第7回
私が知り合いの経営するスナックで働き始めたのは、恋人の達彦が亡くなって10か月経った頃だった。その10か月の間にいくつかのバイトはしたものの、どれも長続きせず、谷井企画に勤めている間に貯めた貯金も使い果たした私は、知り合いに強く勧められ、ヒマな時間に手伝うようになった。

最初の頃には「水商売」ということにやはり抵抗はあったが、「女」であることを求められるようなことはなく、家庭的な雰囲気に安心して、次第に抵抗はなくなっていった。他の仕事を始めてはしばらく休み、仕事がなくなるとまた通うようになるといったいい加減な勤め方で、かなり長い付き合いになる。お客さんの中には「お店の人とお客さん」という間柄以上の、友情とも言える関係を作っている人もおり、私が今まで、収入以上の借金を抱えながらも何とかやってこられたのは、そういう人たちの助けがあったからだ。

ここ数年、ほとんどお店には顔を出さなくなったが、定期的に連絡をくれ、
「最近はちゃんと食べられているか?」
と心配し、食事をご馳走してくれる。ビール券や商品券、果ては現金の援助までしてくれる人もいた。そういう話を友人にすると、
「そんなの受け取ったらダメだよ。下心があるに決まってる」
と言う。確かに私も、最初の頃はそう思っていた。けれど、具体的にそういったものの見返りに何かを要求されたり、口説かれたことはないし、明らかにそうと分かる人の援助であれば、断ってきたつもりだ。

もちろん、最初からそんなふうに援助を受けていたわけではない。だいたい、いくら親しくても「借金で首が回らない」などという話を誰にでもするわけではないし、少なくとも勤め始めてからの数年間は、援助を受けなければならないほど、切迫した状況ではなかった。

最初に私を助けてくれたのは、澤田さんという40代の独身男性だった。

達彦が亡くなって数年が過ぎた頃、私はフリーになり、その仕事とスナックのバイト代で生活をしていた。フリーになる決意をしたのは、もちろん月々に入る定期的仕事があり、それにプラスしてバイト代が入れば生活していけるという計算があったからだ。しかしフリーになって半年後に、家の事情でひとり暮らしを余儀なくされ、しばらくして当てにしていた定期の仕事が、不景気のために毎月から隔月、3か月に1回、半年に1回…と減っていってしまった。

そのため、ひとり暮らしをして数か月も経たないうちに、私の収入はほとんどがバイト代だけになってしまい、それだけでは家賃を払うのが精一杯で、クレジットカードなどを使って生活するようになった。当時は信販系のクレジットカードと、デパート系のクレジットカード2枚、計3枚のカードを持っており、それらを使い回していた。ほとんど収入がない状態ではすぐに3枚のカードから限度額すべてを借りている状態になり、まったく払えなくなった時に、澤田さんから 20万円借りたのだ。

澤田さんは「無利子・無催促」で、いつか余裕がある時に返してくれればいい、と言ってくれた。澤田さんは私が物書きになることを応援してくれており、フリーで生活するのは大変だから、困ったことがあったらいつでも頼ってくるようにということを、いつも言ってくれたので、その言葉に甘えたのだ。

その後私は、時々5000円程度返済し、また数十万円借りるということを、澤田さんに対し数回も繰り返した。ろくに返済しない私に、澤田さんは必ずお金を貸してくれたが、何回目かの時に、「ちゃんと借用書を書きなさい」と言った。

「はるかの悪いところは、だらしがないところだ。僕はお金なんていくらでも出して上げるし、本当に返ってくるなんて思ったことはないけど、借りている以上、毎月返せない時には電話の1本でもして、今月はこういう理由で返せませんというのが筋だ。それが出来るようにならないと、お前はこれから先ずっと、借金を重ねる人生を送る」
そう言われた。

確かに私は、澤田さんが催促しないことをいいことに、何の連絡もせず、数か月間まったく借金を返さないことが多々あった。月末になればもちろん、澤田さんにも返さなければと思うのだが、利子が付くクレジットローンへを優先してしまい、澤田さんへ返済するお金が用意できないと、謝りの電話を入れることさえ憂鬱になって、そのまま過ごしてしまっていたのだ。それでも澤田さんは、会えば必ずご馳走してくれて、時には洋服や靴などを買ってくれた。

そしていつも、
「はるかがいつか、小説を書くのが楽しみだ。100万円上げるから、どこかにこもって書いて来い」
などと言ったりしていた。その見返りは、
「僕に最初に作品を見せてくれること」
だと言う。澤田さんは私の身勝手さも、いい加減なところも、だらしがない性格もすべて知っていて、それでも寛容に私を応援し続けてくれた。そんな関係を10年近く続け、自己破産を決めた前の年には、澤田さんへの借金は200万円にも達していた。

今までの借用書と引き換えに、新たに200万円の借用書を手渡した日、澤田さんは
「今後は必ず毎月3万円払うこと、払えないときは必ず、今月は返せないという連絡をすること」
といつにないくらい厳しい調子で言った後、
「はるかの借金だけでは自己破産はできないだろうけど、その借金に僕の200万円を足せば自己破産できるだろうから、やったらどうだ? 弁護費用は貸してあげるから」
と言ってくれた。澤田さんは、債務整理や各金融関係でローンを組む際のコンサルティングの仕事をしており、自己破産などの手続きや個人の民事再生法などについてもかなり詳しい専門家だった。

澤田さんの言葉を聞いたとき、私は初めて、今の状況から抜け出るには、自己破産という方法もあるのだということを認識した。