よりどりみどり〜Life Style Selection〜


マドンナを目指して・その1

アテネオリンピックでの、日本選手の活躍は、本当に素晴らしい。小柄(と言っても、日本人の中では充分デカイのだが)な日本人が、バカでかい外国選手と渡り合って、堂々とメダルを獲っていく姿は、何度見ても感動的だ。

やっぱりスポーツはいい。選手たちの、あの鍛え上げられた肉体を見ているだけでも、自分が少し健康になった気分になる。実際は、深夜にポテトチップをつまんでダラダラしながら、「よし! 行け〜!」「やった〜〜!!」などと叫んでいるだけなので、健康どころか、不健康且つ近所迷惑な話。まあ、くだらない深夜番組を見るよりは、精神的に健康なのは確かだろう。

私も遠い昔は、中学、高校とバレーボールに明け暮れたスポーツ少女だった。部活に運動をやらないなんて、信じられない! と思っていたし、真っ黒に日焼けしてこそ青春、恋も友情も汗とチームワークから、という飛び出せ青春! 娘であった。

それが、大学に入ってから、キャンパスやら喫茶店やらが青春の舞台に変わり、本格的なスポーツとは縁遠くなってしまった。出版社に入り、編集の仕事なんかを始めた日には、深夜の取材、徹夜の入稿と、夜の蝶ほど美しくない夜の蛾のようになり、夏休みに大磯ロングビーチで、強引に日焼けするのがせいぜいだった。

こういう生活ってよくないよな〜。何か運動でもしたほうがいいよな〜。もともとが運動好きなので、頭では常にそう思うのであるが、なかなか周りにそういう環境がない。たらたらとそのまま30代に突入してしまった頃である。いきなりザブ〜ン! とバブルの大波が押し寄せてきた。それに乗ってやってきたのが、スポーツクラブ・ブームであった。

六本木に、資生堂の経営する高級スポーツクラブ「ホロニック」がオープンし、続いて青山に「リビエラ」……都内に会員制の高級スポーツクラブが競ってオープン。ふ〜ん、会員制ね〜。その時点ではまだ、それは私にとって、一つの社会現象程度の認識だった。

ところがある日、同じマンションの1つ上の階に住む、元スチュワーデスのK美が、耳寄りな情報を仕入れてきた。半年ほど前から、ウチのマンションの目の前に、大きなビルの建設が始まっていたのだが、その最上階2フロアに、スポーツクラブができるというのだ。徒歩1分の場所。こうなると、社会現象もいきなり、身近なご近所だより。ぐっと興味が沸いてくる。せっかく目の前にできるんだから、こりゃあ入っといたほうがいいでしょ、あんた! ってな感じだ。さっそくパンフレットを取り寄せて、検討することになった。

えらく金のかかったパンフレットには、イラストで、ジムと、ゴルフの打ちっ放しのスペースと、ロッカールーム、片側が開閉式のガラス窓になったインドアプール(もちろんジャグジー付き!)、スチームサウナなどが描かれていた。タラソテラピーを謳っているので、ホースから吹き出す水の水圧で筋肉を揉みほぐすコーナーや、様々なエッセンスを入れたお湯の中に首まで浸かって水流でマッサージする機械やら、フットバスやら、ワクワクするものがたくさん揃っているらしい。一泳ぎした後、タオルを首からかけてプールサイドの籐の椅子に腰掛け、バーから持ってきてもらったドリンクを飲みながら談笑するカップル。ジムには笑顔でエアロバイクを漕ぐ女性。イラストの世界に自分を重ね合わせて、K美も私も、すっかりその気になってしまった。

スポーツクラブ……う〜ん、悪くない! 原稿書きに疲れたら、気分転換も兼ねてスポーツクラブに行き、30分ほど泳ぎ、ジャグジーでのんびりする。軽くランニングもいいかも。額の汗が、ライトに光っちゃたりしてさ。

「ああ、いい汗かいたわ〜」

なんて言いながら、ドリンクバーで眺める東京タワー。さあて、もうひと頑張りしようか!……目の前の自宅に戻り、再びデスクに向かう私……何かの映画かなんかで見た世界が、目の前に広がっていた。今から思えば、運動をすることよりも、スポーツクラブに通うアクティブなライフスタイルの格好良さだけに惹かれた、ミーハーそのものの発想である。パンフレットを作成した経営陣の思うつぼ!

すっかりその気になってしまった私たちは、オープンを待たずして、すぐにそのスポーツクラブに入会した。栄えある第1期会員である。K美はどちらかというと、積極的に運動をするタイプではなく、とにかくゴルフの打ちっ放しがあるというところに引かれたらしい。だから、晴れてスポーツクラブがオープンしても勇んで出かけるという感じではなかった。しかし私にとっては、夢にまで見たアクティブライフの幕開けである。こうなったら、K美なんかを待ってる場合ではない。オープン初日、私は張り切って、ピッカピカの真新しいクラブに出かけて行った。

受付で、スタッフの丁重な出迎えを受け、記念品なんかをもらう。さすが、会員制高級スポーツクラブだね。いきなりいい気分。さて、私の目的は、とにかくプールとジャグジーだ! さっそく水着に着替えようとしたら、スタッフに、

「初めてなので、ジムで血圧や、身長、体重、体脂肪率などを測定してください」

と言われた。なるほど、まずは己の体を知らなくちゃね。納得した私は、生まれて初めて、ジムという所に足を踏み入れたのだった。

ジムには、なんだか凄そうなマシンが、所狭しと並んでいた。おお! よくスポーツ選手が筋肉を鍛えるために使ってるヤツだ! この時点では、これらのマシンは、私には全く無縁のものだった。さっさと体脂肪でも何でも測って、プールで泳ぎ、ジャグジーでマッタリしようっと。

言われるままに体重やら何やらを測り、そそくさとジムから出て行こうとしたときである。私の前に、絵に描いたような筋肉ボディの爽やか系インストラクターくんが立ちはだかった。

「マシントレーニング、やってみませんか?」
「いやいや、私はプールで泳ぎたいんで……(こいつ、結構カッコイイじゃん!)」
「失礼ですが、何かスポーツやってました?」
「はい、むか〜し、バレーボールをやってましたけど……(プールに行きたいって言ってんだろが!)」
「やっぱり! そういう感じですよね」
「は?(そういう感じって、どういう感じなんだ!)」
「じゃあ、ちょっとマシントレーニング試してみませんか? 少しやるだけで、体が引き締まりますよ。あっ、今でも引き締まってますけど、よりシャープになるというか……。とにかく一度やってみましょう!」

笑顔は絶やさず、インストラクターくんは、よくわからない論法で、強引に私をマシンの前に連れて行った。そこには、もう一人の筋肉くんと、彼より年配のチーフが「いらっしゃ〜い!」という笑顔で待ち受けていた。

「何か目標はありますか?」
「いえ、まあ、健康的な体を維持したいかなと……」

まさか、映画みたいにゴージャスなアクティブライフに憧れてとは言えないのでそう答えると、チーフはフムフムとうなずき、

「だったら、ジムで有酸素系と体を引き締める基本的な筋力トレーニングをやって、その後で、ストレッチ効果のある水泳をやることを、ウチのクラブではオススメしています」

“ウチのクラブでは”というところに、妙な説得力があった。そのとき、スポーツクラブ初体験の私は、ふ〜ん、そんなものなのかなと、すっかり彼らの言葉を信じ込んでしまったのである。軽くエアロバイクを漕いだ後、やれバストアップに効果がありますよと「チェストプレス」、背中がすっきりしますよと「ラットプルダウン」、足を引き締めましょうと「レッグカール」「レッグエクステンション」……などなど、事細かな解説付きで、3人がかりで面倒を見てくれた。私も「あっ、これはもっと重くても行けそう!」「う〜ん、効いてる感じ!」などと調子に乗って受け答えするもんだから、ますます張り切るインストラクター三羽がらす。最後は腹筋、背筋、仕上げにマンツーマンのストレッチで一丁上がり!

「小野さん、これからも頑張りましょう!」
「は〜い! よろしくお願いしま〜す!」

上機嫌の私は、その後プールに行き、ジムの三羽がらすが言っていたように、筋肉を伸ばす様にプールをゆっくりとクロールで往復し、憧れのまったり気分のジャグジーを体験して、大満足で家に戻った。

かすかに筋肉痛が残ったけれど、血液が気持ちよく体中を巡り、全身がシャキッと元気になった実感があった。あれだけ丁寧に指導してくれれば、引き締まった美しいプロポーションも、夢ではないかも。

imageしかし、後で知ったのだが、このときジムのインストラクターたちは、プールにばっかり行ってしまう女性会員を、何とかジムに引き留めようと必死だったのである。そこにノコノコやって来たお調子者の私を、彼らが見逃すはずはない。まんまと生け捕りにし、筋トレの世界に誘い込んでしまったというわけだったのだ。

何も知らない私はその晩、体に残る心地よい疲労感を噛みしめながら、こう決意していたのだった。

「ウフフフ! スポーツクラブって最高! よし! 明日から張り切ってトレーニングに励んで、マドンナみたいなボディを目指すぞ!」(つづく)