ハリウッドドリームを体現したスターたち

ハリウッド
ハリウッドは、映画産業という“夢を与える”街ですが、そこに生きるスターたちの生きざまも、また人々の夢や憧れを象徴する存在です。アメリカの片田舎からハリウッドにやってきた若者が、チャンスを掴み、大スターにまで登りつめる。または、毎日のパンにも困っている極貧の少女が、その演技力を認められ、有名女優となり、ビバリーヒルズの豪邸に暮らすようになる。 ハリウッドには、そんな絵に描いたようなサクセスストーリーが、たくさん存在します。
そこで今回は、ハリウッドドリームを体現した、2人のスターについて、お話しましょう。脚光を浴びている彼らでも、映画の中の姿からは想像もできない、厳しい時代があったのです。

マーク・ウォルバーグ

『猿の惑星』や、『パーフェクトストーム』など、話題作に連続出演している人気急上昇の、マーク・ウォルバーグ。映画の中では、穢れを知らない少年のような表情を見せている彼ですが、少年時代は、なんとストリートギャング。まともに食べることもできない極貧の暮らしの中で、暴力とドラッグに溺れる、荒んだ日々を送っていました。

ボストン郊外の貧民街、ドチェスターで、9人兄弟の末っ子として、マーク・ウォルバーグは生まれました。ドチェスターは、喧嘩や強盗などの犯罪が、日常茶飯事に起こるようなところ。マークの兄弟たちも、しょっちゅう外でトラブルを起こしたり、または巻き込まれたり…といった生活を送っていました。

そうした環境下ですから、マーク自身が、ストリートギャングの道をたどることは難しいことではありません。喧嘩に明け暮れ、極貧の暮らしゆえに万引きをくり返し、さらにはドラッグに手を出す毎日を過ごしていました。そして16歳の時、強盗騒ぎの最中に起こした傷害事件で、ついに刑務所入りとなってしまったのです。ドラッグを服用し、ハイになって起こした事件であり、彼は2年あまりを刑務所の中で暮らすことになりました。

出所後、職を転々とするマークに大きな転機が訪れました。人気グループ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのメンバーだった、兄のドニーの尽力で、ラップグループ、マーキー・マーク&ファンキー・パンチを結成したのです。小さいころから、ラップミュージックやブレイクダンスに興味があったマークは、一時期、兄のグループに参加したこともありましたが、より自分を表現できる場所を求めていました。マーキー・マーク&ファンキー・パンチは、プラチナ・ディスクを獲得するほどのヒットを出し、マークもじょじょに注目されるようになりました。その後は、カルバン・クラインのモデルに起用され、それがきっかけで映画に出演するようになったのです。

今や、ハリウッドのスターの仲間入りをしたマークですが、ドチェスターで育った少年時代をけっして忘れることはありません。子供たちを非行から救うため、多額の寄付をしたり、ドラッグの中毒患者にも、援助の手を差しのべています。「僕は20歳になる前に何百万ドルも稼いだけど、だからと言って、それで幸せになったわけじゃないんだ」と、彼は語ったことがあります。過去の罪を償うとともに、自分と同じような境遇の子供たちのために役立ちたい、彼はいつもそう思っているのです。「彼はまさに、贖罪の象徴のようだ」と語った、『The Yards』の監督の言葉は、まさに本当のことだと私は思います。


さて今回、私がサクセスストーリーの主役として、もうひとりご紹介したいのは、『ゴースト/ニューヨークの幻』や『G.I.ジェーン』で、日本でも大人気のデミ・ムーア。皆さんもご存知のように、ブルース・ウィリスの奥さんだった人で、ブルースがメークアップアーティストとして私を可愛がってくれている関係から、私も彼女の暮らす豪邸にお邪魔したことがあります。彼女はパッチワークのコレクションをしていて、それが家の中に無造作に、そして山のように積み上げられていたことが、印象深く残っています。実は、このデミ・ムーアも、ハリウッドドリームを体現した人なのです。

デミ・ムーア

何百万ドルもするマンションや、25エーカーもの牧場を所有し、専属のメイドやシェフ、スタイリスト、トレーナーを従える、大スターのデミ・ムーア。今の華々しい生活を送る彼女からは、悲惨な子供時代をうかがい知ることのできるものは、なにひとつありません。けれど、彼女もまた、麻薬中毒患者の親を持ち、貧しい子供時代を過ごしてきたのです。

彼女は、ニューメキシコのロズウェルにある、トレーラーパークで育ちました。両親は麻薬中毒患者のうえに、大酒飲み。当時の彼女の生活は、毎日のパンにも困るほど極めて貧しいものでした。「私には、お金というものには縁がなかったの。何年間も1セントも使えなかったわ」と言う彼女の言葉には、誰もが驚くでしょう。そんな状況の中でも、彼女は強い野望を捨てずにいたからこそ、今の成功があるのです。

高校時代にモデルの仕事を始めた彼女は、TVシリーズで人気になり、『恋人たちの選択』で映画デビューを果たします。1985年、『セント・エルモス・ファイアー』で注目され、1987年にはブルース・ウィリスと結婚。『ゴースト/ニューヨークの幻』で世界的に有名になり、1本の出演料が120万ドル以上というランクの女優にまで登りつめたのでした。その後、『素顔のままで』『スカーレット・レター』『G.I.ジェーン』など、斬新な映画に意欲的に挑戦し、彼女の地位は、もはやゆるぎのないもになりました。

それでも、極貧の生活から這い上がった彼女の“野望”はまだ終わってはいません。彼女の“野望”は、今やスターダムではなく、とてもシンプルなこと、ウィリスとの間にできた3人の子供たちのよき母になることなのです。

「私の目指しているゴールは、子供たちが大人になった時、私と一緒に暮らし、素敵な愛すべき関係を保っていくこと」

彼女はそう語ってくれました。


今回ご紹介した2人の例は、けっして珍しいことではなく、こうしたサクセスストーリーが、ハリウッドにはたくさん存在します。けれど、チャンスをものにし、スターの道を駆けあがっていくことは、容易なことではありません。夢を実現させるためには、人一倍の努力もそうですが、誰にも負けない強い意志を持ち続けることが大切なのです。マーク・ウォルバーグからも、デミ・ムーアからも、私はそれを感じます。
カオリ・ナラ・ターナー
日本人初のメイクアップ・アーティスト・ユニオン正式会員であり、ハリウッドで働くメイクアップ・アーティスト。アカデミー賞受賞作品『アメリカン・ビューティー』や人気テレビ番組『アリー・myラブ』などで活躍する他、後進の日本人の指導にも精力的にあたっている。