よりどりみどり〜Life Style Selection〜


植物の力

ここ数日暖かな日が続いたので、ベランダにあるアザレアやミニバラ、ラベンダーが一斉に花開いた。街の花屋さんにも、花の鉢植えがたくさん並び、早いところでは、アジサイも出始めている。最近このアジサイ、中でも花が丸いかたまりになって咲くのではなく、ひとつひとつの花が垂れ下がるようにして咲く『ガクアジサイ』の種類がたくさん出回るようになった。「隅田の花火」「城ヶ崎」「剣が舞」「渥美絞り」と名前も和風で、手まりのように咲く西洋アジサイよりも、品があって艶やかである。2年前にたまたまよく花を注文する京都の花屋『井上花園』のサイトでこのガクアジサイというものを知り、それからちょっとハマっている。

一人暮らしを始めた頃、ガーデニングというやつを本気でやってみようと思った。しかし園芸店に行き、ビニールの袋に入った培養土とか、小さく一株ずつ小分けにされた花の苗を見ている内に、何となく悲しい気持ちになってしまった。やっぱり花は、地面にしっかり踏ん張って、仲間と連なってのびのびと咲いているのがいい。狭っこい鉢に買ってきた土を入れて育てるなんて、なんか寂しい気がした。ちゃんと手入れをして育てれば、自然と変わらないことはわかっているのだが、なんかモチベーションが上がらないのだ。これはたぶん、私の育った環境と、植物好きの父親のせいだと思う。

私の父親は、趣味とかいう高尚な感覚ではなく、本能的に植物が大好きな人だ。東京都下にある実家の150坪の庭には、私が小さい頃から、ありとあらゆる植物が生息していた。

私が幼稚園ぐらいの頃の庭は、庭というより畑だった。テラスの前には、トマトやナスがたくさん垂れ下がり、その向こうは土がむき出しのじゃがいも畑であった。東京都下とはいえ、れっきとした住宅地の庭を、ここまでワイルドな畑にしちまうんだから、すごい父親だ。おかげで私は、幼稚園の遠足で芋掘りに行ったとき、みんなにコツを教えられるくらいの芋掘り名人であった。

その庭は、私が小学校に上がる前に、突然、外国のホームドラマに出てくるような芝生に変わった。父親にどんな心境の変化があったのか定かではないが、その隅に鉄棒を作ってくれたので、逆上がりや、クルクル高速で回転するおてんば技を習得することもできた。ただ、その芝生のド真ん中にバカでかいリュウゼツランが植えられているのにはまいった。ビニールのボールで遊んでいるとそのとげが刺さり、ボールはいつも絆創膏の継ぎ接ぎだらけ。

おまけに、リュウゼツランというのは南国の植物なので、冬にはその周りをビニールで囲って、温室みたいになっていた。温室と言うと聞こえはいいが、端から見ると、汚いビニールの怪しい固まりだ。せっかくのアメリカホームドラマ的芝生のお庭も台なしである。ボール遊びをしていても、それが邪魔で腹立たしかった。なんであんな庭のド真ん中に植えたのか今度実家に帰ったとき、是非聞いてみよう。

他にも、シュロ、ソテツ、ダイオウショウ、バショウといった南国系の植物が、我が家にはたくさんあった。その一方で、ヒマラヤスギ、白樺なんていう高原の植物も元気に生息していたのだから不思議だ。父親に言わせると、

「このへんは、土がすごくいいんだな……うん」

とのこと。あまり納得できなかった。

ダイオウショウは、最初、50センチくらいしかなく、

「この木を飛び越える訓練をすると、ジャンプ力がつくんだよ」

と、私と妹は、毎日面白がって助走を付けては飛び越えて遊んでいた。お前は忍者か!

ところが、1年たっても、2年たっても飛び越えられる。まさか本当に忍者? ……いやいや、私と妹が毎日飛び越える度に木の上をかするから、芽生えた新芽をダメにしてしまい、生長を阻んでいただけの話だったのだ。私たちがそんな馬鹿な遊びに飽きたとたん、ダイオウショウはグングン生長し、あっという間に4メートルくらいの大木になったのだった。

父親の言った「土がいい」というのは、まんざら嘘ではなく、ウチの庭に植えられた植物は、どれもものすごく育ちがよかった。ヒマラヤスギは、数キロ先からも、あれがウチだ! と目印になるくらい高くそびえ、桃も、柿も、イチジクも美味しい実がたくさんなった。どれも、最初は小さな木だったのに、あっという間に生長してしまうので、庭はまるでジャングルのような有様。

「お父さんは、大きくなることなんか考えないで、無計画に植えちゃうから、こうなっちゃうのよ!」

母親が、よくぼやいていたが、父親は

「植物っていうのは、自然なまんまで生えているのがいいんだよ」

と、少しもめげていなかった。おかげで、ヒマラヤスギは理想的な生長を遂げた挙げ句、住宅街の庭にあるまじき大木となり、台風なんかで倒れて、隣の家を潰しかねないと、最終的にはプロに来てもらって切り倒した。ヒマラヤのような極寒の地に生息する針葉樹をみごとに生長させた父親はスゴイと思う。

そんな父親も、そろそろ80歳を迎える年となり、さすがに木の手入れをまめにすることもできないので、今実家の庭は、庭師によって、一見きれいに整理されている。が、よく見ると、シソ、山椒、春菊、アシタバ、ミョウガなどという、あると嬉しいけど八百屋で買うとやけに高いというものが、あっちの隅、こっちの隅で栽培されているのだ。木を手入れするのはしんどいけど、草ならまだまだ……といったところか。う〜ん、さすがだね!

そんな父のお陰で、ヒマラヤスギにつくマツケムシやアブラムシとも格闘し、キンモクセイやモクレンの香りを感じながら育った私は、やっぱりちまちましたベランダガーデニングには馴染めないのだろう。

だから私は、もっぱら観葉植物を育てることにしている。
初めて一人暮らしを始めたときは、ワンルームの小さな部屋だったので、ポトスの鉢植えを買った。値段が安くて育てやすく、場所も取らないからというのが理由だ。ところがこのポトスってやつは、とにかく生長が早い。ツルはどんどん延びるは、葉っぱはどんどん落ちるは。あっという間に冷蔵庫の上はツルが密集し、どうしようもなくなって、ついには捨てた。以来、ツルものには手を出していない。

麻布十番で眺めのいいリビングを手に入れたときは、コンシンネを置いた。30センチぐらいの鉢植えを近所の花屋で買ってぶら下げて帰ってきたものが、みるみる生長した。生長に連れて鉢が小さくなるので、3回も鉢を換えた。家に遊びに来た友達はみんな、

「これ、また育ってない? すっごい元気な木だね、住人に似て」

と言ったものだ。これ以上育たないようにと、鉢をサイズアップするのをやめ、かわいそうだが纏足することにした。にも関わらずすぐに天井にくっつき、そのまま突き破りそうな勢いだった。

対処に困り、これは師匠である父親に聞くしかないと思って電話すると、

「切っちゃえばいいんだ。また横から枝が出るから大丈夫だよ」

とのお言葉。言われるままに、のこぎりを買ってきて、えいや! とばかりにいちばん太い枝を切り落としたら、本当に数日後には横から別の枝が生えてきた、2本も。

現在、ウチのリビングにあるのは、コンシンネとセロウム。このコンシンネは、1メートルぐらいだったものをもらって、車の助手席に積んで運んできたものだが、これまた生長して、天井に達するのも時間の問題である。セロウムは、茎の長さが30センチぐらいの葉が、スッスッと上に延びたものだったのに、これまた生長して、葉の重さで横に広がり、今後どうしたものかと思案中だ。たかが観葉植物でも、育った後のことまでよく考えないと、いろいろ大変なのだ。世間では、育ちゆく観葉植物と、どのように折り合いを付けて生活しているのか、ぜひ伺いたい。

ところで、この間実家に帰ったら、すごいものを見せられた。

「うちのコンシンネも、すぐ大きくなっちゃってね」

リビングにあるのは、ウチなんか比じゃない巨大なコンシンネだった。葉の色艶も、張りも比べ物にならない。おまけにその横には、白い大きな花を付けたスパティフィラム。高さ1.5メートルはある。こんなでかいスパティフィラムは、ハワイでしか見たことない。

「どんどん増えるんだよ、これ。持ってくか?」
「いや、いい、いい!」

慌てて断った。

我が父、恐るべし!!