかってくる。一度、どうしても返済の用意ができず、3日ほど遅れたことがあった。その時は払った次の日の朝8時頃、自宅まで取り立てに来た。すでに昨日払っていることを言ったのだが、前日に確認が取れなかったと言って、振込み明細を見せるように指示された。

遅れた自分が悪いことは分かっているが、数年間、地道に返し続け、すでに利子で元本は返しているくらいに払っているのに、毎月「平野様は返済も常にきちんとしてくださり、信用があるので是非、ご融資したい」と電話をかけてくるのに、たった3日遅れただけで家まで押しかけてきたことに、私はかなり驚いた。

堀田先生に会ってから、最初に催促の電話をかけてきたのは、そのR社だった。先生に会った日が支払日で、一日遅れたので連絡してきたのだ。私は堀田先生に指示された通り、「弁護士に依頼したので、そちらのほうに連絡してください」と言った。すると電話をかけてきた女性は、
「弁護士さんに依頼ですか…それは何についてですか? 自己破産ですか?」
と尋ねてきたので、私は再び先生の指示通り、
「それらについても、弁護士さんから何も言わないようにと言われているので、先生の方にご連絡ください」
と言った。
「それも言ってはいけないと言われたんですか?」
と、R社の女性は不愉快そうに言った。そして
「実はこの間、平野さんから電話をいただいて、残額を教えてくれと言われたので、多分自己破産しようと考えていることは分かっていたんですよ。自己破産するんですよね?」
とかなり強い調子で、重ねて言った。分かっているんだから、正直に教えなさい。そういうふうに言っているようだったが、何故そこまで私から聞き出さなければならないのか分からず、私はとにかく弁護士に連絡してくれということを言い続けた。

借金を踏み倒す。

自己破産とは、ある意味そういうことである。私には私の、「借金を返せない」理由はあるが、借りておいて、「返せなくなったから踏み倒す」という方法には、ずっと抵抗があった。生活が破綻し、知人に助けてもらってもなお、まともな生活を維持することが出来なかった私が、それでもなかなか自己破産に踏み切れなかったのは、この抵抗感があったことも大きい。

R社の、貸すときと取り立てるときの態度の違いや、異常な金利の高さなど、私の立場からすれば腹の立つこともあったが、それでも困ったときに自分で選んで借りた会社である。どんなに法外な金利であろうとも、目先の現金欲しさに借りたのは私自身だ。それを「返せないので、踏み倒します」と、例え口にしなくとも、そういう方法を選んだと伝えることは、私にとってかなり苦痛だった。

これから何件も電話があるだろう。そのたびこんな思いをしなくてはいけない。全て自分でやる場合と違い、「弁護士さんに連絡してください」と言うだけなのだから、大分気が楽とは言え、私は今さらながら「破産宣告」が出るまでの道のりを思い、暗い気持になった。けれど、その後に連絡があったのは、たった1件だけだった。しかもその会社は、「弁護士さんに連絡してください」と言うと、あっさりと納得し、
「では、弁護士さんの連絡先とお名前を教えてください」
と言われただけだった。

堀田先生と会って2日後、先生から電話あった。
「どこか債権者から電話がありましたか?」
先生にそう尋ねられ、2社から電話があったことを伝えると、
「昨日、早速債権者全てに、私が依頼を受けた旨、通知しましたので、その2社は通知を受け取る前に連絡してしまったんでしょう」
と言った。
次に先生と会うのが1週間後になったのは、ただ単に先生が忙しく、その日に本格的な打ち合わせをするまで、特に事態は何も変わらない。私は勝手にそう考えていた。

けれど堀田先生は、私に会った次の日にはすでに書類を作成し、各社に送ってくれたというのだ。
「運がよければ、親身になってあなたのためにやってくれる弁護士さんに出会うことができるかもしれませんよ」
東京地方裁判所で、受付の女性に言われた言葉が蘇った。
「もしかしたら私は、すごく運がいいのかもしれない」
堀田先生との電話を切った私は、そう感じていた。