Vol.01 世界的名家の令嬢が集うパリのデビュタント・ボール

昔々、イギリスの上流階級の家では、娘たちは18歳の誕生日が来るのが待ち遠しかったものでした。彼女たちはデビュタントとして女王陛下に初めて謁見し、華やかな社交界の一員となると、その年からレディとして、舞踏会へと参加できたのです…。

ウィーンのデビュタント・ボール(舞踏会)。デビュタントたちは今も伝統と格式にのっとり、白いドレス、 白い手袋でウィンナーワルツを踊ります。
おとぎ話を現代に受け継いだような、そんな夢のデビューの場は「デビュタント・ボール」と呼ばれ、やがてこの伝統は、ヨーロッパ中へと広まっていくこととなったのでした。

フランスにおいては18世紀半ばという時代には、この伝統のルーツがあったとも伝えられています。1950年代にこの伝統は復活し、ベルサイユ宮殿やパリオペラ座で毎年、デビュタント・ボールは開催されていました。当時は、デビュタントたちはティアラを着け白いドレスに白い手袋……といういでたちでした。

ところが政治的な理由などから、このデビュタント・ボールは60年代にいったん幕を下ろすことになります。その後、91年に再び、まさに現代の世界に合うような形となってよみがえります。そしていまや、パリで最もファッショナブルなイベントのひとつとなっているのです。

“現代のおとぎ話”の舞台は、フランス革命でマリーアントワネットらが断頭台に散ったコンコルド広場を臨む、ホテル・ド・クリヨン。かつて昭和天皇やイギリス国王、歴代のアメリカ大統領などという方々も滞在したこのホテルは、18世紀の有名建築家ジャック=アンジュ・ガブリエルが設計したコンコルド広場に建設された貴族の館を改装したものです。

ホテル・ド・クリヨン。この2軒横で私は「…あのぅ、クリヨンはどこですか?」と、地元のおじさんに聞いてしまいました。
そして、よみがえった舞踏会ではデビュタントたちも姿を変えました。彼女たちを華やかに彩るのは、かつてのような白いドレスではなく、世界を代表するHC(オートクチュール)ブランドのドレスと、世界のセレブリティたちのジュエラー、アドラーによるジュエリー。そしてそれらを、一人前のレディとして身に付けての社交界デビューの場となるのです。 このデビュタントに参加する条件は、16〜20歳まで、容姿端麗にて長身、語学堪能は言うまでもなく、良家・名家の子女であること……。

ちなみに、今回が17回目となるこのデビュタント・ボールでこれまでにデビューしたのは、エジプトのプリンセス、リヒテンシュタイン公国のプリンセス、ベルギーの王女、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領孫娘、ゴルバチョフ旧ソ連大統領の孫娘、メロン財団令嬢姉妹、ヨーロッパ名門貴族令嬢、芸術・文化・文学界などの著名人令嬢や孫娘、そして日産のゴーン社長令嬢姉妹、宮澤元総理の孫娘、森英恵さんのお孫さんでモデルの森泉さん姉妹、大名家末裔令嬢などなど……。

そして今年、デビュタントとなる13か国23人の中には、アメリカよりケネディ家令嬢、世界的ミュージシャン、フィル・コリンズお嬢さん(イギリス)をはじめ、イギリス、フランス、スウェーデンなどの貴族やスイス実業家、プラダのデザイナー令嬢といった方たちが名を連ねました。

ヨーロッパハイソサエティーの人々が集まるイベントといえば、チャリティーを抜きには語れません。この舞踏会でも参加者の方々からの寄付が、糖尿病治療や研究などを助成するメリタ・ベルン・シュランガー基金、そして多発性硬化症へ取り組むプロジェクトへ贈られます。

もちろん、デビュタントたちにもこの趣旨は伝えられ、理解されている……10代の頃からそのような精神がきちんと培われているというところも、ハイソサエティを担う若いセレブリティーとしての、Nobles Oblige(ノブレス・オブリージュ)なのですね。
(あっごめんなさい…私は寄付してきませんでした…。)

ノブリス・オブリージュ=身分・地位の高い人びとにはそれに伴う社会に対する責任・義務があるということ