よりどりみどり〜Life Style Selection〜


幻のメガネ美人

この1年で、いきなり目が悪くなった。

両眼とも1.5というのが自慢で、“見る”ということに関する不自由は、一切感じない青春時代を送ってきたので、突然のこの変化は日常生活に多大な影響を及ぼしている。薬を買おうと思って箱の裏の効能書きを読もうと思ったら、ぼわ〜んと霞んで、何が何やらわからない。化粧品も、いったいいくらなのか、目を細めて気合いを入れないとわからない。

そう、『老眼』なのである。言わずと知れた、目の老化現象……ショック! 母親が針に糸を通すとき、目を細〜くして何回もやり直していたり、先輩が細かい字を見るときに、思いっきり目から離しているのを、

「ウワッ、ババくさ〜い!」

とせせら笑っていたのに、ついに自分にもそのときが来てしまったわけだ。当たり前の話だが、老いは誰にでも平等にやって来るのである。

もちろん、老化というのは加齢と共に着々と押し寄せて来るものだから、いきなり老眼になったわけではない。最初に「あれ?」と思ったのは、今から6〜7年前だろうか。テレビを観ながら手帳のカレンダーを見ようとしたとき感じた違和感。映像的に言うと、文字がフェイドインして見えてきたのだ。映画だったら、心理的な効果を狙ってのことだが、日常生活にそんな演出は必要ない。そして、テレビに視線を戻すと、またもやフェイドイン。いったいこの歯切れの悪い見え方は何なんだろう?

これこそ紛れもない老眼の始まりだったのだ。

老眼は正式には「老視」という目の障害なのだそうだ。年を取るに連れて目の水晶体を調節する毛様体の筋力が衰える。これにより水晶体の弾性が失われて調節力が弱まり、その結果ピントの合う距離範囲が小さくなるのが原因だとか。フェイドイン……つまり、ピントがじわ〜っとじゃないと合わないのは、そのせいなのだ!

しかし、ちょっと時間はかかってもちゃんと見えてくる。まあ、私もそういう年齢になったってことよね、はっはは〜! と、そのときはお気楽に構えていられた。そうよそうよ、運動だってやってるし、体力には自信あるし、サプリメントだって飲んでるし……と、まるで根拠のない自信。しかし、この手の老化現象は、始まると進行が早いことを、私はまだ全くわかっていなかったのである。

その数か月後、仕事でベルリンへ行ったときのことだ。ちょっと時間が空いたので、仲間3人で市内観光でもするか、ということになった。せっかくだから地下鉄なんかにも乗っとこう! と、いざUバーン(ドイツの地下鉄)の駅へ。ところが、路線図が全くわからない。というより、ドイツ語が読めないので、駅の名前がわからないのだ。でも、用意のいい慎重派A型の私は、ちゃ〜んとガイドブックを持参してきていた。ガイドブックには、綴じ込みで路線図が入っている。これで確認すればどこでもOK。ニューヨークでも、パリでも、ロンドンでも、ガイドブックだけで地下鉄は制覇した経験がある。まっかせなさ〜い!

さっそくガイドブックを取り出し、路線図を拡げた。ところがである。この路線図、とっても詳しくできているのだが、その分、文字がすご〜く小さい。とてもじゃないけど見えないぞ。そこへきてドイツ語の綴りだから、なんとなく勘で読むのも無理! ちょっと誰か読んでくれない? と、一緒にガイドブックをのぞき込んでいる仲間に救いの眼差しを送ろうとしたら、とっさに二人とも目線を逸らして知らん顔。しまった! メンバーみんな同世代だったのだ。あんたが見えなきゃ、私も見えないとばかりに責任をなすりつけ合う3人。結局私たちは地下鉄を諦めて、タクシーに乗ったのだった。

以来、日常での不便が次々と襲いかかってきた。

かつて新聞が、「大きい字で見やすい」を合い言葉に活字を一回り大きくしたときは、“うわ、なあに? この、みっともない大きさ!”と小馬鹿にしていたのに、夕方の日差しでこの新聞を読むのが大変になった。気が付くと、眉間にしわを寄せて、目を細めている始末。その話を妹にしたら、折りたたみ式眼鏡みたいなルーペを誕生日に買ってくれて、それが悲しいことに手放せなくなった。新聞を読むときはもちろん、辞書を引くとき、取扱説明書を読むときなどに大活躍してくれる。うれしいような、悲しいような……。

去年、夕暮れ時に車を運転していて道に迷ったとき、道を調べようと室内灯を点けて道路地図を拡げたら、これがまた全く見えない。こんなときに限ってそのルーペを家においてきていた。目を細めても、マップを明かりに近づけても全然無理! しかたなく私は車を降り、近くのコンビニの兄ちゃんに道を聞いたのだった。そして痛切に思った。老眼鏡を作ろう!

ところが、いざ作ろうと思っても、メガネ屋にはいかにも老眼鏡で〜す! というようなものしか見当たらない。しかも、レンズが意外に高いときてる。せっかく高い金だして作るんだったら、オシャレなのにしたいじゃない、といつものこだわり癖が出て、これまた1年近くたってしまったのだが……。

先週、親友のY子が何やらオシャレな眼鏡を首からぶら下げているのを発見。聞いてみると、恵比寿三越のグラススクエアに、オシャレなフレームばかりのメガネ屋があるとか。しかも、価格もリーズナブルで、30分ぐらい待つと、その場ですぐに作ってくれるという。

さっそく私も行ってみた。

『CONSOMME』(コンソメ)という名前のそのメガネ屋は、ハイセンスな店が並ぶグラススクエアB1の、外廊下に面したところにあった。言われなければメガネ屋と気づかないほどポップなお店で、まるでケーキ屋かジェラート屋のように、ガラスのショーケースの中、カラフルなフレームが真っ白なお皿の上に並んでいた。実際、気軽に眼鏡を楽しんでもらうためにと、わざとショップインテリアをケーキ屋さん風にしているのだという。

流行りの小さめの個性的なスタイル、きれいな色、ラインストーン入り、デザインバリエーションの豊富さ……どれも、メガネは顔のアクセサリーという気分を盛り上げてくれる。自社生産だから、価格も抑えられているとかで、その価格は標準レンズ込みで¥12,600〜¥25,200……安い! これだったら、違う種類、違う色でいくつか作って、TPO別に揃えてもいいなあ。私はすっかり楽しくなってしまった。仕方ないからそろそろ老眼鏡作るか、というマイナス思考が、眼鏡で変身しちゃおうかなあ! 新鮮! という、超プラス思考に切り替わっていたのだ。

店員の人達も、カジュアルな黒のポロシャツ姿で、洋服を選ぶときのようなトーンで、いろいろアドバイスしてくれた。あんまり種類が多くて、普通だったら1回では選びきれない優柔不断な私が、なんとか1個に絞り込めたのは、この店員のサポートのお陰だった。

出来上がった眼鏡は、これまたケーキ屋さんみたいなカワイイ袋に入れてくれた。ますます上機嫌。おまけに家に帰ってこれをかけて新聞を読んだら、夢のようによく見える(当たり前だけどね)。辞書もOK、地図OK! いちばんうれしいのは、鏡に映った新鮮な自分の姿……う〜ん、OK! みんな眼鏡美人の私を見て、なんて言うかしら? うふふ……。

しかし、私は一つ大事なことを忘れていた。作ったのは老眼鏡。老眼鏡っていうのは、見えにくくなった近くのものを見るための眼鏡なので、これをかけて街を歩いたら、街中がぼやけて何もわからないし、危険きわまりない。つまり、パーソナルな作業のときにしか出番がないのであった。

今のところ私の眼鏡美人ぶりを知っているのは、税金の振り込み伝票を書かされたとき目の前にいた、みずほ銀行の窓口嬢だけです。

『consomme』 http://www.consomme.jp/