その家は、けっして広くはなかったが、太陽の光がさんさんと差し込む、居心地の良い家だった。そのリビングルームで、このほうが落ち着くからとギターをかかえながら、彼はインタビューに応じてくれた。食べることが大好きなんだと笑う彼の体は、なるほど大きい。そんな彼の声は、(怒られるかもしれないが)小錦や曙などの、おすもうさんが持っているような、とても味のあるソフトな声だ。
3〜4才のころ、ユタ州の北にあるUteリザベ−ション(インディアン居留地)に住んでいたことがあるが、彼の生まれはカリフォルニアのオークランドだった。8才で再びカリフォルニアに戻り、サンフランシスコ、オークランドなどいくつかの都会で、ブラック・サバス(Black Sabbath)、バン・ヘイレン( Van Halen)などのハードロックを聞きながらアーロンは育った。高校卒業後、「なにか違うことを経験する」ため、ハワイで軍隊に入り、数年そこに住んでいたが、子供の頃からギターが得意だった彼は、ヘビーメタルのバンドを組み、そのころから本格的に音楽を始めた。大学では音楽理論を学び、ワールドミュージック、ネイティブアメリカンを含むウエスタンミュージックに影響を受けたという。
奥さんと出会い、アリゾナに移り、音楽活動をしていたアーロンは、9年前にネイティブアメリカンのフルートを、自分の音楽に取り入れることを思いつき、2人のバンド「バーニング・スカイ(Burning Sky)」を結成、曲ができるとすぐに、キャニオン・レコード(Canyon Records)と契約を結ぶことになった。
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