第22回
「扶助協会に頼めば、弁護士費用を出してもらえるかもしれない」
弁護士協会に電話をして、そのように説明を受けた私は、すぐに弁護士に会うための予約を入れた。

「弁護士に頼まず自分で自己破産の手続きをする」
いつも目の前の困難から逃げ出し、澤田さんをはじめとするたくさんの友人知人に助けられてきた私は、今度こそ自分の手で問題を解決しようと決心していた。

けれど、自己破産の手続きを自分ですることに決めた一番の理由は、「誰にも頼らない」ということ以前に、弁護費用を用意することが出来ないという現実的な問題があったからに他ならない。

ここまで自分でやってきて、今さら弁護士に頼むことには抵抗もあったし、5000円も払って相談した結果、「扶助協会に頼んでも無理ですよ」と言われたらどうしようか…という不安もある。もちろん、もともと書類の書き方を教えてもらうために弁護士協会へ行こうと決めたのだから、その場合は当初の予定通りにすればいいのだが、余計な話をして時間が足りなくなっては困る。追加料金を求められることになっては、大変だ。

そのように不安になる根拠も、私にはあった。

東京地方裁判所で私の書類をチェックしてくれた中年の女性が、何回も弁護士を頼むように勧めているとき、「弁護士協会へ行けば、いろいろな弁護士さんがいますから、もしかしたら親身になって、料金についても、あなたのためになるよう、相談に乗ってくれる人に出会えるかもしれませんよ」と言ったのだ。「もしかしたら」「出会えるかもしれない」ということは、もしかしたら反対に、全く親身になってくれない人とめぐり会ってしまうかもしれないということだ。

私は弁護士が、ドラマにあるような正義感だけで力のない民を助けてくれるヒーローだとは思っていない。弁護士もひとつの職業である以上、仕事として成立しなければならないのは当然のことだ。だから余計な期待をして弁護士協会に連絡したわけではないが、「出会った人によって」その仕事振りにも違いがあるようでは、困るのだ。少なくとも時間内に、こちらの意図を汲んで、全ての疑問に答えてもらわなけば、行く意味もない。

散々「弁護士を頼め」と言いつつも、「運が良ければいい人に出会える」などという、無責任なことを言う地裁の女性に、例えそれが好意から出た言葉だったとしても、やはり私は好感を持つことが出来なかった。仮に弁護士協会で、あの女性が言ったような人と出会えなかったとしても、私は自分の考えをきちんと伝え、余計なお金は絶対に払わないと心に決めて、予約した日に弁護士協会へと出かけて行った。

私が予約した日は、午前中が既に一杯で、午後の1時半から30分間の約束だった。「着いたら書類を書いてもらうので、30分前にはくるように」との説明を受けていたので、私は12時50分に神田にある弁護士協会へ行った。オフィス街にあるビルのワンフロア−に、東京の三弁護士会が開設した「弁護士会法律相談センター」があり、エレベーターを降りると受付、その奥の廊下には小部屋が並んでいた。受付で名前を言うと、3枚の書類を渡された。銀行にあるような書き込み台にはすでに一人、中年の男性がおり、私も早速書き込むことにしたのだが、内容を見ると
「収入」「借金額」「借入先」「借金が出来た理由」「財産の有無」など、地裁でもらった「自己破産」の書類とほとんど同じものだった。

私は受付に戻ると、すでに地裁から書類をもらい、記入している旨を伝えた。すると受付の女性は、その書類をコピーさせてくれと言い、一応こちらの書類にも記入するようにと言った。私は再び書き込むための机に向かい、自己破産の書類を書くために調べたさまざまな数字を元に、3枚の書類を書き込んだ。すでに一度、自己破産の書類で書いていることだったので、先に来ていた中年の男性より先に書き上げることができた。

受付に書類を持っていくと、先ほど渡した書類とコピーを返却され、すぐに1番の個室に入るように指示された。そこへ行くと、一見して人の良さそうな若い男性が机を前に座っており、丁寧に名刺を出して挨拶した。名刺は赤坂にある弁護士事務所のもので、堀田一志と書いてあった。私は「弁護士相談センター」専任の人がいるものだと思っていたので、別の弁護士事務所の名刺を出されたことで、まず驚いてしまった。挨拶を済ませ、私が先ほど書かされた書類と、地裁に提出した書類のコピーを渡すと、堀田先生は早速本題に入った。

私は問われるまま、自己破産を決めてからの経緯を説明した。弁護士に頼む費用がないので自分で手続きをしようとしたこと、今までにすでに2回地裁に書類を提出しているが、2度とも返却されたこと。そして書類を受理してもらうために、相談センターに電話をしたら、扶助協会に頼んでみてはどうかと言われ、ここへ来たことなどだ。

「地裁は個人でやるのを嫌がりますからね」
と私の話を聞いた堀田先生は言った。

「どんなふうに言われましたか」と聞かれたので、私はコピーしたものとは別の、最初に地裁から返却された、付箋が貼ってある書類を鞄から取り出し、堀田先生に渡した。

先生はその書類を見て、その中のいつくつかの付箋について質問する。私は「それは財産とみなされると言われました」「そこは記入漏れだと言われました」とひとつひとつ答え、通帳のコピーに貼られた付箋について、「それはコピーがかすれているから、ちゃんと読めるようにコピーをしてくるように言われたんです」と言うと、堀田先生は、「それは苛めですね」と言った。

先生はもちろん、そんなことは一切言われたことがないし、正直に言って、こんな表紙の部分など、裁判官もちゃんとは見ないだろうと言った。苛めというのは大袈裟としても、先生が言うように、重箱の隅をつつくような間違いを指摘し、個人でやることを諦めさせるというのは、あの地裁の人たちの態度を思えばあり得ることである。

しかし何故そうまでして、個人でやることをイヤがるのか。私がそれを問うと、
「面倒くさいからでしょう」
と先生は言った。

「しかし、平野さんの書類は良く出来てますよ。これでは弁護士の出る幕などないくらいです。これだけよく自分で書きましたね」
堀田先生の暖かい言葉に、私は涙が出そうになった。

「扶助協会への手続きは僕がやります。多分、扶助は降りると思いますよ」
そう言われて、嬉しく思ったものの、万が一と言うことがある。
「もし扶助協会からお金が出ない場合、私は弁護士費用は払えません」
会話の間、私は何回も先生にそう言った。
「大丈夫ですよ。万が一のことがあっても、絶対に平野さんに負担をかけるようなことはしませんから」
いくら先生がそう言っても、
「だからってタダでやってくれるなんてことあるわけないのに」
と、私は不安に思った。

反面、たった30分の面会だったが、この先生ならば任せても大丈夫なのではないかと思えるものを、私は堀田先生から感じてもいた。何故なら、先生はとても「親身」になって、誠実に話を聞いてくれたからだ。一抹の不安はあったものの、私は扶助協会の件を先生に任せることにし、1週間後、赤坂にある堀田先生の事務所で再び会う約束をした。