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お久しぶりです。だいぶ間が空いてしまいました。そのお詫びに、まずは、1か月ほど前の試合になりますが、中村俊輔のスコットランド・プレミアリーグでのグラスゴー・レンジャーズ戦でのマンガのような凄い曲がり方のゴールをどうぞ。 こりゃ凄い…しかも、「オールドファームダービー」と呼ばれる世界最古のダービーマッチであるグラスゴー・レンジャーズ戦で決めたところに価値がある。スコットランドリーグなんていう○流リーグでいくら活躍したって…なんていうケチをつける輩も散見されるが、だからといって、中村俊輔のプレーの価値が損なわれるものではないよ。 おっと、もっと言いたいのはですね、凄いのはゴールだけじゃなくて、実況中継も凄いということ。ゴール直後にあんなにいくつものアングルでリプレイを流してくれるなんて、日本のサッカー中継では考えられん。カメラの数が違うじゃないか、などという問題ではなかろう。要は瞬時に視聴者を満足させられる中継技量・センスの問題だ。たとえ日本のようにカメラの台数が少なかったとしても、こんなにスムースで素晴らしい中継とリレプイとスイッチングができます?? 日本のスポーツ中継関係者は、もっと真剣に中継技量の向上に取り組んで欲しいね。そうすれば、Jリーグ中継だってもっともっと面白く見える。 ![]() KOH 前回は「スタビライゼーション」という非常に珍しい興味深いお話を聞かせていただきました。 教授 「スタビライゼーション」というときに中心になるのは、「体幹部」…胴体の部分と言ったらいいでしょうか、その辺りの筋力を高めるとか、関節や骨格を保持する・安定させる能力を高めるということが中心になるんですが、それと並行して…これも今トレンディな言葉ですが、「インナーマッスル」、日本語で言う「深層筋」というものがありますね。 身体の表面にあって見たり触ったりできる筋肉が「アウターマッスル」「表在筋」というのに対して、「インナーマッスル」はその奥、内側にある、見ることも触ることもできない筋肉のこと、ということは“自分で感じられない筋肉”というのが想像以上にたくさんあるわけです。主に関節を支えたり骨格を支えたりするのは、この「インナーマッスル」によるところが大きいのですけど、昨今、例えば古来からある武術の世界では昔の達人はインナーマッスルを使っていたと、したがって歳をとっても衰えないとか、人間離れした動きができるというようなことが言われ始めてきて、それがスポーツの世界でも伝播したりとか、いうような状況があります。 それとは別に、スポーツ科学の分野からも「インナーマッスル」が重要だとというようなことが、期を同じくして言われるようになってきました。当然サッカーでも他のスポーツ種目でもその重要性が見直され、と同時に、そのトレーニング方法や「インナーマッスル」を活用する方法が明らかにされたり提唱されたり、広められたりしてきているのが最近の状況ですね。 もちろん、“身体を繋げて動く”ということも、この「インナーマッスル」をどうするか、どう扱うかということと非常に深い関係があるのですが、おそらくサッカーを含めていろいろな競技のアスリート…トップアスリートから、これからの選手までが、「インナーマッスル」なり「インナーマッスル」をトレーニングする・使う方法を大なり小なり取り入れてトレーニングに組み入れているところだと思うんです。 ここからが本題なんですが、私の目から見て、そういう方法が、いわゆる従来からの一般的な筋力トレーニングの方法に準じるもの、従来からの筋力トレーニングの流れにあるやり方に終始しているような気がするんです。 つまり、“どこそこのインナーマッスルを使う”とか。例えば最近のいちばん代表的な例で言うと「腸よう筋」…その「腸よう筋」の半分である「大よう筋」が確かに強くなったり活性化されるようになったら姿勢がよくなるとか、高齢者の歩行機能が回復するとか、陸上競技のスプリンターでいえば走るスピードが速くなるとか、いろいろなことがあるんですが、“では、その「大よう筋」を使えるようにする”“「大よう筋」を使うためのトレーニングをしている”とか、そのような捉え方をしていることが一般的なんですね。 しかし、結論から言うと、個々のパーツ、パーツのトレーニングに終始したのでは、本当の意味で充分に「インナーマッスル」を活用するには、まだまだやらなければならない・残された部分が出てしまうということです。つまり、もっと「動き全体」「全身の動くときの感覚」…「ホーリスティック」というか「全体性」というか…そういったところから、“どういう意識”“どういう意識の持ち方や動き方をしたらよいか”ということを掘り下げていかないと、本当の意味での「インナーマッスル」を使い、素晴らしい効率のよい動きができる、ひいては、疲労の少ない動き、ケガをしにくい動き…で、結果として超人的なパフォーマンスができる、という次元へはいかないと思うんですね。 ドイツ・ワールドカップの時のフランスのジネディーヌ・ジダンは自分の持っている身体機能をフルに発揮したパフォーマンスだったと思うんですけど、それも、“どこそこのインナーマッスルを使った”とかいうのではなくて、“身体全体を充分使い切った”あるいは“何かこう、言葉で言い表せないような全体的な感覚でもって動いていた”のではなかろうかとか、そういうようなことを思うわけです。野球で言ったらイチローなんかはそういうところがあるかもしれませんね。 KOH ほぉ〜、大きな視点というか全体を俯瞰するような話ですね。 教授 逆にちょっと漠然した話になってしまうかもしれないけれども、パーツ、パーツで話せばわかりやすいんですね…“「大よう筋」を鍛えるにはこういう動きをしたらいいんですよ”というのは、わかりやすいです。でも、わかりやすいけれども、あくまでも「部分」でしかない。サッカーに限らずいろいろなスポーツで、「感覚」であるとか「全身性」をベースに置いたトレーニング方法や、動きのアプローチの仕方が、これからは必要になってくるのではないかと思われます。 そうなったときに、「体力の要素」に「コーディネーション」というのがありますけれど、「コーディネーション」をもっともっと高めていくということ…これも最近見直されているトレーニングなんですが、もっともっと「コーディネーション」を追求して筋力やパワーをつけるということが必要と思います。 KOH 筋トレにおける視点というか、筋トレの考え方のベースとしての「コーディネーション」の重要性ということですね。 教授 サッカーは非常にコーディネーションが高まる、高い「コーディネーション」が身につく種目であるんですね。 1つ例を出すと…去年8月に国際体操連盟のコーチ研修でフランスに行ったんです。そこではエアロビック競技のフランス代表チームがずっといてくれて、我々の研修のサポートをしてくれたんです。研修が終わってから、エアロビックのフランス代表チームの男子選手たちとサッカーやったんです。「研、やろうぜ!」ってな感じでね。もちろん凄く楽しかったんですけど、彼らのサッカーの腕前にビックリしたんですね。あくまでエアロビックのフランス代表チームですよ。エアロビックというのは体操的な競技ですから球技は苦手なはずなんです、日本的な感覚で言うと。ところが彼らのサッカーの腕前は素晴らしい。ということは「コーディネーション」が素晴らしいということなんです。 おそらく彼らは幼い頃からサッカーに親しんでいるということで、「コーディネーション」のレベルが高いんじゃないかと思うんですね。それがまたエアロビック競技をするから強いわけです。その辺にエアロビック競技においても日本の選手との差があると思ったんだけれども…ということは、サッカーというのはそれだけ「コーディネーション」を高めるスポーツなんです。サッカーというのは物凄いレベルの「コーディネーション」を引き出してくれるんじゃないかと思ったんです。「コーディネーション」が高いサッカー競技の中でさらにトップへ行こうと思ったら、さらに高い「コーディネーション」を備えなくてはならない。 ということで、月並みな「コーディネーション」で終わらず、サッカーであるならば、もっともっと「コーディネーション」を高めるものをやりながら、パワートレーニング、あるいはスタミナトレーニングと一体化させてやっていくことがないと、おそらく、日本サッカーが世界のトップに追いついていくことは難しいのではないかと悲観的かつ希望的に思うわけです。 KOH 今の日本人サッカー選手たちのプレーを見ていると、「コーディネーション」のトレーニングは足らないですか? 教授 足らないですね。足らないし、「コーディネーション」の捉え方が狭いですね。「コーディネーション」の中で“すばしっこく動く”や“巧みに動く”“器用に動く”“初めてやる運動がすぐ身につく”など、「動作」に着目した「コーディネーション」の捉え方が多いと思うんだけど、「コーディネーション」というのはもっと幅広いものであって、いわば「“その時”“やるべき”最適な動きをやる」ということなんです。「最適な」…「最適な行動」と言ってもいいかな、判断・能力なども含まれますからね。 KOH 日本のスポーツトレーニングの世界で、そのようなことを指導できるコーチなりトレーナーはいますか? 日本はやはり随分遅れているような気がするのですが。 教授 遅れていると思いますね。日本人というのは“部分”を掘り下げるのは凄く得意、“要素主義”というか。ところが「コーディネーション」というのは、1つの流れとしては旧東ドイツで探求されたんですけど、非常にそれは幅広くて体系的なもので、1つの言葉で言い表せないものなんです。そういう理解がないと、本当の意味での運動能力なりは上がっていかないですね。 KOH 私たちが筋トレなりフィジカルトレーニングに関心持ったといっても、パワーとかスタミナのトレーニングしか思い浮かばなかったわけで、フィジカルトレーニングとして押さえなくてはならない範囲は物凄く広くて、いかに一面的なところしか知らなかったのかということが、よくわかりました。それにしても聞けば聞くほど、日本のフィジカルトレーニングの現状を思うに悲観的になってきますが…。 教授 日本の社会全体の制度がそうです。 KOH 社会制度もそうですし、スポーツ文化ということでも同じだと思うんですけど、スポーツ科学にしても、悲観的になってきちゃいますね。 教授 悲観的になりますね。でも、それでもグルッと回って、月並みな表現になるんだけど、子どもたちに“生活の中での遊び”というものを取り戻すことによって…“遊び”というのは非常に「コーディネイト」されたものですから、“生活の中での遊び”を取り戻すことによって打開できるかもしれません。グルリと回ってそこに帰ってくるんだけど、子どもたちに“遊び”や自由な発想・行動を保障してあげるということ…元々人間というのは「コーディネイト」されたものですから、その“本来の活動・行動”を保障してあげたら自然に蘇ってくるかもしれない、というのはありますね。 KOH 単にフィジカルトレーニングの話を伺おうと思って、ある意味軽い視点で伺っていたら、思いがけず現代社会の歪や人間の本質的なところにまで関わってくることがわかりました。凄い深い話にならざるをえないということですね。ありがとうございました。 (2008/5/12) |