「石見銀山」が世界遺産になった理由って?

日本で14番目の世界遺産に登録された「石見(いわみ)銀山」。戦国時代から江戸時代にかけて多くの銀を産出した日本最大の銀山ですが、日本人にはそれほど知られていませんでした。今回なぜ、世界遺産に登録されたのでしょうか。調べてみました。

石見銀山ってどこにある?

新たに日本で14番目の世界遺産(文化遺産)として登録された石見銀山は、島根県のほぼ真ん中の旧温泉津(ゆのつ)町、旧仁摩(にま)町を含めた大田市の広い範囲に分布している遺跡です。その歴史は古く、16世紀初頭、九州博多の商人・神谷寿禎(かみやじゅてい)が発見したといわれています。寿禎は朝鮮半島との貿易を通して、最新の技術を導入し積極的に銀山の開発に取り組みました。その代表的な技術が中国から渡来した「灰吹法(はいふきほう)」と呼ばれる銀の精錬法です。この「灰吹法」が確立されてから、日本の銀の産出量が飛躍的に伸びたといわれています。

以後、石見銀山はさまざまな有力な人たちが占領、奪還を繰り返します。本能寺の変の後、豊臣秀吉が朝鮮出兵のための軍資金をこの銀山の銀で充てたといわれています。関が原の戦いの後、石見銀山は徳川幕府の管轄に置かれ、同時に鉱山の経営に優れた能力を持つ、大久保長安を初代の銀山奉行に任命し、銀の増産を続けました。



石見銀山の銀はどう使われた?

記録によると、初代の銀山奉行・大久保長安のころは年間4千貫(約15トン)の銀を産出したとあります。しばらくはこのレベルで銀の産出が続いたのですが、次第に産出量が減少してきました。江戸中期には年間4.5 トン、さらに時代がすすむと年間1トンにも満たない量となってきました。ところが、この間に産出された石見銀山の銀は世界的な経済や文化の交流の基礎となったのです。

「灰吹法」による銀の精錬技術は質のよい銀をたくさん産出するため、ここで精錬加工された「丁銀(ちょうぎん)」は通貨として日本国内で広く流通していました。その後「灰吹法」は、日本各地の鉱山に伝わり、世界でも有数の銀生産国となりました。こうして日本で大量に産出された銀は、16世紀から17世紀にかけて交易を通して東アジアに流通、さらにヨーロッパ人による東アジアとの交易でヨーロッパにも日本の銀は流通していました。当時、石見銀山から産出される銀の量は、世界全体の3分の1にもなり石見銀山の名はヨーロッパや中国でも知られていました。

石見銀山では今でも銀が採れる?

江戸時代初期に最も大量の銀を産出した石見銀山ですが、16世紀半ばから急激に産出量が減り、17世紀前半には大半の坑道が休止してしまいました。そして明治になってから新政府の管理下となった石見銀山は、旧松江藩の家老や民間会社の努力で鉱山は維持されていましたが、1943(昭和18)年の台風で受けた被害で閉鎖されてしまいました。ですから今は銀は産出していません。

石見銀山が世界遺産に登録された理由は?

石見銀山について、日本政府は当初「東西文明の交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形づくっている、世界に類をみない鉱山である」として、世界遺産登録の前提となる「暫定リスト」に掲載。2006年、ユネスコ世界遺産委員会に推薦書を提出しました。ところが、ユネスコの諮問機関(しもんきかん)である「国際記念物遺跡会議」が、石見銀山遺跡の普遍的な価値の証明が不充分である、との理由で「石見銀山は登録延期が適当」と勧告してきました。

つまり、世界遺産として登録は難しいといってきたのでした。この勧告を受けた地元や政府は世界遺産への登録を諦めようとしていました。そんな地元や政府の諦めムードを追い払うように、ユネスコ政府代表部は110 ページにおよぶ反論情報を提出し、再び登録を目指しました。その内容は、石見銀山の特徴である、山を崩したり森林を伐採しないで、狭い坑道を掘り進んでいく環境に配慮した遺跡であることを積極的にアピールしました。

その結果、6月28日、世界遺産委員会は満場一致で石見銀山を世界遺産に登録することを決定しました。一時は絶望的といわれていた石見銀山はこうして世界遺産に登録されることとなったのです。



日本にある世界遺産は13か所

世界遺産とは1972年、ユネスコ総会で採択された「世界遺産条約」に基づいて、人類共有のかけがえのない財産として、国際的に保護・保全していくことが義務づけられている遺跡や建造物、自然などのことをいいます。世界遺産には世界自然遺産と世界文化遺産がありますが、いずれも世界遺産に登録されるには、ユネスコの「世界遺産委員会」が、国際的に決められた判定基準に照らして「顕著で普遍的な価値」があると認められたことが第一条件となります。当然、その遺産に対しては、手厚い保存管理がなされていることも登録条件となります。

現在、日本にある世界遺産は1993年に登録された法隆寺地域の仏教建造物を筆頭に、姫路城、屋久島、白神山地、古都京都の文化財、白川郷・五箇山(ごかやま)の合掌造り集落、厳島(いつくしま)神社、広島平和記念物(原爆ドーム)、古都奈良の文化財、日光の社寺、琉球王国のグスク(城郭)および関連遺跡群、紀伊山地の霊場と参詣道、知床、そして、今回の石見銀山遺跡の14件。このうち、屋久島、白神山地、知床は世界自然遺産、その他は世界文化遺産です。



石見銀山に次ぐ、日本で15番目の世界遺産に富士山は選ばれるでしょうか。いずれにしても世界遺産に登録された地域は世界の、日本全体の財産です。現状のまま後世に残しましょう。

(2007.7.3 取材/ジャーナリスト・金子保知)