年末くらいからRYONは、40すぎの会社社長ハシモトさんから、食事に行こうと誘われていた。スケジュールが忙しかったり面倒くさかったりで、のらりくらりとお断りしてきたのだが、こちらから交流範囲を狭めてしまうのももったいないかも、と思いなおし、お受けすることにした。

しかし、あんまり乗り気ではなかった。年下の大学生じゃなかったから、というんではない。多分。ハシモトさんはRYONのことをものすごく大人しいオンナノコだと思っているようだからである。

ハシモトさんは、RYONが通っていた英語の講座のクラスメイトだった。
それは『Critical Reading』というコースだった。しかしRYONはてっきり『Critical(*)』は『効果的な』とか、そういう意味だと思っていた。ファミコンゲームの『ファイナルファンタジー』では、敵を攻撃するときに「クリティカルヒット!」になると、攻撃力が倍増する。英文読解のあまり得意じゃないRYONは、ここの授業で「効果的な」効率のよい英文の読みかたを習おう、と思っていたのだ。

……授業を受けてみるとそれは、英文を読んでそれについて自分なりの解釈を述べる、というような授業だった。その頃RYONは「自分のポリシーなんか人に大いばりして話すものじゃない」と思っていたし、なにしろ英文もろくすっぽ読めないのに、解釈なんかできるわけがない。先生に指されても、『I have no idia.』などと横に首を振るばかりであった。

一度、講座のあと4人ほどで飲みに行ったことがあった。そのとき酒の席ではちょっとふくよかな男性が「仕事とは」「フリーとは」というようなウンチクを論破したがっていた。一緒に仕事をする相手ならともかく、なんの必要があってクラスメイトと自分の主義主張を闘わせなければならないのか。RYONは鼻くそプーになって、ぼんやり聞いていた。そしてトイレに立った隙に、ハシモトさんはちょっとふくよかな男性に言ったのだそうだ。

「ダメじゃないかそんな話して。RYONさんが驚いてるだろう?」

翌日、ちょっとふくよかな男性からは「すみませんでした」というメールが届いた。そんなことで謝られても、びっくりもしていないのにどうしたらいいのか。RYONは返事に窮してしまった。

そういえばハシモトさんは「授業中、恥ずかしがらないで発言しなくちゃ」などとRYONに言っていた。りょんがいつ恥ずかしがったのか。やっぱりRYONを誤解しているかもしれない。だが、自分で「私は明朗快活です」などと言うのも、変な感じである。これは誤解を解くいいチャンスなのかもしれないな。

そして約束の日、ハシモトさんは、銀座の高級そうな懐石料理屋さんに連れて行ってくれた。
ビールは? と聞かれハシモトさんに、
「じゃあ、ちょっとだけ……あまり体調がよくないので……」
と言った。ここ最近、3日に1回は朝まで飲んでいて、だいぶん胃が荒れていたのだ。用もないのにゲップが出る、というのをRYONは初めて経験した。

ハシモトさんは目を細めて、
「そう。今日は美味しいものを食べて、ちゃんと栄養をつけようね」
と言う。……あれ? しまった、これでは体の弱い人みたいである。そうじゃなくてもRYONは細くって色が白いため、必要以上に病弱だと思われることが多い。

慌てて、
「昨日、ものすごい飲んでて二日酔いなんです」と付け足した。
ハシモトさんは、
「お酒、弱いんだ?」と微笑んでいる。
RYONは前日、カラオケで飲んで歌って踊って後半記憶が薄い上に、そのまま友だちの家に泊まり込んだ。……これは、酒が弱いからだろうか。

しかしその後、RYONに挽回のチャンスはなかった。
ハシモトさんは何かRYONに質問しても、RYONが「はい」「いいえ」と答えるや否や、すぐさま自分の話を延々と始めてしまうのだ。

しかも、
「僕は28歳の頃、付き合ってた女性に振られてね。それ以来、心の傷が癒えなくて……」と言う。

確かに人との別れは辛いものだ。しかし何が間違いだったのか、相手の問題、自分の問題、自分なりにでもクリアできれば、次に進むのは怖くないはずである。
人間関係の問題ひとつ解決できない情けない人間だと豪語して、どうするつもりなのだろう。人の話は静かに聞こうと決めているRYONであるが、生来お喋りな人間である。もう、いいかげん口がむずむずしてきた。

「僕は普段、ひとりで海外に旅行に行ってるんだけど、今度はね、誰かを連れていきたいなぁ」
「ねぇ?」とハシモトさんはRYONの顔を覗き込んで言った。

「私、病弱なんで海外旅行できないんですよね」
そしてクリティカルな気分満杯のRYONは、病弱なのをいいことにさっさと帰ってきたのであった。

*critical:批評、批判、酷評的な