2003年3月31日

新しく始まった連載も、もう今週で半分終わってしまった。体重は相変わらずなので、もしかして今回も目標を達成できないのではないか…という不安が私を襲う。

「いくらなんでもそれではダイエット塾の七尾先生に顔向けができない!」と思うのだが、気持ちだけで痩せるくらいなら苦労はしない。

もちろん私は、七尾先生のためにダイエットしているわけではなく、生涯いちダイエッターとして、この連載が終わっても「スレンダーな自分」を目指して頑張っていくつもりである。がしかし、あんなに醜い姿をこんなにも大勢の人にさらし、正確な体重もさらし、なおかつ食生活までも公開しているこの状態で痩せないのである。

このような緊張感漲る状況で、「太らないことが精一杯」という私の精神力というものは、いったい全体どういうレベルなんであろうか。これで連載が終わって、この緊張感さえも失った後の私…想像するだに恐ろしい。

「1年頑張ったんだから、今日くらいご褒美に」
「今日だけは、思い切り食べてもいいかな」
「1年に一回くらい、お腹一杯焼肉を食べちゃおう!」
なんてことになったらどうしよう!!

って、自分のことなんだから、「どうしよう!」ではなく、「絶対にそうならないぞ!」と誓えばいいんだろうけど、ダイエッターへのいちばんのご褒美は、実は「痩せた」という事実である。

努力をした分、数字に表れる。着られなかった洋服が着られる。そういうことが唯一の、そして最高のご褒美なのだ。そういう意味では、私はもうずいぶん長いことご褒美をもらっていない気がする。

だったら自ら別のご褒美を上げてしまおう! と思う気持ちを、はたしてとめることができるだろうか? いや、長い目で見れば、約10kgも痩せたし、着られる服も増えた。でも最初の頃のような大きなプレゼントがない。「200g」のご褒美では、いまいち嬉しさが小さいのだ。

例えるなら、最初の頃の「1週間で1kgペースが連続して続く」というのは数カラットのダイヤモンドのネックレス。「数週間で200g減」というのはメッキに小さい偽ダイヤがついたネックレス…という感じである。

別に高価なものが特別に好きではない私は、もちろんメッキのネックレスだってプレゼントされれば嬉しい。だけど本物をプレゼントされれば、「やっぱり本物の輝きって違うわよね…」くらいは思ってしまうのが正直な気持ちだ。

1年というスタンスで見れば、痩せたという実感はすごくあるし、やっぱり今までの苦労を無駄にしたくはないと思えるくらい、「地道な努力」の力も知っている。それでも時には、「こんなに努力しているんだから、一気に1kgくらい減ってくれたっていいじゃんか〜」と、体重計の上で叫びだしたくなったりするのだ。

前の晩にいつもより低い体重をたたき出し、期待に胸を膨らまして体重計に乗った朝、前日とまったく変わらない数字をそこに見つける私の気持ちは、かなり切ない。
「どうなってんだよ!」
と、実際に声に出して叫んだ日も数知れない。

それでも、「いつかきっとまた、減るさ」と気持ちを切り替えるようにしているのだが、残りの2週間でその「いつか」がくるのか…。今は正直に言って大変不安なのだ。

ご褒美が小さいと目標クリアにならないので、どうか数カラットのダイヤモンドをドンとプレゼントされますように…と日々祈る毎日である。