第17回
「今度の舞台、はるかちゃんが脚本を書いてみない?」
小劇場の知り合いの一人からそう言われた時、私はやっと本当に皆の仲間になれると、心底喜んだ。

役者さんたちと仲よくなったとはいえ、基本的には受付や舞台裏を無料で手伝う「ファン」でしかなかった私は、「もの書き」として舞台に参加してみないかと言われたことを、「認められた」と受け取ったのだ。小劇場の芝居は、ほとんどがチケットは手売りで、ギャラが出ることはまずあり得ない。それでも私に声をかけてくれた劇団は私が売った分のチケットの半分をギャラとして支払ってくれると約束してくれた。

芝居を観るのは好きだったが、脚本を書いたことはなく、不安は多々あった。谷井企画にいた頃にはシナリオの教室に通ってはいたが、恋人の達彦が亡くなったことで、卒業しないまま辞めてしまった。それでも私は、自分の書いたものを発表できる機会を、無駄にしたくはなかった。澤田さんをはじめ、今まで自分を応援してくれた人たちに私の書いたものを観てもらえるチャンスなのだ。私はそのチャンスに賭けてみようと思った。

書いてみると返事をしてから芝居の本番まで半年。声をかけてくれた人と二人三脚で作り上げた芝居には、それまで親しくしていた役者さんたちもゲストで出演してくれて、その後の私の生活を大きく変化させるきっかけになった。

「陳述書」には、もちろんその芝居のことも書いた。仕事を広げるチャンスだと思い挑戦したこと。それをきっかけに、芝居のプロデュースまでも手がけるようになったこと。けれど芝居をいくらやってもギャラはもらえず、プロデュースした芝居で借金を抱えていったこと。「陳述書」を書いていてはっきり分かったことは、今現在、私が抱えている借金のほとんどは、この時に作ったものだということだった。

芝居をやる前に作った借金は、澤田さんをはじめ多くの人の助けで、ほとんどを返済し終わっていたのだが、芝居をやるようになり、書く時間だけではなく稽古時間さえも拘束され、ほとんど夜のバイトは出来なくなった。スナックのお客さんたちは、私が芝居を書いた時には大勢で来てくれた。20枚のチケットさえ売れない役者がいる中で、私は常に100枚以上のチケットを売り、チケットバックが入るときには、それだけでも大きな収入になった。

けれど、半年近い拘束の収入としては、あまりに少ない。その後、最初に芝居をやった時に知り合った村山という女性と、役者のマネージメントや広告企画の仕事などを請け負い、ある程度の稼ぎはあったのだが、村山とふたりで芝居をプロデュースして、稼ぎのほとんどをそれに注ぎ込んだため、ふたりに入ってくるお金はまったくなかった。

村山との仕事はお互いの人脈を駆使して、かなりの成果を上げていた。名刺の印刷を請け負うような小さい仕事から、商品企画、舞台企画、役者のマネージメントなど、数十万円単位の仕事まで、出来得る限りのことをやった。元女優だった村山は、やはり芝居に関わることをやりたいと考えており、もの書きと女優が組んで仕事をするならば、やはり芝居の上演をするべきだろうとお互いが考えていた。

公演自体はそれなりに人も入り、商業的に成り立つよう、広告収入などもあったのだが、結果的には赤字になった。それは今まで他の仕事で稼いだ収入を当てても足りないくらいの赤字で、私と村山はその赤字を折半して払うことにした。村山とふたりで引き受けている仕事や芝居の準備で、多忙な毎日を送っていたというのに、そこから入る収入が全くないのだ。

数か月間、たまに行く夜のバイトと、時々入るライターの収入だけで生活し、足りない分はカードで補ってきていた私には、折半した赤字を払うだけの余裕はなかった。芝居をやったことで、澤田さんや他の人たちも大変喜んでくれており、とても「赤字になってしまった」と言って助けてもらうことはできない。すでにその時持っていたデパート系クレジットカード3枚は、全て限度額に達してしまっており、それらから借金をすることもできない。散々悩んだ末、私はいわゆる街金融からお金を借りることにした。

昼夜働いて稼いでいた頃、私はセゾンのカードも持っていた。ある時支払いが遅れてしまい、店舗に払いに行き、すぐにキャッシングディスペンサーでお金を借りようとすると、まだコンピューター上は「延滞」になったままだったようで、そのままカードを没収されたことがあった。どういう理由であろうと、「未払い」のためにカードを没収されてしまうと、ブラックリストに載る。実際はどうか分からないが、私はそう聞いていたし、事実、その後他のデパートでカードを作ろうとした時に、審査ではねられた事があった。

だから、街金融からお金を借りようと思ったとき、「ブラックリストに載っているから、多分まともなところは貸してくれない」と思い、テレビなどでコマーシャルをやっているような会社には、最初から頼まなかった。今から思えばこれは勝手な思い込みで、とりあえずはそういった大手に頼んでみればよかったのだと思う。大抵の場合、大手の方が金利も安く、問題になるような取り立て方もしない。しかし「とにかく早々にお金を用意したい」という気持で一杯だった私は、冷静な判断力に欠けていた。

「どこからも断られた方でも大丈夫」「いくつもの会社に借金がある方でもお貸しします」そういったコピーのある会社なら、間違いなく貸してくれるだろう。私はそう思ってしまったのだ。そしてそういうところに借りようとしたもうひとつの理由は、店舗まで行きたくないというのがあった。だいたいその手の会社は「電話1本で、銀行に振り込みます」というシステムになっており、やはり「街金融は怖い」というイメージがあった私は、行かないでも借りられるという安直さに引かれた。

当時もすでに、無人でキャッシングできるところがあるにはあったが、やはりイメージ的にそういうところに行く勇気がなかったのだ。最初に電話した会社はすぐに20万円を振り込んでくれることになった。しかし私が用意しなくてはいけないお金は40万あり、仕方なくもう1件電話し、融資を申し込んだ。そこは私の審査をすると、自分の会社では貸すことが出来ないと言った。そしてもっと審査の甘い会社を紹介するので、そこから40万借りて、15万円を紹介料として支払うように言われた。

これは「悪徳商法」として、各金融会社に行くと必ず注意書きされている手法で、どこの会社にも「紹介すると言って手数料を取る業者に注意」というポスターが貼られている。当時はそんなことは知らなかったが、それでもそういう方法が違法である事は分かっていた。それでも最初の会社から20万円借り、あと20 万円必要だったその時の私には、例え倍の40万円返すことになってもすぐに手に入る20万円のほうが大切だった。

目先の問題をとりあえず解決し、将来の事まで考えが及ばない。とりあえず今、返すべき借金を返してしまい、この借金は、これからまた稼いで返せばいい。借金を返していく程の稼ぎの予定は全くなかったにも関わらず、私は「きっと返せるようになる」と信じて疑わなかった。