新聞の折り込みチラシがなぜか大好きだ。
中でも、圧倒的に数が多く、かつ、存在感がある新築マンションの販売チラシは、わざわざ抜き出して、あとでまとめてじっくり見るくらい好き。最近では、ポスター並みの上質の紙に、素敵な写真入りの美しいものが多い。たまにかなり大きめのモノが四つ折りになっていたりする。買う予定もないくせに、間取り図を眺めては、仕事部屋はこっち、このリビングだったら、テレビはここかな〜などと、そこでの暮らしぶりを想像するのが楽しいのだ。まあ、言うなれば、大人のおままごとみたいなもんである。
そして、この大人のおままごとをきっかけに、ついに私は本当にマンションを購入することになってしまった。今から7年ほど前の話である。
いつものように、マンションのチラシを片っ端から品定めしていたとき、ふと1枚のチラシに目がとまった。完成予想のイラストは今風のスッキリしたデザインのマンションで、そう特徴のあるものではない。ただ気になったのはその建設予定の場所である。恵比寿に1年後完成予定のそのマンションは、なんと以前私が住んでいたマンションの真向かいに建つらしいのだ。おお! あんなところにマンションが建っちゃうのか! ……と思ったとたん、急に親近感が沸いてきた。一時期自分が生活していた空間にできるというだけで、無性に見てみたくなったのだ。
内覧会はその週の土曜日からと書いてあった。買う気はさらさらないが、見るだけならもちろんタダだ。おそらく、豪華なパンフレットなんぞももらえることだろう。ちょうど土曜日はヒマだったので、さっそく私は見に行くことにした。
都内のマンションは、実際に着工する前からモデルルームを作り、販売に入る。まだ地べただけなのに、その中空にできるであろう部屋を、間取り図だけで売ってしまうのだから、考えてみればすごい話だ。そのマンションも、建設予定地の近くにモデルルームを作り、そこで内覧会を開いていた。冷やかしの私としては、部屋をぐるりと眺め、パンフレットをもらえば、それでとっとと帰って来るつもりだった。ところが、そうは問屋が卸さない、いや、不動産屋が卸さない。
「ご予算はおいくらぐらいをご希望ですか〜〜?」
一通り部屋を見て回り、そ〜っと立ち去ろうとしていた私の背後から、営業マンが声をかけてきたのだ。満面に笑みを浮かべ、待ってましたとばかりに。
「ローンの算出なども、すぐにできますよ〜〜」
私は有無を言わさず『ご相談コーナー』の椅子に座らされ、1対1の面接状態に持ち込まれてしまった。「今日はちょっと時間がないので」という、用意してきた逃げのセリフで対抗する隙など、みじんもなかった。さすがプロ! などと感心している場合ではない。目の前では、紺のスーツの女性が、パソコンを開いて微笑んでいた。微笑みの奥には、“絶対に落としてみせるわ!!”という、力強い闘志が見え隠れして、私はヘビににらまれたカエルといったところだ。
しかし、こんな不動産屋の営業レディに負けるような私ではないぞ。え〜い、ここは一芝居……すっかり居直った私は、あたかも購入の意志があるかの如く振る舞うことにした。相手が何を説明しても、何を出してきても、最後に「じゃ、ちょっと検討してみるわね」とか何とか言って帰ればいいんだし……。
そう思ったら、急に気が大きくなった。どうせ買わんのだから、かまうもんか! と、予算を全く無視して(というか、はなから予算などないのだが)、上のほうの階の、それなりの価格の3LDKの部屋を何種類か選び、さっそく返済額などをシミュレーションしてもらう。営業レディは、目の前のパソコンで、あっと言う間に幻の我が家のローン返済プランをはじき出してくれた。
「お客様の場合は、ボーナス払いなしの、均等払いということなので、月々の返済額がこのような感じになりますね」
プリントアウトされた返済シミュレーションを見て、私はちょっとビックリした。そこに算出された月々の返済金額は、私が当時住んでいた麻布十番の賃貸マンションの家賃と、大して変わらなかったのである。
“えっ! こんな金額で買えちゃうの?”
まあ、正確に言えば、“こんな金額で借金が返せるの?”という話なのであるが、気分はまさしく“私にも買える、あ〜らビックリ!!”以外の何ものでもない。それまで、自分が納得できる広さのマンションなんて手が届かないに決まってると思いこんでいたのだ。ところが、これなら届く届く、頑張れば届くではないか。なるほどね〜、何事も聞いてみるもんである。私は、新たな発見にかなり満足して、モデルルームを後にした。
そして、私にしてみれば、カエルがお腹を膨らませてヘビを威嚇するレベルの、このお客様ごっこが、後から思えば、私の『マンション購入への道』の、華麗なるプロローグだったのである。
それまで私は、マンションの購入など、一度も考えたことがなかった。ただでさえ優柔不断な性格である。その上、何を買うにも、徹底的にリサーチし、すべてを比較検討せずにはいられない性分ときているのだから、マンションなんていう高額な買い物になったら、選び切れるわけがない。ましてや、マンションといったら、周りの環境なども考慮しなければならない。その環境も、日々変化するわけで、街の変化、時代の変化までも、的確に読む洞察力を必要とする。そんな複雑なデータを分析して、この広い東京からたった一部屋を選ぶなんて、私にできるわけないと思っていたのだ。
それだったら、賃貸で充分! 賃貸だったら、環境が変わったら気軽に引っ越せばいいのだし、住んでみて気に入らないところがあったら、また探せばいい。友達にも常々、「家賃にそれだけかけるんだったら、買っちゃえば」と言われていたが、そんな言葉にも全く聞く耳をもたなかった。
そんな私だったのに、その日以来、マンションのチラシの見方が変わった。だいたいどのくらいの価格帯の部屋が自分に買えるのかがわかったので、無意識に、その価格帯のものに目が行く。同じような価格の物件であれば、リビングが広いこっちのほうがいいとか、収納が少ないとダメよねえ、などと、無意識に選別すらし始めている自分がいた。
麻布十番の賃貸マンションは、とっても気に入っていたので、住み始めてかれこれ10年たっていた。10年もすると、壁紙も汚れてくるし、絨毯のしみも気になり始めるものだ。でも、自分のものでもない部屋の内装に大金をかける気はしない。さて、どうしたものか……そんな思いがジワジワと私の「住むのは賃貸で充分!」の不文律を浸食し始めていた時期でもあった。そしてそこに追い打ちをかけるように、遊びに来た大学時代の友達の言葉。
「ねえ、緑の部家、家賃いくら?」
「月30万円くらいかな」
「フ〜ン、じゃあ、1泊1万円なんだ!」
ガーン! 私はこの部家に1泊1万円で住んでいるんだ。電気代もガス代も自分で払って、掃除も食事も自分で作って……それで1泊1万円か……。何やら、納得のいかない思いがもやもやと頭の中にたちこめてくる。ちびまるこだったら、顔にたて線がいっぱい入って、背景が真っ黒の図だ。
そして、ある朝、備え付けの乾燥機が油の切れた音を立て始めたとき、突然思った。そうだ! マンションを買おう!
JR西日本のポスターで「そうだ、京都へ行こう!」というコピーを目にしたとき、そんなに突然どこかへ行こうなんて思いつく奴、いるわけないじゃん! と思ったが、そのときの私は、まさに突然そう思ったのだった。
人は何かを決意するのに、企画書のように理路整然と分析、リサーチして結論に至るわけではないのだ。様々な出来事からインプットされるデータや自分の気持ち、他人の言葉などが、頭のあちこちに散在し、日々シャッフルされる。そして、ある瞬間に、突然それらがジグソーパズルのごとくみごとに組み上がって、鮮やかな結論として完成するわけで、そのタイミングは予測できない。それを人は、はずみとか、運命とか言うのである。
かくして私は、よ〜く考えても絶対に無理だと思っていたくせに、ほんのはずみで、運命的にマンションの購入を決意してしまったのであった。(つづく)
中でも、圧倒的に数が多く、かつ、存在感がある新築マンションの販売チラシは、わざわざ抜き出して、あとでまとめてじっくり見るくらい好き。最近では、ポスター並みの上質の紙に、素敵な写真入りの美しいものが多い。たまにかなり大きめのモノが四つ折りになっていたりする。買う予定もないくせに、間取り図を眺めては、仕事部屋はこっち、このリビングだったら、テレビはここかな〜などと、そこでの暮らしぶりを想像するのが楽しいのだ。まあ、言うなれば、大人のおままごとみたいなもんである。
そして、この大人のおままごとをきっかけに、ついに私は本当にマンションを購入することになってしまった。今から7年ほど前の話である。
いつものように、マンションのチラシを片っ端から品定めしていたとき、ふと1枚のチラシに目がとまった。完成予想のイラストは今風のスッキリしたデザインのマンションで、そう特徴のあるものではない。ただ気になったのはその建設予定の場所である。恵比寿に1年後完成予定のそのマンションは、なんと以前私が住んでいたマンションの真向かいに建つらしいのだ。おお! あんなところにマンションが建っちゃうのか! ……と思ったとたん、急に親近感が沸いてきた。一時期自分が生活していた空間にできるというだけで、無性に見てみたくなったのだ。
内覧会はその週の土曜日からと書いてあった。買う気はさらさらないが、見るだけならもちろんタダだ。おそらく、豪華なパンフレットなんぞももらえることだろう。ちょうど土曜日はヒマだったので、さっそく私は見に行くことにした。
都内のマンションは、実際に着工する前からモデルルームを作り、販売に入る。まだ地べただけなのに、その中空にできるであろう部屋を、間取り図だけで売ってしまうのだから、考えてみればすごい話だ。そのマンションも、建設予定地の近くにモデルルームを作り、そこで内覧会を開いていた。冷やかしの私としては、部屋をぐるりと眺め、パンフレットをもらえば、それでとっとと帰って来るつもりだった。ところが、そうは問屋が卸さない、いや、不動産屋が卸さない。
「ご予算はおいくらぐらいをご希望ですか〜〜?」
一通り部屋を見て回り、そ〜っと立ち去ろうとしていた私の背後から、営業マンが声をかけてきたのだ。満面に笑みを浮かべ、待ってましたとばかりに。
「ローンの算出なども、すぐにできますよ〜〜」
私は有無を言わさず『ご相談コーナー』の椅子に座らされ、1対1の面接状態に持ち込まれてしまった。「今日はちょっと時間がないので」という、用意してきた逃げのセリフで対抗する隙など、みじんもなかった。さすがプロ! などと感心している場合ではない。目の前では、紺のスーツの女性が、パソコンを開いて微笑んでいた。微笑みの奥には、“絶対に落としてみせるわ!!”という、力強い闘志が見え隠れして、私はヘビににらまれたカエルといったところだ。
しかし、こんな不動産屋の営業レディに負けるような私ではないぞ。え〜い、ここは一芝居……すっかり居直った私は、あたかも購入の意志があるかの如く振る舞うことにした。相手が何を説明しても、何を出してきても、最後に「じゃ、ちょっと検討してみるわね」とか何とか言って帰ればいいんだし……。
そう思ったら、急に気が大きくなった。どうせ買わんのだから、かまうもんか! と、予算を全く無視して(というか、はなから予算などないのだが)、上のほうの階の、それなりの価格の3LDKの部屋を何種類か選び、さっそく返済額などをシミュレーションしてもらう。営業レディは、目の前のパソコンで、あっと言う間に幻の我が家のローン返済プランをはじき出してくれた。
「お客様の場合は、ボーナス払いなしの、均等払いということなので、月々の返済額がこのような感じになりますね」
プリントアウトされた返済シミュレーションを見て、私はちょっとビックリした。そこに算出された月々の返済金額は、私が当時住んでいた麻布十番の賃貸マンションの家賃と、大して変わらなかったのである。
“えっ! こんな金額で買えちゃうの?”
まあ、正確に言えば、“こんな金額で借金が返せるの?”という話なのであるが、気分はまさしく“私にも買える、あ〜らビックリ!!”以外の何ものでもない。それまで、自分が納得できる広さのマンションなんて手が届かないに決まってると思いこんでいたのだ。ところが、これなら届く届く、頑張れば届くではないか。なるほどね〜、何事も聞いてみるもんである。私は、新たな発見にかなり満足して、モデルルームを後にした。
そして、私にしてみれば、カエルがお腹を膨らませてヘビを威嚇するレベルの、このお客様ごっこが、後から思えば、私の『マンション購入への道』の、華麗なるプロローグだったのである。
それまで私は、マンションの購入など、一度も考えたことがなかった。ただでさえ優柔不断な性格である。その上、何を買うにも、徹底的にリサーチし、すべてを比較検討せずにはいられない性分ときているのだから、マンションなんていう高額な買い物になったら、選び切れるわけがない。ましてや、マンションといったら、周りの環境なども考慮しなければならない。その環境も、日々変化するわけで、街の変化、時代の変化までも、的確に読む洞察力を必要とする。そんな複雑なデータを分析して、この広い東京からたった一部屋を選ぶなんて、私にできるわけないと思っていたのだ。
それだったら、賃貸で充分! 賃貸だったら、環境が変わったら気軽に引っ越せばいいのだし、住んでみて気に入らないところがあったら、また探せばいい。友達にも常々、「家賃にそれだけかけるんだったら、買っちゃえば」と言われていたが、そんな言葉にも全く聞く耳をもたなかった。
そんな私だったのに、その日以来、マンションのチラシの見方が変わった。だいたいどのくらいの価格帯の部屋が自分に買えるのかがわかったので、無意識に、その価格帯のものに目が行く。同じような価格の物件であれば、リビングが広いこっちのほうがいいとか、収納が少ないとダメよねえ、などと、無意識に選別すらし始めている自分がいた。
麻布十番の賃貸マンションは、とっても気に入っていたので、住み始めてかれこれ10年たっていた。10年もすると、壁紙も汚れてくるし、絨毯のしみも気になり始めるものだ。でも、自分のものでもない部屋の内装に大金をかける気はしない。さて、どうしたものか……そんな思いがジワジワと私の「住むのは賃貸で充分!」の不文律を浸食し始めていた時期でもあった。そしてそこに追い打ちをかけるように、遊びに来た大学時代の友達の言葉。
「ねえ、緑の部家、家賃いくら?」
「月30万円くらいかな」
「フ〜ン、じゃあ、1泊1万円なんだ!」
ガーン! 私はこの部家に1泊1万円で住んでいるんだ。電気代もガス代も自分で払って、掃除も食事も自分で作って……それで1泊1万円か……。何やら、納得のいかない思いがもやもやと頭の中にたちこめてくる。ちびまるこだったら、顔にたて線がいっぱい入って、背景が真っ黒の図だ。
そして、ある朝、備え付けの乾燥機が油の切れた音を立て始めたとき、突然思った。そうだ! マンションを買おう!
JR西日本のポスターで「そうだ、京都へ行こう!」というコピーを目にしたとき、そんなに突然どこかへ行こうなんて思いつく奴、いるわけないじゃん! と思ったが、そのときの私は、まさに突然そう思ったのだった。
人は何かを決意するのに、企画書のように理路整然と分析、リサーチして結論に至るわけではないのだ。様々な出来事からインプットされるデータや自分の気持ち、他人の言葉などが、頭のあちこちに散在し、日々シャッフルされる。そして、ある瞬間に、突然それらがジグソーパズルのごとくみごとに組み上がって、鮮やかな結論として完成するわけで、そのタイミングは予測できない。それを人は、はずみとか、運命とか言うのである。
かくして私は、よ〜く考えても絶対に無理だと思っていたくせに、ほんのはずみで、運命的にマンションの購入を決意してしまったのであった。(つづく)