よりどりみどり〜Life Style Selection〜


勝負服

『勝負服』という言葉がある。

本来は、競馬でジョッキーがレースの時に着る、あのカラフルな服のことを言うらしいが、一般的には、自分がここぞ! というときに着る、とっておきの一着のことだ。例えば、合コンに着ていく服とか、プレゼンの時に着ていく服とか……。類似語に『勝負下着』もしくは『勝負パンツ』もあるが、これは話の方向がずれるので、別の機会にしよう。

私の場合、パーティだとか、友達と食事に行くときに着る服は、ハッキリ言って山のようにある。もともと女性誌、ファッション誌での仕事が多かったので、そのときどきの流行のテイストを押さえつつ、自分の好きな服を着れば、それがそのまま仕事にも通用した。会議だろうが、打ち合わせだろうが、センスがよければそれでOK。襟がついてなきゃダメだの、スカートは膝丈だの、派手な色はダメだのといった制約は全くなかった。みんな、オシャレでいることが仕事の一部……そんな感覚でいたような気がする。

ところが、広告制作の仕事をするようになって、場面が一転した。もちろん、制作の現場では、超カジュアルで構わない。ジーンズOK、Tシャツ、ダブルOK! しかし、打ち合わせにはクライアントが来る。大手企業の広報部の面々やらナントカ部長が、ビシッとネクタイ締めてスーツ姿で列席するのであるから、こちらもそれに見あった服装で臨まなければならないのだ。なにしろ、広告業界は、クライアント最優先である。電通の営業がみんなスーツなのも、プロデューサーと名の付く人が、会議では必ずスーツなのもそのせいである。郷に入っては郷に従えで、私も企業受けするスーツを、会議やプレゼン用に慌てて揃えた。

コマーシャル制作会社の制作の人間は、徹夜の作業や、ガテン系の労働が多いので、ジーンズにヨレヨレTシャツにスニーカー(へたすりゃビーサンのヤツもいた)が通常である。20代前半の男の子たちは、太めのジーンズをパンツが見えそうなくらいに下げ、お尻のポケットからジャラジャラとウオレット・チェーンを垂らした今どきのストリート系ファッションが主流だった。

それが、いざプレゼンに出席するとなると、大変身してスーツで来る。これがなかなかカッコいい。普段見慣れていないせいか、キリッと男前に見える。馬子にも衣装とはまさにこのこと。いつもはワックスでツンツンに立てている髪をスッキリとまとめているのも好感がもてた。ネクタイに、ちょこっと今風の柄なんかを取り入れているところに、そいつのこだわりが覗いて、「なかなかやるじゃん!」と思ったものだ。ジーパンにビーサンのときでも、仕事はちゃんとやっているのだが、スーツ姿になると、知性と品性のポイントが5割り増しになる。これは、絶対に得だなあと思った。

私がお手伝いをしているライフスタイルブランド『beluga』のスタッフにも、いつもジーパン姿でパソコンに向かっている男性がいた。社長である親友のY子は、それがちょいと気に入らない。

「会社にお客さんが来ることもあるんだから、もうちょっとちゃんとした格好で来てほしいわよね!」

と、ときどきぼやきながら、やれこの荷物をそこに運べだの、お昼の弁当を買ってこいだの、こき使っていた。ある日、得意先との打ち合わせにその彼、Tくんも一緒に連れて行くことになった。

「明日、ちゃんとスーツ着てきてね!」

と、きつ〜く言い聞かせたY子。そして翌日、Y子からの電話。

「ねえ聞いてよ。朝からTくんがスーツでパソコンの前に座ってるんだけど、なんかいつもと違うって言うか、すご〜く用事が頼みづらい雰囲気なのよ。なんか緊張しちゃってさ。弁当買ってこいなんてとても言えなくて、今日は私、自分で買いに行っちゃったわよ(笑)」

そうなのだ。人を外見で判断してはいけない、と言うけれど、やはり外見も言葉に勝るとも劣らない自己表現のひとつ。とても大切なのだ。今は堀江貴文被告になり果ててしまったあのホリエモンが、自分は時代の最先端を行く経営者であることを誇示するように、記者会見や公の場にTシャツで登場したとき、アホかこいつは! と思ったものだ(実際アホだったのだが)。いくらアルマーニやグッチのTシャツだって、TシャツはTシャツでしょう。というより、僕はアルマーニやグッチのTシャツなんだからOKでしょう、と思ってるところが既に田舎モンなのだ。ユニクロの¥1980のTシャツを着てるほうが、反逆精神があってまだ許せる。一つ間違えれば、

「みなさんのスーツの下のシャツは、アオキで¥4800でしょう? 僕のこのTシャツはいくらだか知ってます? アハハハ」

ぐらい言いそうな感じが腹立たしかった。かの美輪明宏さんも、

「服装にはTPOというものがあるのよ」

と、ホリエモンに対して批判的な意見を述べておられた。

このTPOにおける服の選択術は、女性より男性のほうがずっとヘタだ。仕事の場面で、格好よくスーツを着こなしている男の、なんと少ないこと。とにかくスーツにネクタイ締めてりゃいいんでしょ、という気のゆるみが一目瞭然で、隙だらけなのである。だから、やり手の女重役に滅多切りにされたり、部下に返り討ちにあうのだ。男が見事にスーツを着こなしたとき、それが無類の戦闘服となることをもっと意識するべきだと思う。

ところで、Y子とTくんの服装でのエピソードをもう一つ。
会社を出たとたんに忘れ物を思い出したY子。あわててTくんに持って来るように電話し、六本木の芋洗い坂を下りきったところにある会社の下で待っていたが、なかなか現れない。イライラして携帯で電話するY子。

「ちょっと、何してるの? 早くしてくれる?」
「えっ! もう出てますけど、どこにいるんですか?」
「会社の下よ」
「あっ、僕、六本木の交差点まで来ちゃいました」

Tくんは、Y子が六本木の交差点で待っていると勘違いしたらしく、Y子が会社の下に着く前に、芋洗い坂を駆け上がって、六本木の交差点まで行っていたのだった。
「うっそ〜〜〜! じゃあ、そっちに向かうわ!」
「じゃあ、僕も坂を下りていきます!」

Y子は坂を駆け上り、Tくんは坂を駆け降り……。
ところが、Y子が六本木の交差点にたどり着いたのに、Tくんは見当たらない。Y子の怒り爆発!

「ちょっと〜、どこにいるのよ!」
「えっ! 僕、会社の下に今着きましたけど……」
「うそ! 何で?」

間違いなく芋洗い坂ですれ違っているはずなのに、どうやらお互いに気付かなかったらしいのだ。そんな馬鹿な。Y子はどうも納得できない。

「じゃあ、コンビニの前で待ち合わせましょう」

というわけで、芋洗い坂の途中にあるコンビニで待っていたY子は、Tくんが現れたとたんに、叫んだそうだ。

「ちょっと〜〜、なんで今日、そんな格好してるの? それじゃあわからないじゃない!」

その日Tくんは、やっと買った春物のイエローベージュのジャケットにチノパン、中にはハイネックのカフェオレ色のニットという、普段の服装からは考えられないくらいスッキリとした、センスのいい出で立ちだったのである。

いつも服装をなんとかしろと言われるので、一念発起してキメてきたのに、「なんでそんな格好してるのよ!」と、またまた怒られてしまった彼の立場って、いったい……。