ラッセル・クロウ、ミュージシャンとしての素顔

ハリウッド
今、「ハリウッド随一のセクシーな男」と言われているラッセル・クロウは、日本でも人気が高いようです。ですが、彼がミュージシャンとして活動していることは、意外に知られていないようです。

まず最初に、ラッセル・クロウのことをご存じない読者の方のために、ざっと彼の生い立ちを紹介しましょう。ラッセル・クロウは1964年、ニュージーランドのウェリントンで、写植屋の息子として生まれました。ラッセルが学齢期に達する前に、家族全員でオーストラリアに移住。その後、両親が映画関係の仕事をするようになり、幼い頃から撮影現場に親しんでいたようです。そしてラッセルが6歳の頃、TVの子役として出演するようになり、仕事がどんどん増えていきました。その出演料で家が建つほど稼いだと言われています。

子役時代はかなり活躍した彼ですが、年齢があがると共にTVからは遠ざかり、徐々に音楽の世界に傾倒するようになりました。10代の終わり頃、『ラス・ル・ロック(Russ Le Roq)』の名前で演奏活動を始め、1980年代初めにはオーストラリアで『I Want to be like Marlon Brando』というシングルを出しています。それにしてもこのタイトル。私はこの歌を聴いたことはありませんが、「マーロン・ブランドになりたい」なんて、この頃から「本格的な映画俳優」への、強い憧れがあったように思えませんか?

ラッセルが俳優としてのキャリアをスタートさせたのは1990年、彼が26歳の時でした。オーストラリア映画、『アンボンで何が裁かれたか』に出演して話題となり、同じ年の『ザ・クロッシング』で、早くも豪州映画協会の主演賞候補にあがりました。そして、1993年の『ハーケンクロイツ/ネオナチの刻印』で同賞を受賞、1995年には、シャロン・ストーンの勧めでハリウッドに足を踏み入れたのです。

その後、シャロン・ストーンと共演した『クイック&デッド』、デンゼル・ワシントンと共演した『バーチュオシティ』、キム・ベイジンガーと共演した『L.A.コンフィデンシャル』、アル・パチーノと共演した『インサイダー』、そして『グラディエイター』『ビューティフル・マインド』と立て続けに話題作に登場し、アカデミー主演男優賞の受賞で、その人気を不動のものにしました。

私から見ると、ラッセル・クロウは『ビューティフル・マインド』で演じたキャラクターのように、愛情深く優し気なイメージのほうが強いのですが、その素顔は、陽気で男っぽくてセクシーと評判、私生活の話題も華やかです。メグ・ライアン、コートニー・ラブ、ヘザー・グラハムなど、数々の美人女優たちと浮き名を流し、しかもいつも女性たちが彼を追いかけ、彼のほうは余裕たっぷり。「ぼくは自分から女性をくどいたことは、一度もない」などと公言し、話題になりました。ジョディ・フォスターの子供の父親では? とか、メグ・ライアンとデニス・クエイドの離婚の原因を作ったのでは? と、噂され、現在は「ハリウッド一危険な男」のレッテルを貼られています。

そんなラッセルは、2001年にアメリカで最初のCD、『Bastard Life or Clarity』を発売しました。テキサス州・オースチンの野外ステージで、プロモーションのためのコンサトツアーをスタートしたラッセルは、2000人の聴衆に向かって、こんな風に語りかけました。
「たぶんこの周りでは、ご亭主達やボーイフレンド達が、やきもきしているんだろうな」
この言葉だけ聞くと、「なんて気障なヤツなんだ!」と、腹が立ちますが、ステージ上でラッセルが言うと、不思議に似合うんですね。

25ドルで、全席自由席とされた野外ステージでは、少しでも早くよい席を獲得しようと、前の日から多くの人が長い列を作っていました。アメリカ全土からはもちろん、遠くはフィリピンから駆け付けた人もいて、会場は女学生が一斉に叫び声をあげたような、喧騒に包まれたのです。50歳になる、ある女性は、興奮した表情で語りました。
「私の夫は、今夜私がメロメロになって、よだれをたらしながら、帰ってくると思っているわ!」
37度を超える猛暑の中、まさに熱く燃える一日となったのです。

ジーンズに黒っぽいシャツ、無精ひげ、そして均整のとれたプロポーションに、見事な筋肉。 ラッセルがアコースティックギターを肩にかけ、『The Photograph Kills』を歌いだすと、会場は歓声と悲鳴の渦。女性達は「クロー、シャツを脱いで!」と絶叫し、男達は「最高だ!」と叫んでいました。そしてアンコール。彼はいったんステージの後ろに下がり、再び現れると、何か大きな金色のものを頭上にかざしました。よく見ると人型のしなやかなラインの彫像……。彼が『グラディエイター』で、とったオスカーです。

スクリーンの中のラッセルもいいのですが、こうやってステージで情熱をこめて歌う彼は、確かにセクシーです。ちなみにこの曲『The Photograph Kills』は、ラッセルがデンゼル・ワシントンと共演した『バーチュオシティ』の中で、BGMとしても使われています。

シドニー郊外に560エーカーの牧場を持ち、オフのほとんどをそこで過ごす自然愛好派ラッセルは、テキサス州の州都、オースチンがお気に入りのようです。オースチン郊外に家を借り、テキサス州知事のリック・ペリーと家族ぐるみの付き合いをし、テキサスの地ビールをこよなく愛するラッセルは、ここをアメリカでの大きな拠点、彼の第二の故郷と考えているようです。「ニューヨークのような、大都会より、オースチンのような街の方が性に合っている」と語るラッセルですが、この街で、もし巨大なハーレイ・ダビットソンでクルージングしている男性を見たら、それは彼に違いありません。

ラッセルは音楽活動の拠点も、オースチンと考えているようです。彼と彼のバンドはここでよくレコーディングをし、またコンサートもときどき開いています。ここでのコンサートには、サンドラ・ブロックや、ジョディ・フオスターなどの人気女優もゲストとして参加し、大都会ニューヨークで行なわれるコンサートに負けない華やかさです。

「ぼくはシンガー&ソングライターではあるけれど、自分の限界をよく心得ています。俳優としては、可能な限り自分の持てるものを出せるけど、ミュージシャンとしては、かなり低いレベルでの活動しかできません」

そう静かに語る彼ですが、歌にかける情熱は並々ならぬものがあるようです。コンサートが終わりに近づき、聴衆は騒ぎ立てるのに疲れ、音楽を静かに聞き出すようになると、その時が、ラッセルの一番好きな時間となります。

「この時間になると、ぼくは自分の本当の気持ちを、歌で伝えることができる。ぼくは小さい時から歌を作ってきたし、もうそれは、自分の一部になっています。それを伝えるのが、これからの時間なんです」

大好きな音楽活動と、俳優としての活動のバランスをとっていくことは、なかなか難しいことだと思います。でも、スクリーンの中だけではない、さまざまな表現手段で、自分の思いや情熱を伝えようとする彼の姿は、やはりとても素敵なものに映ります。
カオリ・ナラ・ターナー
日本人初のメイクアップ・アーティスト・ユニオン正式会員であり、ハリウッドで働くメイクアップ・アーティスト。アカデミー賞受賞作品『アメリカン・ビューティー』や人気テレビ番組『アリー・myラブ』などで活躍する他、後進の日本人の指導にも精力的にあたっている。