第3回
「亡くなった人は美化される」
と言う人がいる。

「だから忘れられないのだ」
と。確かにそうかもしれない。けれど、死別に限らず、誰にだって特別に忘れがたい人はいるはずで、その相手は大抵美化されているものではないだろうか。ただ違うのは、相手が生きていれば、自分の心に残っているイメージが美化されたものかどうか、確認する術があるということだ。

仮に私が達彦を、本来の彼以上に美化して記憶していたとしても、私にはそれを正す機会は決して訪れない。少なくとも私は達彦のことを「完璧な人だった」とは思わない。誠実だったわけでもなく、どちらかと言えばルーズで、お酒を飲んでしまうと平気で私との約束をすっぽかした。
 
けれど日々の生活の中で、自分が感じたこと、その日あったことなどを全て達彦に話すことが日課になっており、達彦がいるという状態が私の日常のすべてだった。当時は何も言わない達彦に物足りなさを感じたりもしたが、子供の頃からどこか情緒不安定なところがある私にとって、達彦の存在そのものが、「精神安定剤」だったのだ。

お葬式が終わり、達彦が一人暮らしをしていた部屋を片付けるまでは、やらなければならないことのお陰で何とか気を張っていたが、すべてのことが済んでしまうと、私は何をしてよいのか分からなくなった。

ついこの間までは谷井企画に通い、夜は達彦と過ごす。週末もかならずふたりで出かけていたので、その頃の私は、一人きりの時間をどうやって使うのかさえ、知らなかったのだ。そんなことを考えて、誰かに自分の思いを話したいと思った時、「今まではこういう話を達彦にしていたんだ」ということに思い至り、私は自分が失ってしまったものの大きさを思い知らされた。

10年以上経った今も、その時に失ってしまったものを埋められないまま、普通の社会生活を送ることができない、と言ったら自己弁護が過ぎるだろうか。

収入より多い返済額に、さすがの私もこのままではいけないとパートタイムで勤め始めた矢先、電話も電気も止められて、薄暗くなっていく部屋の中に座り込んで、私は自分が過ごしてきたこの10年を思って苦笑をもらした。達彦を失って、一時は生きていく意味も分からなくなり、将来はもの書きになりたいという夢もどうでもよいと思った頃もあったが、それでもどうせ生きていくなら、せめて目的を持って生きようと、私なりに頑張った。

確かに「やらなければならないこと」を放棄して、自分の世界の中に閉じこもる性格は何年経っても変わらなかったが、少しずつ仕事の幅を広げ、収入を増やしてきたのだ。なのにどんなに収入が増えても、少しも生活は楽にならず、たった2万円を用意することができなくて、やっと入った原稿料で遅ればせながら返済すれば、元金充当分は14円にしかならない。

こんな生活を、あとどのくらい続ければ、私の借金はなくなるのだろう。いや、無くなる日は本当にくるのだろうか。そんなことを考えているうちに、辺りはすっかり暗くなり、私は隣のアパートから漏れてくる明かりを頼りに、電話と電気の振込み用紙を探し出すと、近くのコンビニに出かけた。

振り込んですぐ、東京電力に電話し、支払った旨を伝えると、再び電力供給されるまで1時間ほどかかるという。あの真っ暗な家に帰るのかと思うと憂鬱だったので、近所に住む小学校時代からの友達の家に遊びに行こうかと考えたのだが、彼女の家に行くには、自転車を使うしかない。

その自転車は前日、駅に置いておいたところを撤去されたばかりで、そのことを思い出した時は、自業自得とはいえあまりの「踏んだり蹴ったり」の状況に、今度は笑いすら出てこなかった。

仕方なく私は自分のアパートに戻り、手探りでソファーベッドまでたどり着くと、家の中で唯一明かりのついている携帯電話を握り締めた。せめてこの暗がりの中、自分の情けない話を一緒に笑ってくれる友達と話したかったが、すでに携帯の電池も残りわずかで、唯一の明かりを失うわけにいかず、私はただぼんやりと携帯を眺めているだけだった。

貧乏な生活を経験した人たちと「貧乏自慢」の話をする時、電話、ガス、電気の順番で止められて、命に関わる「水」は最後まで止められないという話がよくでる。
私もそれまでに何度も電話やガスは止められてきたが、電気・水道が止められたことはなかったので、「水道が止められたら最後だよ」と相槌をうってきたのだが、現代社会で電気が止められては、何もすることができないとその時初めて実感した。

電話代も一緒に支払ったので、もう繋がっているだろうと携帯からかけてみると「お客様の都合により…」というアナウンスから「この電話番号は、電話機に繋がっておりません」という聞いたことのないアナウンスに変わっていた。留守番機能などがついた最近の電話機は、電気がなければ使用不可能なのだ。もちろん、電気が止まっていればテレビを見ることもできず、パソコンも使えない。

私が住んでいるアパートは公園の隣なので、もしも水道が止められたなら、そこへ行って水くらいは持ってくることができる。もちろんトイレだって公園にあるし、銭湯も近い。極論を言えば、お風呂に数日入れなくても、いちいちトイレに行くために外に出ることになっても、とりあえず何とか生活をすることができる。

しかし電気がないと身動きもとれず、パソコンが使えなければ、仕事ができない。真っ暗な中では原稿も書けない。仕事ができなければ、水道代も電気代も稼ぐことができないのだ。その日に入った原稿料は、電話代と電気代、それに金融会社Aに支払った2万円ですべてなくなってしまった。遅れているのはA社だけではなく、同じような金融会社Pにも、1万5千円支払わなければいけない。

次のギャラが入るまではまだ1週間あり、どんなに家中のお金のかき集めても、たかが1万5千円を用意することはできそうもなかった。今までも何回か、手元にまったくお金がないという状態を経験したことはあった。そのたびに古本屋に本やCDを売ったり、数少ないゲームソフトを売って、その場を凌いできた。しかし何回もそんなことを繰り返しているので、もうすでに売るもの自体がなくなっている。

私は500円玉が発行された当時から、買い物をしても500円玉は使わずに貯めて、ある一定の金額が溜まると貯金する、ということを続けていたが、最近はその500円玉貯金箱から毎日2〜3枚持ち出して生活していたため、その残りもわずかだ。少し前までは食費の足しにしていたビール券も今はすでにないし、持っていたテレフォンカードも売り尽くした。

もともとブランド品には興味がないので、リサイクルショップに持っていけるようなバッグや靴、スーツなどは最初から持っていない。明日パート先に行く電車賃と食事代くらいは残っていたものの、次のギャラが入るまでの1週間を過ごせるほどの生活費はないし、ましてや返済するための1万5千円を用意できる術は、もう何もなかった。

やはりもう、「自己破産」するしかないのだろうか。

しかし自己破産をするにもお金がかかると聞いたことがあるし、最近では自己破産する人が増えているため、小額ではさせてもらえないという話もある。弁護士に頼んで何十万円も支払うくらいなら、そのお金を借金の返済に充てたほうがいいのではないか?

それとも自分でやる方法というのもあるのだろうか?

今までどんなに人から自己破産を勧められても、「絶対に返す!」と言い張り、まったくその気のなかった私には、自己破産に対する知識はかけらもなかった。私が自己破産をする気になれなかったのには、一応私なりの理由がある。

ひとつは、「借りたものは返す」というごく当たり前の常識に従うということ。これは私自身のプライドでもあったし、「返せる金額だ」という高をくくった気持ちもあったと思う。

もうひとつは、何度もギリギリのところまで追い詰められながらも、何とか生活してこれたのは、いろいろな人に助けられてきたからであり、自己破産をしてしまっては、その人たちの好意が無になってしまうということ。

そして最大の理由は、やはり恥ずかしかったからだ。食べさせなければいけない家族がいるわけでもなく、病気を抱えているわけでも、リストラされたわけでもないのに、ただ自分に生活力がなかったために作った借金である。そんな理由で作ってしまった借金を抱えて自己破産したなどという汚名を、私はかぶりたくなかったのだ。

プライドを捨て、助けてくれた恩に報いることなく自己破産という汚名を着る勇気が、それまでの私にはなかった。しかし今、プライドに見合うだけの生活力もなく、恩返しできる見通しもまったく立たない私に、一体どんな「守るべき体面」があると言うのだろうか。

そこまで考えた時、突然ビデオが動き出し、電話機から留守番電話の声が聞こえてきた。試しに部屋の電気をつけると、突然周囲が明るくなった。電力が戻ったのだ。

「普通の生活がしたい」
贅沢できなくてもいいから、電話が使えて、電気をつければ明るくなって、蛇口をひねれば水が出て、ガスをつければ温かいお風呂に入れる。そんな当たり前の生活がしたいと、私はその時心底思った。毎月、どこにいくら払い、そこからいくら借りてどこに払うか…と、延々と考える生活はもううんざりだ。

まともに生活することもできない私が、プライドがどうのということ自体が間違っているのだと、そうやって見栄を張ってきたからこそ借金が嵩んだのだということを、私はその時に悟ったのだった。