ここ数年、プライベートでも仕事でも、ほとんど旅行へ行く機会などなかった私だが、なぜか今年に入ってアメリカ、ヨーロッパ、そして国内では北(釧路)から西(広島)へ連続して出かけるチャンスに恵まれた。そして今度は日本海。富山へ行ってきた。前回の広島は結婚式のためだったが、今回は法事があって行くことになり、何とも慌しい一年である。大変お世話になった知人の三回忌で、私は仕事の先輩4人と出席することになったのだ。
実は私の祖父母は富山出身で、幼い頃は何度も富山へ行ったことがある。たぶん最後に行ったのは25年くらい前だと思うのだが、田舎のない私にとって、富山は精神的「故郷」とも言える場所だ。富山と言えば「マス寿司」「ホタルイカ」「昆布巻きのかまぼこ」それに「トロ昆布」……など、メジャーなものからマイナーなものまで名物を言えるくらいには知っている。観光地なら魚津港の蜃気楼、「黒部って、富山だよね?」というくらいいい加減な程度には知っている。というわけで、私にとっては実に馴染み深い場所でありなから、あまりよくわからない地方、それが「富山」なんである。 なかなか寒くならなった東京が、急に冷え込んだ三連休の中日、私たち5人は10時に東京駅で待ち合わせ、上越新幹線に乗り込んだ。着いたその足で斎場に向かうことになっていたので、お昼は駅弁にしようと話していたのだが、上越新幹線に乗っているのはわずか1時間半。越後湯沢で「はくたか」に乗り換えなければならない。法事の後の食事予定がどうなっているのかわからず、同行のおじさん3人とおばさんふたり(私含む)は、「この電車の中で食べたほうがいい」とか、「イヤ、はくたかのほうがいい」とか、なかなか意見がまとまらない。 そうこうしているうち、中のひとりが売店でビールを買い、「ま、とりあえず一杯やりましょう」なんて言い出す。私にとって、「今日の食事予定」というのは常に大問題なのに、おじさま方にとっては「お酒」のほうが重要らしい。結局ビールが出た段階で食事はどうでもよくなり、東京駅でつまみを買って、新幹線の中でグビグビと飲み出す始末。もちろんダイエッターの私はそんなものに手を出さなかった。出発前に5人分切ってタッパに入れてきたキウイを取りだし、飲んべえにもお勧めしつつそれを食した。 そうこうしているうちすぐに越後湯沢に到着し、ここで駅弁を買うことになった。前回の広島行きで駅弁を食べ損なったので、ぜひとも名物の弁当を食べたいと思ったのだが、これといって有名な弁当がない。上越新幹線の中で高崎名物「だるま弁当」が売っていたので、「それにすればよかった〜〜」と深く後悔しつつ、普通の幕ノ内弁当を購入する。考えてみれば上越新幹線に乗るのは、記憶にある限り初めてで、今後もあまり機会はなさそうな気がする。何しろ私が幼い頃「富山へ行く」といえば、「夜行列車に乗る」というのと同義語だったのだ。せっかくの初体験でありながら、あまり感動的な経験ができないと「損」した気持ちになるのは、私がよほどの貧乏性だからだろうか。 「はくたか」に乗ること1時間少々、今度は特急から鈍行に乗り換える。同行のおじ様方はすっかり顔が赤くなっていたので感じなかったかもしれないが、乗換駅では風がすっかり冷たくなって、「日本海に近い」ということを実感させられる。電車が出発するとすぐ、日本海が見えてきた。「見るからに寒い海」という予想に反して、三色に輝く海はとてもきれいだ。天気がよかったこともあり、久し振りに見る青い水平線に、心持ち興奮気味になる私。釧路でも思ったけれど、壮大な景色というのは人間を興奮させ、そして謙虚にさせてくれる。さっきまでお酒を飲んで騒いでいたおじさん軍団も、景色の美しさに圧倒されたのか、静かに窓の外を眺めていた。 電車の中では偶然、故人のお姉さんにお会いし、「ここが海と一番近いところです」「あれがシロウマですよ」などと教えていただいた。「シロウマ?」と聞き返すと、「白馬」のことだと言う。「山のあちら側はハクバですが、こちらはシロウマです」という訳のわからない説明を受けたが、山の名前が見る側によって違うなんてありなのだろうか。 「親知らず」「子知らず」なんていうとぼけた名前の駅を通り過ぎ、ようやく目的地「入善」に到着した。「富山といえば夜行列車」の私にとって、東京から約3時間で着いてしまうとは大変な驚きである。しかも入善から富山駅までは30分なのだ。これなら親戚の家に寄ればよかったと思ったが、出発前に「入善から富山は3時間近くかかる」というガセネタを掴まされていたので、諦めていたのだ。どうも前回から「旅行運」が下がっているような気がする。しかしどちらも自分が情報収集をサボった結果だとも言えなくないので、誰に当たることもできない。相変わらず愚かな私である。 入善には、親族の方が車で迎えに来ていた。事前に親族の方が「富山はとても寒いので、礼服ではなく暖かい格好をしてきてください」と言ってくださったので、黒のセーターに黒のパンツで出かけたのだが、富山の寒さはそんな軽装では耐えられないくらいに寒かった。顔が痛くなりそうな寒さから逃れ、車で斎場へと向かう。車窓から見る景色は畑が一面に広がり、釧路ほどではないが家も少なく、いくつものお墓がまとまって立っている。東京の常識で言えば、お墓はお寺の近く、または境内にあり、大抵壁の中にあるものなので、剥き出し(?)のお墓というのにはちょっと驚かされた。 聞けば、この辺りは「親鸞が立ち寄った場所」ということで信心深い人が多く、お寺も相当あるらしい。そんな話を聞きながら案内されたお寺は、確かにかなり立派なものだった。雪対策なのか本堂を囲うようにガラス張りになっており、ちょっと派手過ぎな感さえある。東京から行った5人に親戚6人という非常に少ない人数で、しかも私以外は全員50歳以上、最高年齢98歳! 法要の前に各々紹介があったのだが、「あのおばあさんは99歳で」と喪主が言うと、「98歳です」と訂正したのには感心してしまった。 「やはり女性はいくつになってもそうでなくちゃいけないのかしらん」 と、時々自分の年齢を忘れて、ひとつ多く言ってしまうことすらある私は、多いに反省した。しかもそのおばあさん、かなり耳が遠くて普通の会話にはまったくついてこられないのだ。それなのに自分の年齢だけは聞こえる……素晴らしい! |
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