かつてヤングジャンプ編集部からもらったT−シャツを、キブツのボランティア仲間に配ってハイポーズ。一見同国の仲間のようだが、これだけでもイギリス、フランス、スイス、アメリカ人と国籍豊か。
 

イスラエル編〜第3話

イスラエルにあるキブツでは一日8時間程度の義務労働をするだけで衣食住を提供してくれる所がある。自己資金をまったく必要とせず、滞在型海外旅行を楽しめるのだ。18歳から30歳までの若者で「海外で生活をしたい!」という、あたなは即、行ってみるべし!

中近東の乾いたイメージとは異なり、現代のイスラエルは灌漑設備が発達しているため、特に北部には緑が多い。キブツの周りもこうしたふくよかな農地が多い。

マニシマ?

またまた、ヘブライ語の挨拶で海外レポートを始めさせていただきました。今回はヘブライ語のスラングで「調子イイ?」と、気軽に使える言葉です。どこでも同じですが、日常の会話ではあんまりていねい過ぎる言葉は使いません。イスラエルでは「マニシマ?」とは、誰にでもごく気軽にかけられる言葉です。よく覚えておいて下さいな!!

さて、今回はキブツでの日常生活を詳しく紹介します。

イスラエルに約250あるキブツですが、キブツによってずいぶん特色があると書きましたが、基本的な生活スタイルはどこも同じようなものです。私が最初にキブツに行ったのは、すでに10年以上前。一番最近では数年前。その間に10以上のキブツを訪問、滞在しました。その間、社会環境はずいぶん変わっていますが、キブツの基本スタイルはほとんど変わっていません。そんなことから今回は一番最初に私が訪ねた思い出のキブツから、紹介しやす! 

キブツの中心、ダイニングルーム。地理的な意味で中心にあることが多いが、毎日、すべてのメンバーが触れ合う集会場でもある、本当の意味でキブツの中心である。

 

おっかなびっくりの入国・
不安な英語人生開始

最初に訪ねたキブツは、イスラエル最大の商業都市・テルアビブから車で約30分。ナタニアというリゾート都市の手前、10分程度のところにあるキブツ・ヤクームにいきました。ここは約1000名ほどの人々が暮らす、ごく平均的なキブツ。最初は言葉の心配もあったので、イスラエル大使館の付属機関・日本コムナー協会が毎年実施している、ボランティア・グループに混じって行きました。(日本コムナー協会/電話03-3264-0528)

すでにオヤジになりかけている私ですが、平和ボケ度は今日このごろの日本人としてはごく平均的。その私はまず、イスラエル行きの飛行機に乗るときにビックリ!  入国の中継点となったロンドンで、テルアビブ行きのELAL(エルアル)機に乗ろうとしたが、そこで空港管制官から3度、4度も質問責め。「誰かに不信な荷物を頼まれていませんか?」「知らない人に、あなたのバックを触られたことはありませんか?」「本当に自分のものだけですか?」。そんなことを3人、4人の空港管制官が入れ替わりに次々と聞いてくる。

そして、インタビューが終わると、その話に矛盾点がないか皆で整合する。テロリストの乗機を避けるため、時には一人への質問というか、尋問が30分近くかかる。特に東洋人は、かつて岡本孝三がテルアビブ空港で銃乱射の事件を起こして以来、神経質とか!? そんな、嘘とも本当ともつかない言い伝えがある。ともあれ、急に、臨戦体制の国に入国する緊張感に、一同ビビリ出す。

しかし、そんなことも機に乗り込むとすぐに忘れてしまう。これまで飛行機には何度も乗っていたつもりだが、日本の国内便や国際便とは違う。なにが違うって、乗っている人間の人種が日本では見なれない人ばかり。日本からはるか遠くに来たことを実感する。やがて、飛行機は南欧を越え、中近東に入っていくと陸には雲も少なく、機上からだけでも、太陽ばかりが輝く中近東に来たことに魅了されてしまいます。

どこの公園にもあるごく普通の滑り台のようだが、これはキブツ内にあるシェルター。イスラエルには、国中のあちこちに緊急避難用のシェルターがある。

シェルター内部。こんなものが滑り台の下にあるなんて、日本人には想像もできなかった。しかし、核攻撃にまで備えているようではないので、第二次大戦中の日本にもあった防空壕的要素が強い。