吸い込まれそうな青い空とカラッと乾燥した軽〜い空気……。こんな天気がなんと年間300日以上も期待できるという、まさに旅行やスポーツには夢のような場所が「Valley of the Sun 」と呼ばれる、アリゾナ州の州都フェニックスです。フェニックスは巨大なサワロサボテンや砂漠の珍しい植物が生い茂る、美しいソノラ・デザート(砂漠)に広がる全米第6位の都市で、およそ280万人の人々が暮らしています。

このフェニックスを中心に、高級リゾートタウンとして知られるスコッツデール、大リーグのキャンプ地として有名なメサ、テンピ、高齢者のコミュニティー、サンシティなど、22の市町の集まりが「Valley of the Sun (太陽の谷)」つまりフェニックス首都圏なのです。

フェニックス首都圏は世界でトップ5 に数えられる有名なゴルフリゾートです。スコッツデールを中心にゴルフコースの数は実に180 コース。PGA トーナメントのフェニックスオープンをはじめ、女子、シニアのトーナメント開催地としても知られています。そして、これらのゴルフコースを持つリゾートホテルも見逃せません。それぞれプール、テニスコート、ウォーキング・トレイル、フィットネスクラブ、スパなどが完備され、快適なリゾートライフが楽しめます。

また、アリゾナにはネイティブ・アメリカンの居留地が23あり、21の部族が暮らしています。特にナバホは人口20万を擁するアメリカ最大の部族です。アリゾナの文化やライフスタイルは「サウスウエスト風」と呼ばれ、アメリカ人にとっては憧れの的でもあります。ネイティブ・アメリカン文化、メキシコ文化、そしてアメリカ西部の文化が融合し、エキゾチックでありながら高級、モダンでありながら自然や人の温もりが感じられる独特の雰囲気をかもし出しています。

紀元前300年ごろからホホカム・インディアンと呼ばれる古代インディアンがソルトリバーの水を利用して、豆、トウモロコシ、カボチャ、綿花などを栽培し、この地で生活を始めました。最盛期といわれる1100年ごろには、人口が5万から10万人いたと推測されています。このホホカム・インディアンは1450年ごろ、忽然と姿を消してしまいました。

1860年代に、ソルトリバーの川縁に居を構えた開拓民がホホカム・インディアンの築いた運河跡を発見しました。1867年に兵隊から鉱山の試掘者となったJack Swilling がホホカム運河を掘り起こして再利用し、翌年には豊かな農作物を収穫することができました。この実績が30軒以上の農家を呼び寄せ村落ができました。

初期の開拓者のひとりDarrel Duppaが、自らの灰から蘇るといわれる伝説の鳥「不死鳥」のように、ホホカム文明跡から未来都市が生まれることを予測して、この地を「フェニックス」と名付けました。

1887年に鉄道建設が始まり、全米から多くの人々がフェニックスに集まりました。1889年には、プレスコットに置かれていたアリゾナ準州の州議事堂をフェニックスに移動させるほど、経済的にも政治的にも力をつけ、その後1911年に完成したルーズベルトダムがフェニックスの発展を確固たるものにしました。1912年2月14日、アリゾナがアメリカ合衆国42番目の州になり、フェニックスが州都となりました。

初代の知事George W.P.Hunt は7期も知事を務めた実力者でした。労働問題や道路整備と並んでダムの建設にも尽力しました。第二次世界大戦時、パイロットの育成に最適な気象条件を備えていることから、フェニックスに空軍パイロットのトレーニング基地が建設されました。そのため、航空関連産業や軍事産業が工場をアリゾナに建設し、アリゾナ経済は急成長しました。今日でもさまざまな航空会社のパイロットがアリゾナで飛行訓練を受けて、大空の勤務に飛び立っています。

アリゾナの乾燥した空気と年間300日という晴天率、特に快適な冬の気候は避寒地として東部や北部に住む人々の憧れの別荘地となりました。また、多くの定年退職者を魅了し、サンシティ、サンシティ・ウエストのような高齢者のコミュニティーが成功をおさめています。建設業やハイテク産業が盛んですが、農業は昔から重要な産業であり、今でも柑橘類、綿花、メロン、シュガービーツ、野菜などの生産地として有名です。

http://www.arizonaguide.com



写真撮影/LADYWEB.ORG編集部・Yutaka Ishiyama 写真提供/フェニックス観光局、スコッツデール観光局