第26回
「財団法人法律扶助協会」は刑事・民事事件において弁護士費用を支払うことができない人に対し、無料で法律相談を行ったり、裁判費用を立て替える機関で、全国に支部を持っている。堀田先生が予約を入れてくれたのは東京都支部で、東京地方裁判所のすぐ近くにあるという。約束の日は、赤坂の堀田先生の事務所で待ち合わせをして、簡単な打ち合わせをした後、一緒に扶助協会へ出向くことになっていた。

先生に会ってから扶助協会へ行くまでに、数回、先生から電話をもらった。そのほとんどは債権者に関する書類について、私に確認するものだったが、中にはカードで支払っているものについて、今後どうするかといった内容のものもあった。例えばプロバイダ料金である。これらはデパート系のクレジットカードで支払っており、前月分の請求がすでにクレジット会社に回ってしまっている。

今後の支払いに関しては自分でも気になっていたので、各社のホームページを調べ、支払方法をカードから銀行引き落としに代えておいたのだが、クレジット会社に支払っていない月の分を支払わなければ、今後の契約を維持できないというのだ。先生は、プロバイダを今後も使いたいのであれば、それだけは支払ったほうがよいと言った。金額や、支払い方法などについてもすでに調べてあり、扶助協会へ行く日にそれらすべての書類を渡してくれることになった。

また税金や国民年金について尋ねられたこともあった。国民年金はすでに数年支払っておらず、税金も前年分が未納のままになっていたので、私は正直に先生にそう話した。税金などについては、自己破産の決定がなされても免除されることはないという。けれど一応申告しておいたほうがよいという先生の判断で、それらの請求書もその日に持っていくことになった。そういった細かい事に関しても、堀田先生がひとつひとつ指示してくれるため、扶助協会に行く頃にはほとんどの事柄について、すっきりと整理されている状態になった。

赤坂の事務所で簡単な打合せをした後、先生と揃って扶助協会へ向かった。赤坂から霞ヶ関は地下鉄で数分の距離である。先生はしょっちゅう行っているためか定期を持っていたのだが、駅に着くとすぐに切符売り場へ行き、私の分の切符を買ってくれた。いくら扶助が下りると言っても、切符代まで援助してくれるわけではないだろうと思い、「自分で支払います」と言ったのだが、先生は「いいですよ」と笑って言って、受け取ってくれなかった。

「扶助協会」には、たくさんの人が自分の順番を待っており、そこはまるで病院の待合室のようだった。老若男女が黒いソファーにひしめき合って座っている。会話はほとんどなく、皆疲れた顔で座っていた。病院と違うところがあるとすれば、その中にスーツを着て、書類を抱えた人たちが大勢いたことだ。多分、依頼人を連れた弁護士たちなのだろう。基本的にはすべて予約制なので、私たちの順番はすぐに来た。

部屋の中に入ると、仕切りで細かくスペースが区切られており、まずは受付で、既に先生が作っていた書類を提出する。いくつかの基本的な質問(名前や住所など)をされて、すぐ後ろの椅子で待っているように言われた。私はなんとなく落ち着かず、意味もないことを先生に話しかけたが、あまり浮わついた会話をする雰囲気でもなく、結局私は押し黙ったまま、順番を待っていた。

しばらくすると名前を呼ばれ、受付の後ろにある仕切りを抜けて、別のスペースへと移動した。そこには会議場にあるような細長い机がひとつ置いてあり、その上に置かれたパソコンの前に男性が座り、机の横に女性が立っていて、私たちに椅子を勧めてくれた。

書類を差し出すと、受け取った男性はさっと目を通し、私の収入額と借金額を読み上げ、
「これでどうやって生活しているんですか?」
と尋ねてきた。
「生活できていません」
私はきっぱり答えた。
「できないでしょうね」
男性はあっさりとそう言うと、私の目を見て言った。
「では、もしも自己破産をした後はどうするんですか? ちゃんと生活できるんですか?」
これは堀田先生にも問われたことだった。今後の生活の見通しもなく自己破産をすれば、安易な借金が出来なくなっている分、すぐに生活は破綻する。自己破産は、目の前の借金から逃れるその場しのぎの方策ではなく、一から人生を立て直すために行わなければならない。私が口を開く前に、
「大丈夫です。今後の生活設計は立てています」
と言ったのは堀田先生だった。

先生に同じ事を聞かれたとき、私は現在決まっているライターの仕事に加え、昼間のバイトを足せば、少なくとも次の年の春までは収入が確約されているということを説明していた。実際それは嘘ではなかった。もしも借金の返済さえなければ、贅沢は出来なくても、家賃と光熱費を支払うことはできる、それだけ仕事が増えてきたにも関わらず、借金が一向に減らないことに限界を感じ、私は自己破産の道を選んだのだ。

堀田先生の言葉を聞くと、男性はあっさり、
「分かりました。では、扶助します」
と言った。
次の質問に身構えていた私は、あまりの簡単さに、あっけにとられた。私の驚きなどお構いなしに、側に立っていた女性が書類を出してきて、何か記入を始める。
「返済方法は最低2万円からということになっていますが、いくらにしますか」
まだ驚きがさめない私の耳に、男性の言葉が聞こえてきた。返済? 返済ってどういうことだろう。事態がよく飲み込めずに、堀田先生の顔と男性の顔を呆けたように見比べていると、
「2万円は無理です」
と、私の横から堀田先生が言った。
「では1万円」
とまた男性が言った。

「扶助協会」は裁判費用を「立て替える」機関である。「立て替える」とは言葉の通りであり、「上げる」ではなく、「貸してあげる」という意味だったのだ。やっとそう思い至った私は、けれどそれについて今更意義を申し立てるつもりはなかった。すべての借金から開放されたい。やり直すなら借金のない状態からやり直したい。だから弁護士費用すら払わないと思っていたが、私はすでに堀田先生ならお金を支払ってもよいと思っていた。

「1万円も無理です」
私はようやく口を開いて、そう言った。同じ借金を抱えるにしても利子はない。ここで支払い額さえ低くしてもらえるなら、支払うことになっても仕方がない、私はそう思った。最低2万円からと言っていた男性は、「1万円も無理」という私の言葉に、少し困った顔になった。しかし堀田先生が、生活を立て直すためには、出来る限り安い支払いにして欲しいと熱心に言ってくれたため、最終的に毎月5千円払うことで落ち着いた。

男性がその金額をパソコンに打ち込むと、「決定書」という書類がプリンターから出てきた。その書類をゆっくり読む間もなく、
「お貸しするのは着手金、代理扶助実費として16万千円になります。それとは別に、弁護士さんには5万円、支払ってください。これは自己負担になります」
と男性が言った。

弁護士に5万円。それはどういうことだろうか。
扶助協会は、弁護士に支払う費用を立て替えてくれるのではないのか。
次から次へと聞かされることに、私はその場で呆然としてしまった。